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【読書ノート】14「水深五尋」ロバート・ウェスト―ル

ロバート・ウェストールの本は何冊か読んだが、この「水深五尋」は最高傑作ではないかと思う。「少年冒険文学」に必要な要素が全て詰まっていると言っても 過言ではない。「"機関銃要塞"の少年たち」と同じチャス・マッギル少年が主人公で、英国は依然戦時下である。いつもつるんでいる親友や一足先に社会人に なった女友達、上流階級のガールフレンド、口うるさい母親、理解ある父親、「ロウ・ストリート」の奇妙な外国人たち、特に魅力あふれるユダヤ人の女主人や ギリシャ系の大男など少年冒険文学を彩る素敵な登場人物たちがあふれている。そしてふとしたことから始まったスパイ探し。手に汗を握る冒険劇と切ない恋。 ついにスパイと対峙する最後のシーンも良かった。

戦時下の英国の片田舎の人たちがどのような日常を送っているのかを垣間見ることが出来る点でも非常に興味深い。また特に後半でウェストールは「労働者」であるチャスの父親を通してチャーチルを含む「権力者」について批判的な見解を述べている点は見逃せない。

「・・・この前の戦争は権力者対権力者の戦争だった。ドイツの労働者とイギリスの労働者は、いがみあってなんかいなかったんだ。1914年のクリ スマスには、イギリス兵とドイツ兵が塹壕から出て、中間地帯で握手した。贈り物を交換し、いっしょにサッカーもした。お前のじいさんはその光景をみたそう だ。だが、軍の上層部の権力者は、すぐにそれをやめさせた。そして労働者階級の若者が1千万人もむだ死にしたんだ。そして、生き残ったものを待っていたも のはなんだったと思う?英雄が住むのにふさわしい国か?とんでもない。職につけず、失業手当でかつかつに暮らし、子供たちが腹をすかせているのをじっと見 ているしかない、そんな暮らしだ。一方、権力者たちは自動車を乗り回していた。(P316)」

最後のシーンでもウェストールは地域の「権力者」たちを揶揄する(ある意味非常にリアル感溢れる)場面を描いている。ウェストールが社会主義的思想の持ち主かどうかは知らないが、チャスだけでなくこの父親もまたウェストールの分身であることは間違いない。

出版され30年を経てようやく邦訳されたが、「大人」になった今このような小説に出会えたことは実は恵まれているのかもしれない。この小説は少年だけでなく、かつてチャスと同じような感性をもつ少年だった「大人」が読むに相応しい作品なのかも知れない。

挿絵は「ブラッカムの爆撃機」同様宮崎駿が描いているが、この小説は明らかに氏が大好きそうな内容だ。「チャスのUボート」とかいう題名でも宮崎アニメ化しても何の違和感もなさそう。田中真弓のチャスの声を想像しながら読んだのは私だけだろうか。
(2009年8月5日)


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