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創作活動に没頭する人へ



発達障害/精神疾患の界隈に創作活動に没頭する人はかなり多いと思っています。

主観ですが、一番手は小説や詩、エッセイといった読み書きができれば作れる文章。
二番手はイラストか音楽。
三番手で、手芸工作系。

そんな感じだと思っています。

僕も文章を書いたり音楽を作ったりしたことがあります。
小説に関しては、小さな文芸賞を獲って出版社から電子書籍を出してもらったこともあります。

確かに、一つのアイデアを形にして、細部に工夫を凝らすこと。そのために長時間集中すること。その過程には、ハマった人しか分からない、他では得られない幸福感があります。

でも、なぜこの界隈には創作活動にハマる人が多いのでしょうか?

ドーパミンやセロトニンの分泌不安定の話はとりあえずおいておきましょう。

答えは明らかで、大部分の人が感情のはけ口を求めて創作という自己表現に頼っているのだと思っています。

不要なモノはこの世にない

感情というのは、食物のようなものです。
味わいながら体に入れ、栄養あるいは毒となってやがて出ていく。
あなたに影響は与えても、あなたそのものではありません。

なので、十分な量の食物が手に入らない状態で代替手段としての創作活動を行うのは自然なこと、かつ生きるために必要なことです。

でも、「必要だからやる」「楽しいからやる」は違うと思うのです。

あなたはどこかで、創作を生きる意味にしてはいないでしょうか?
だとしたらそれはとてもキツいことです。

もちろん0か100かではなく、ポジティブな動機とネガティブな動機は誰の中にも混在していると思います。

でももし、あなたの今までの人生が、付き合いたい人たちと自由に付き合えて、言いたいことが言えて、信頼と尊敬と理想の居場所を手に入れ、好きな人に十分に必要とされていたら、ひとり夜にPCの画面に向かったり、黙々と手を動かす時間に今ほどの愛おしさを感じるだろうか? と、想像してみてください。

そして、「必要だから」創作にはげむ、という動機が大部分を占めているとしたら、自分のセンスを世に認めさせお金や名声を手に入れることにあなたの幸せはありません。確実に。

ギャングスタラップにふれて

Biggie & 2pac before being killed

ヒップホップは今や音楽の一大ジャンルです。
アーティストの半分くらいはアウトローやそのフォロワー達です。

興味がない人は全くないと思いますが、関係のある話なのでとりあえず聞いてください。

ギャングスタ系ラッパーの表現は他のあらゆる創作表現と全く異なる点があるからです。

それは自分の言ったこと(表現した内容)に責任を取らされる、ことです。

上の写真は、本場アメリカ90年代のギャングスタラッパーで、後に抗争で殺し合った(と言われている)2人です。

ヒップホップのフリースタイル(即興)という形式は、もともと黒人のギャングが、お互いに殺し合いすぎたため、暴力ではなく音楽という口喧嘩でケリをつけようとしたことから始まりました。

もちろん日本の現状はそんなハードなものではありませんが、アウトローラッパーたちはたいてい「責任」という考えを当然としています。

MCバトルでお互いをディスり合う攻撃的な表現をする人たちから、もっとマイルドに仲間や家族や人生のことを歌う人たちまで、すべての表現者は「口だけ」では許されないのです。

このような世界を知った時、僕は自分の文章表現に疑問を持ちました。

たいていのストーリーがそうであるように、苦境に陥った主人公が、泥水をすすり這い上がる中で生きる意味を見つけていく…
そういう話を僕はよく書いていましたが、果たして僕自身はその理想の人間像に近づこうとしているのだろうか?

そんな考えがずっと離れませんでした。

表現は何のためにあるのか?

僕はアウトローとは程遠い人間で、作品で特定の誰かをディスり、その報復として殴られたなどという経験はありません。

でも学生時代に僕がのめりこんでいた作家は、作中で皇室問題に触れ、それにより右翼団体に脅迫され、著書が発禁になり、暴行を受けてなおも書き続け、ノーベル文学賞を獲った後に国民栄誉賞が内定しても、国のトロフィーなんていらねぇよと辞退した、死ぬまでアウトロー全開のインテリでした。

たいていの人の作品は特定の誰かに実害を与えるようなことはないので、「責任」という言い方はおかしいのですが、小説やマンガなら、作者が美しいと思う、カッコいいと思う理想のストーリーやキャラクターを描いてることは確かだと思います。
明確なメッセージを持たない他の表現ジャンルでも同様です。

その上で、作者は自分の現実と切り離された世界に居続けていいのでしょうか?

これは「べき論」や押し付けではなく、単に幸せに近づくための考え方です。

長年創作を行っている人は骨身にしみていると思いますが、作品が愛されることと、自分が愛されることは完全に別の問題です。

先にも述べたように、もしあなたが感情のはけ口を求めるためだけに創作に没頭しているとしたら、そのエネルギーを自分の周りの現実を変えることに使った方が絶対に幸せに近づけると思います。

そんな未来を実現したうえで、「楽しいから」創作活動をやる、つまり大好きな趣味の一つとして何かを作ることに没頭する、それが一番だと思っています。

修士課程のころ僕は日本の戦後文学を研究していましたが、そこで出会ったオーバードクター(博士号取得後も研究者を目指し大学に残る人)の先輩が言っていました。

「文学が人生だなんて言うやつは嫌だ。楽しくてやめられないんだよねって、そう言いたくて俺は文芸批評をやっている」

いま僕は表現の世界から離れて久しい人間ですが、それは少しずつ現実との接点を持とうとあがいた結果です。

読者がいたとして、べつだん魅力的なストーリーではないと思いますが、自分の現実を生きています。
作品が愛され名声を得ることよりも、そちらの方がずっと幸せに思えるからです。

少しずつで構わないので、今までの人生で溜めてきた様々な感情を目の前にいる誰かに伝えること。
そしてまた、自分の現実を変えるために、必要に応じて障害や疾患の治療をきっちりと行うこと。

その上でまだ創作活動が楽しくてやめられない、という人がいましたら、そんな人の作品にはぜひ触れてみたいと思ってる次第です。


【追記】
ギャングスタラップは単に僕の好みの話ですが、この間無名人インタビューを受けた時に、主宰のqbcさん舐達麻 & BadHopのビーフの話で盛り上がりました。
結局ヒップホップはそういったプロレス的要素のおかげで盛り上がりを見せているのだと思います。
メインは自分の治療過程の話ですが、ご興味のある方はどうぞ!


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頂いたお金は新しい治療法の実験費用として記事で還元させていただいております。 昔の自分のようにお金がない人が多いと思いますので、無理はしなくて結構です。