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牧紳一・帝王のたたかい 編 振り返り

前編、河田雅史「人は絆にお金を払う」編に続いたのは、

https://note.com/tyimage/n/ndd4e17fb01d3

神奈川ナンバー1プレイヤー、帝王、牧紳一です。
筆者としては原作負けなしのこの牧紳一を描くことはとても手強く、また時系列もすり合わせながら丁寧に描いたつもりでございます。
苦労した分、思い入れもある章です。




世代を代表する二人は当然、日本代表の有望選手でもあったが、
河田雅史は日本代表資格を持たないJBAリーグへ入団。日本バスケット界に一石を投じる契約を交わした。この異例の契約、選択に影響が及んだのは、日本代表だけでなく、牧紳一だったのかもしれない。

牧は日本代表資格を持つCBAリーグ、本田トラベルに入団。世代を代表するルーキーはそれぞれのリーグに分かれることになる。牧は否が応でも日本代表の期待の新星として注目された

二人のルーキーイヤーは両者ともに新人王を獲得、とりわけ河田雅史はルームショー埼玉を優勝に導いた。
牧紳一の本田トラベルは準優勝。牧のルーキーイヤーでの代表選出は見送られたが、時間の問題だった。

新人王を獲得とした牧は、所属の本田トラベルから海外旅行券、サッカー、イタリア、セリエAの観戦チケットを贈呈される。その地でたたかうアスリートこそ後に日本バスケット界に携わる、UJBリーグチェアマン、三田良佑であった。

牧はイタリアでの三田良佑のプレー、姿勢に感銘を受けた。

https://note.com/tyimage/n/n674a95904e86

観戦翌日、偶然、三田良佑と遭遇し、会話を交わす機会を得る。三田は牧紳一のことを把握していなかったものの、投げかける言葉は牧の心に刺さるものがあった。


「ライバルに差をつけたいなら環境を変えてほしい」
「何か物足りないと思ったら自分のことを知らない環境に飛び込んでいって欲しい」

海南と言う一つの環境に長く身においた牧紳一
視野を広げることを問いた三田良佑の言葉をイタリアの土産として、2年目のシーズンを迎えた。

2年目も順調に走り出した牧紳一は日本代表に招集されることになる。しかしさしてインパクトを残すことが出来ず、期待された海外遠征でシーズンを棒に振る怪我を負ってしまう。牧紳一の2年目はよく言う2年目のジンクスに当てはまってしまうシーズンとなってしまう。

3年目を迎えるシーズンオフ、悩める牧を訪ねてきたのは、海南大付属高校時代の監督、高頭力だった。

1年前の三田良佑の言葉が脳裏に浮かぶものの、現状の環境を変えることの出来ない牧に対して高頭は、帝王でありつづけるためエリートとなり、結果的に外の景色を弾いてしまったのかもしれない。

環境を変えるまでは出来なくとも、ここまで取り入れてこなかったマインドに触れることを提案する。

その提案とは破天荒とも言える桜木花道が当時、身をおいたアメリカのストリートバスケ、桜木花道のマインドに触れるとともに有望な選手を発掘することを目的とした大会の参加であった
牧は高頭の提案を受け入れてアメリカへと飛び立つ。


桜木花道と牧紳一の共闘が実現。牧紳一と共に大会に挑むという桜木のアメリカ時代のエピソードの一つ明かされる。

とにかく何かを吸収しようと、桜木のマインドや外国人とのマッチアップ、技術、雰囲気に触れる牧だったが、大会には、外国人の風貌ながら日本語で話す選手がいた。
身体能力が奏でたアフリカのチームであった。大会決勝戦であいまみれることなる。

序盤、牧は得意のペネトレイトからの3点プレーを見せるが、違和感を感じていた。徐々に能力を発揮する相手に牧紳一の歯車は狂いはじめる。


そして終盤、フリースローライン付近からの対空時間の長いジャンプからの投げ込み式ダンク、
「リュウシン・ダンク」と言われる驚愕のプレーで牧紳一、桜木花道は逆転を許し、劣勢を強いられ、敗退に追い込まれた。

https://note.com/tyimage/n/n8e5de469e506

この外国人の風貌ながら日本語を話す選手は、小学生時代に海南の清田信長によってバスケットに導かれたガーナ人の母親を持つハーフ、

サミュエル・謙信」だったのだ。

「帝王のたたかい」編、冒頭で触れた清田信長の小学生時代のエピソードがここで回収された。

https://note.com/tyimage/n/n683f4bcbe62b

牧は日本へ帰国。この経験活かし課題に向き合う3年目のシーズンを迎えるはずだった。しかしこのシーズン、日本バスケット界を揺るがす事件が起きる。
それがテルノン会長の日本代表の国際試合、国際大会出場禁止宣言である。

https://note.com/tyimage/n/n4bd2547156a6

この宣言に日本バスケットは停滞。それは牧紳一も同様であったが、牧にとって思わぬ出来事が起きる。
それはイタリアで出会った三田良佑のUJBリーグチェアマンの就任であった。牧は三田の動向に注目するようになる。

そして三田が自らオーナーになり新規参入させる動きを知る。この出来事が3年目のシーズンの何よりのトピックだった。



そしてシーズンオフに再びアメリカに飛び立つ。アメリカでプレーする三田良佑に会うためだった。
それは何か計算があっての行動ではなく、ただ自分の想いを伝えたかったのである。
その想いとは、
三田良佑オーナー「プレパラシオン東京」に入団し、環境を変えたいという想いである。


その牧の想いが三田に届く。牧と会談の機会を設けた三田は、

自らのゴールでチームを勝たせられるのか?
成り上がりの条件を持っているのか?


その姿をみたいと、プレパラシオン東京トライアウトを開催すると伝える。

牧はトライアウト、自身の課題に向き合い1年前に大会に参加したアメリカの仲間の元へ出向く。
課題を乗り越えるためのヒントをチームメートのアレックスからコーチングを受け、シーズンオフを過ごした。

4年目のシーズンが開幕。しかし牧は自身の意向をチームに伝え、世間から非難される。それでも牧は退路を経ってでもプレパラシオン東京トライアウトにのぞんだ
トライアウトを順調に通過し、最終審査であるアウェーでもあるフィリピンのリーグ選抜の試合へとコマを進める。

三田良佑も視察する中、牧は自身の課題をクリアし成長する姿を披露する。
自らのゴールで試合に勝つ、ターニングポイントの試合に勝つ、成り上がりの条件を、
アレックスから伝授した「アンクルブレイク」で
その条件をクリアする。

牧紳一、プレパラシオン東京トライアウト合格。
入団が決定する。

そして帝王のたたかいは続いていく。

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