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(自己)責任と被害者意識 ストラテラ服用日記368日目

本来は自己責任という言葉は存在しない。なぜなら責任という言葉に自分のことという意味が内包されているはずだから。

デジタル大辞泉「自己責任」の解説
1 自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。

このように記載されている。
なんか矛盾を感じてしまう。自分の行動の責任って別の人がとる場合があるんだろうか???


本題に入ると、責任の意味が分かってない人は他人が悪いと思っているということだ。
他人と言わず、世間だったり政治だったりマスコミだったり自分じゃないものが悪いということ。

論点が色々出てしまうので、ここではアドラー心理学でいう自分の課題と他人の課題との話をしたい。


つまるところ自己責任とは自分の課題ということだと考えている。
だとしたら、被害者意識は他人の課題を考えているが故に被害を受けたと考えてしまう。

課題の分離が理解できれば被害者意識はなくなると思うんだけど、どうだろうか?
依存があるから被害者意識が出てくる。

アドラー心理学的には最終的に誰がその責任を負うのか、それが自分であれば自分の課題でそれ以外は他人の課題として分離する。

他人のせいにしたくなる心理はあるし、実際他人のせいの時は多い。とはいえ自分の人生なので自分で責任を取らざるを得ない。

他人のせいにしようと、自分のせいにしようと結局は自分の人生にはね勝ってくるのだから自分の課題になると思う。

依存する人生は苦しい。自分で生きる人生は自由だ。
どちらを取るかは考えるまでもないと思う。


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