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幸せは私が決めていく

⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈


改めまして
少し長めの自己紹介を。
そして今の気持ちを素直に添えて。

私は大学生で一人暮らしをしているころに
人生で初めてのうつ状態を経験した。
それまで順調だった大学生活も
ままならない日が多くなっていった。

そのころ精神科のクリニックに少し通ったこともあった。
でもその当時は一種類の薬の処方があるだけで
病名は告げられなかった。
私も元気になれるのなら病名はどうでもよかったので
聞くこともなかった。
確か半年程薬をもらった程度で体調は回復し
通院しなくてもよくなった。
その医師と最後に会ったときのこと
元気になれたのでそのことを伝えに行くと
その医師は「元気ならそのことをわざわざ伝えに病院に来なくていい」というような内容のことを言われた。
冷たい口調で私を精神科医療から突き放したようなニュアンスを感じて
記憶に残り続けている。
旧優生保護法が廃止になって間もないころのことだった。

その後大学の学生相談室のようなところのカウンセラーさんにお世話になった。
ゆっくりと話を聞いてもらえて嬉しかった。
そのときの話の流れで
薬を処方してもらっていたことやその薬名も伝えた。
それを聞いたカウンセラーさんがうつ病の薬ですねと言ったので
私はうつ病だったのかと思った。
なんとかギリギリ卒業できるだけの単位を留年しながら取得し
大学は卒業することができた。

その後しばらくの間
安定した暮らしを送っていた。
アルバイトしていた職場から正社員にならないかとのお話をもらい
同僚たちと気が合ったこともあり楽しく働いていた。

大学では栄養士の資格を取得したのだが
しっかりと勉強できた実感が持てないままに卒業したため
その後も管理栄養士国家試験の合格を目指し独学に励んだ。
国家試験に受かれば少しは栄養士としての自信や勉強をしたという実感が持てるだろうと考えたからだ。
アルバイトを経て正社員として働きながら
年1度の国家試験を受験し3度目の正直で合格できた。
満足だった。

私自身合格できたことで満足だったが
父は栄養士として働いていない私に不満な様子だった。
私には不釣り合いかもしれないと薄々思っていた栄養士としての仕事だったが
大学の高い学費を出してもらった親の期待に応えたい
働いてみようかという欲が徐々に出てきてしまった。
そして栄養士として働ける施設へと転職した。

その施設の栄養士は二人体制だった。
一年目は先輩栄養士から仕事を教わりながら仕事に慣れていった。
大変な業務だったが
やりがいもあり楽しく働けていた。

翌年の春
私の親はそのとき住んでいたところから離れた土地に家を新築した。
私は今の仕事を辞めてその新築の家の近くに転職するか
今の仕事を続けるために職場近くで一人暮らしを始めるか
新築した家から片道2時間程をかけて今の職場まで通勤するかの選択に迫られた。
迷った末にいちばん後者を選んだ。
まだ覚えたての栄養士の仕事を同じ職場で続けてみたいという気持ちと
大学時代一人暮らしをしている間に体調を崩した際の孤独感が怖かったというのが大きな理由だった。
父もまた職場は違えど同じように片道2時間程をかけて通勤することになったので
私にもできるのでは
父とともにがんばれるのでは
とこのときは思っていた。

しかし同じころ
先輩栄養士が突然引き継ぎもしないまま辞職してしまった。
私はとても一人では
長い時間を通勤にかけながら二人分の栄養士としての業務を担えない
辞めたいと上司に告げたが聞き入れてはもらえなかった。
施設に栄養士不在というのは施設側としても受け入れられなかったんだと思う。
その日から激務が始まった。
長い通勤時間に膨大な仕事量。
早くもう一人の栄養士が入ってくるように上司に言いに行くものの
求人は出しているがなかなか人が来ないとの一点張り。
そんな環境の中で10か月程経ったころ新しい栄養士が入ってきた。
しかしほっとして気が抜けた途端
燃え尽き症候群のように抜け殻同然になってしまった。
もう限界を越えていたのだろう。

私の体調は再び不安定になった。
普段の気分の落ち込みとはまた違う違和感というか
うつ状態特有の感覚があった。
そして大学時代のことを思い出した。
あんな辛い思いは二度としたくないと急いで再び精神科へ。
うつ病との診断で薬を数種類処方され二度ほど休職するも回復せず
職場に対して心苦しくなり自主退職した。

その後アルバイトするも一年も続けることができなくなってしまった。
やる気はあるのに春になると体の不調が出てきて
とても仕事どころではなくなった。
転々とアルバイトを変わった。
悲しかった。
転々とすることで私は徐々に自尊心を剥られていったように思う。

国家試験の勉強をしていたころからお付き合いをしていた夫と結婚することになった。
うつ病から回復してからと思っていたが
年齢的にも結婚したいと思った。
娘にも恵まれた。
夫と娘の存在は私の誇りであり
大きな精神的支えとなった。

娘が小学校入学前後
強いストレスを感じた。
娘はもうすぐ小学生になろうとしているのに思うように体調が回復しない自分への焦りと
小学校でのママ友付き合いなどの新しい人間関係に
神経がすり減ってしまった。
そのうち軽い躁状態や混合状態の症状が出てくるようになり
病名がうつ病から気分循環症へと変わった。

大学時代はたいして精神科にお世話にならずとも元気になれたというのに
長く精神科を受診しながら服薬も続けていて
何故どんどん病状は悪化するのだろうという気持ちは
絶えず私の中で燻っていた。

精神科医療自体もしかしたらヤブなのか?
だから大学時代の医師は突っぱねるような言い方をしたのか?
そういった疑念は私の中で膨らむばかりだった。
でもだからと言って
誰に答えを求めればいいのかも
誰に気持ちをぶつければいいのかも
分からないままに時間は過ぎていった。

いや
うつ病と思っていたものが
気分循環症(双極症)という違う病気だと判明するまでに時間がかかっただけに違いない。
医師もきっと最善を尽くしてくれていたのだろう。
そんな医療や医師を信じたい気持ちもあった。

そもそも精神疾患というものは本当に病気なのか?
私は単に体調を崩しただけなのに
社会からの落第者のような気持ちになってしまうのは何故?
弱くては何故だめなの?
そんなさまざまな疑問が頭をもたげてくる。
それから私は戦後のことにも興味を持つようになっていった。

戦後
旧優生保護法ができた。
そんな中で精一杯精進した末にうつ状態となり
法律的に劣っていると決めつけられ
人間らしい幸せとは程遠い人生を送るしかなかった人を私は知っている。

その人のことを思うと
私は今
本当に恵まれていると思う。
うつ状態などになりながらも
夫や娘と同じ屋根の下に暮らすことができているだけでも
心底有り難い。
そんな当たり前に思える幸せですら奪われてしまった人が
この日本のほんの少し前の歴史の中に埋もれていることを
私は忘れてはならないと思う。

ひと昔前
抱き癖がつくからと子どものためを思い必死で抱かずに子育てしてきた先輩ママたち。
子どものためを思ってしてきたことだけれど
今では抱っこしてもらった記憶のないものが親となり子育てをしている。
その子ども世代が今悲鳴を上げているように感じるときもある。

核家族化がすすみ
もちろんいい面もあっただろうが
人が人と触れ合う頻度は少なくなった。
その分人との絆は薄くなっただろう。
そのうえ
女性の社会進出が叫ばれ
働きたい女性が働ける機会が増えたことは喜ばしいのだが
家庭の担う機能はますます弱くなってしまったのではとも思う。

家庭の担う機能はいろいろとある。
そのなかでも
人の女性性により人が安心感を得られる
ということは重要だと思う。
(女性性は男性も女性も持つことができる)
しかし今女性性をあまり持たない人が増えてきてはいないか?
女性性で包んでくれるようなメッセージがだんだん薄れていってるように思う。

成績や収入がよくないと認めてもらえない。
容姿や気立てがよくないと可愛がられない。
そんな条件付きでしか愛情を受け取れないことが増えてはいないだろうか?

ありのままのあなたでいいんだよ。
こんな女性性あふれるメッセージを受け取った数だけ
人は元気になれる。
私はそう信じたい。

そして私も
あたたかい愛情で包まれたいし
あたたかい愛情で大切な人を包み込みたい。


私の主治医は
私の意見を尊重してくれながら
薬の処方を決めてくれている。
そして薬の処方以外の行動に関しての決定権は
私に委ねたままにしてくれている。
当たり前といえば当たり前のことなのだけれど
この医師が主治医になる前までは
私が納得いかない処方でも処方をし続けて
きちんと飲みなさいと服薬を押し付けてきた。
手の震えという副作用が出て
そのことで人と会うことへの抵抗感が増してきていたのにも関わらず
私が何度も手の震えが気になると訴えても
処方の変更は行われなかった。
今の主治医のもとで徐々に減薬していき
手の震えの原因となる薬がはっきりして
副作用が出るためもう二度と処方されることはなくなった薬がある。
その薬は
以前の主治医だった医師がずいぶん前から処方しており
その医師は改善努力を怠り処方し続けたため
私を長い間副作用で苦しめることになった薬だ。

今やっと
主治医と二人三脚で
治療に立ち向かえている感覚がある。
この医師を信じてみてもいいかも
という気持ちが少しずつ芽生えてきているところだ。

私は私の意思で
精神科で精神疾患という他人が決めた枠組みを受け入れて
精神障害者という他人が決めた枠組みのもと社会的に守られながら
自分らしく幸せに生きるための心と身体を取り戻そうとしている。
そんな恵まれた環境下に身を置けることは感謝してもしきれない。

本来
精神疾患を持っているのなら
そんな自分をもっと誇りに思ったほうがいいのだろう。
精神障害者の一面を持っているのなら
そんな自分にもっと誇りを持ったほうがいいのだろう。
だって
すごくすごくがんばって生きてきているのだから。
とても尊いのだから。

心があるからこそ心の病気になる。
心ない人は心の病気にはならない。

痛み止めのような対処療法の働きが主流の
できれば飲みたくもない薬を飲んで
耐え難い苦痛を伴う症状を緩和してもらう。
私は主にそのために精神科を受診する。

その他のことも同じ。
私の幸せは
私が決める。

そのうえで
私は私らしい生き方を模索していこうと思う。

読んでいただき
ありがとうございます。


⁽⁠⁽⁠ଘ⁠(⁠ ⁠ˊ⁠ᵕ⁠ˋ⁠ ⁠)⁠ଓ⁠⁾⁠⁾🌈

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