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烏賀陽弘道 ~フクシマからの報告~

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京大卒の元朝日新聞記者が、フクシマの今をレポートしています。 福島の一部地域は、もう人の住める場所ではありません。マスコミが報じない衝撃の事実が沢山レポートされております。 記事…
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#東日本大震災

フクシマからの報告 2018年晩秋その3  原発内で働いていたからこそ思う      故郷はもう原発内部と同じ         渡辺さん親子の物語(下)

フクシマからの報告 2018年晩秋その3  原発内で働いていたからこそ思う      故郷はもう原発内部と同じ         渡辺さん親子の物語(下)

前回の記事に続いて、渡辺さん親子の話を書く。今回は父親の理明(まさあき)さん(48)である。

山形県に避難して間もなく8年。この間に、渡辺さんの健康は悪化した。壮健な少年野球チームの監督だったのに、円形脱毛症になり、大量の下血で救急搬送され、2年前からは人工透析に週3回通う身になった。取材で会うたびに、病気や故障が増えていった。顔色も悪くなった。避難直後の元気な姿を覚えている私には、痛々しい姿に

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<フクシマからの報告 2020年春>  津波と原発事故で消えてしまった    JR富岡駅前の商店街を再訪      住民の95%が消えた町で       ホテル経営に挑戦する地元民に会った

<フクシマからの報告 2020年春>  津波と原発事故で消えてしまった    JR富岡駅前の商店街を再訪      住民の95%が消えた町で       ホテル経営に挑戦する地元民に会った

 東日本大震災による津波と原発事故で、消えてしまった街がある。福島県富岡町にあるJR富岡駅(常磐線)一帯である。地名では「仏浜」という。前回の本欄で書いた「夜ノ森駅」の一つ南、東京寄りの駅である。

「浜」という地名の通り、海岸からわずか500メートル。ホームから海が見える。静かなときは波が砕ける音が聞こえる。電車は1時間に1〜2本。1898年開業。小さな木造駅舎が立つ、ひなびた駅だった。

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フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還率6% 浪江町を歩いた   写真ルポ(下)

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。

上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を書いた。今回は方角を東から西に反転して、阿武隈山地の山間部を訪ねる。 

前回のおさらいをしておこう。

浪江町は東西に長い。西の町境から太平洋岸まで35㌔ある。東京圏でいえばJR東京駅から八王子駅の距離に近い。福島第一原発のある双葉町の北隣。町の中心部は原発からは約8㌔しか離れていない。

2011年3月1

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フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシそのお父さんにようやく会えた             自宅跡は核のゴミ捨て場に       それでもなお娘の体を捜し続ける

2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりでありながら、取材をする勇気が出なかったことがある。

震災直後の2011年の春、私は福島県南相馬市に入った。同市は原発から約25㌔のところにある「浜通り」(太平洋沿岸)地方の基幹市だ。

原発から20㌔圏が国の命令で「警戒区域」として立ち入り禁止にされ、30㌔圏は屋内退避になったころの話だ。私は、まさにその

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フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津波犠牲者の墓参者に群がる     新聞テレビ記者の狂騒を目撃した

フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津波犠牲者の墓参者に群がる     新聞テレビ記者の狂騒を目撃した

 東日本大震災から10年の2021年3月11日、福島県浜通り地方(太平洋沿岸部)のかつての「強制避難区域」の現場に立ってみた。そこでどんな光景が見えるのか、この目で見て、歴史の記録に残そうと思ったからだ。

2011年3〜4月、福島第一原発から半径20㌔の半円が描かれ、中にいた住民9万6561人に国が強制的に避難を命じたのはご記憶かと思う。

半円形に飛び地の飯舘村を加えた面積は858.4平方キロ

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フクシマからの報告 2021年春    茨城県ひたちなか市にホットスポット  眼前はJR常磐線車両の洗車場     福島第一原発事故の汚染を運んだのか?

フクシマからの報告 2021年春    茨城県ひたちなか市にホットスポット  眼前はJR常磐線車両の洗車場     福島第一原発事故の汚染を運んだのか?

 今回は、単純な事実の報告と問題提起をする。

茨城県ひたちなか市のJR常磐線の車両基地のそばの一点で、線量計が周囲の5~7倍の高線量を指した。つまりホットスポットができていた。その目の前には、JR常磐線の車両を洗浄する施設がある。

JR常磐線は、福島第一原発から直近で1.5キロ、高線量に汚染された地帯を行き交っている。そこを通過した車両を洗う「洗車場」の前に、突然高線量の場所がある。

これは

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フクシマからの報告 2021年春    汚染土の埋立地にされても       家族が幸せに暮らした街を守る     津波で娘・妻・父を亡くした       大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗

フクシマからの報告 2021年春    汚染土の埋立地にされても       家族が幸せに暮らした街を守る     津波で娘・妻・父を亡くした       大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗

 今回の報告は、2021年2月11日付け「フクシマからの報告」で書いた記事
「10年前見た行方不明の家族を探すチラシ そのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける」の続きである。

(上は木村さんが2011年春当時、避難所や市役所に貼って回ったチラシ。私は南相馬市役所ホールの掲示板で見た)

 福島県大熊町、福島第一原発から南に4キロの海岸部に住んでいた木

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フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰りたくても帰れないふるさと     「文字盤のない時計」が回り続ける    俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)

 福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。

 福島第一原発が立地する双葉町の北隣に「浪江町」という街がある。そこの中心部に「サンプラザ」というショッピングセンターがあった。福島第一原発から8キロほどの距離だ。

 中里さんはその総務部長だった。

下は同社ホームページから。

 サンプラザがある浪江町中心部の強制避難が解除され、中に入れるようになったのは、201

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フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町がまるごと消えていく        3年で住民の帰還率6%        原発から8キロの浪江町 写真ルポ(上)

フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町がまるごと消えていく        3年で住民の帰還率6%        原発から8キロの浪江町 写真ルポ(上)

今回は2回に分けて、福島県浪江町の現状を写真を中心に報告したいと思う。

2011年3月11日の福島第一原発事故で、全住民が強制避難させられた原発20キロ圏内の市町村のひとつである。町の中心部から原発までは、南へ約8キロほどの距離だ。

原発事故当時は2万1434人の住民がいた。強制避難の対象になった11市町村の中では、人口最多の大きな町だった。

避難が解除されたのは6年後の2017年3月。しか

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フクシマからの報告 2021年春    家が消え小中学校が消えた      ふるさとが失われ思い出も消えていく  原発事故が破壊した大切なもの     故郷の記憶を守る23歳秋元さんの物語

フクシマからの報告 2021年春    家が消え小中学校が消えた      ふるさとが失われ思い出も消えていく  原発事故が破壊した大切なもの     故郷の記憶を守る23歳秋元さんの物語

 秋元菜々美さん(23)は福島県富岡町夜ノ森で生まれ育った。
 
 富岡町は、福島第一原発の立地する大熊町の南隣にある。秋元さんの家のあったJR「夜ノ森駅」前からクルマに乗ると、同原発の前まで15分ほどで着いてしまう。

 東日本大震災が襲った2011年3月11日、秋元さんは13歳だった。中学1年が終わろうとする春休み前の一日だった。

 秋元さんの家は、富岡町は福島第一原発から南に8キロほど南に

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