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自己紹介〜旅のきっかけ〜

about :
神奈川県出身。初一人旅で訪ねた沖縄の自然に深く感動したことから、人と自然界との繋がりや、エコビレッジ・コミュニティーといった現代ならではの取り組みに関心を抱き始める。

以降は南インド・環境実験都市オーロヴィルやスコットランド・フィンドホーン財団、ブータンやチベット・カイラス山巡礼など世界各地を訪ねながら、旅を通した内観や学びを深める。今までの体験や旅の回想録エッセイを順次掲載中。


神奈川から徳島県神山町、そして父方の故郷・山口県へ


2017年、西日本で働きながら暮らしていた。

ずっと神奈川で育った人間だったものの311の震災以降、西日本での暮らしに注目していたわたしは、2015年になると地方創生の取り組みが活発な徳島県神山町に滞在しながら、神山塾7期・地域コーディネーター養成科という独特な職業訓練のコースに参加したのち、

2016年になると、子どもの頃から慣れ親しんでいた父方の故郷でもある山口県で友人の紹介によって、田畑を耕し自給自足の暮らしをしながらオルタナティブスクールと家業の店舗を運営しているユニークなオーナーの元に辿りつき、そこで働き始めるという変化と移動の多い時期に入っていた。

父の故郷である田舎は、東京で生まれ神奈川の住宅街で育っていた幼少時のわたしに対して父が「この子にも、ふるさとが必要だろう。」と、子どもの頃から何度も連れていってくれた心落ち着く場所で、当時はアトピーに悩んでいたものの、その土地に行けばそれだけで調子が良くなり、川で泳ぎ山を探検し、近所の友人と1日中遊びまわり子どもらしいときを過ごした…いわば心の故郷で、幼少時の安らいだ原風景のある場所だった。

昔から知っている土地とはいえ親戚衆と僅かな交友関係のみの状態だった中、30代になってから出会った徳島県の友人が山口県での様々な場所や人との縁を新たに紹介してくれた。父方のルーツを再発見するかのように、不思議なつながりによって西日本生活は新たな彩りをみせ、神奈川での生活の頃よりもややゆったりとしたリズムで(とはいえ田舎には田舎のいそがしさも)ときに瀬戸内海を眺めながら通勤する暮らしを送っていた。

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習字のクラスをフリースクールの小学生達に開いたり、山口暮らしのあれこれ。

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ずっと気になっていたバリ島のグリーンスクール

山口県での暮らしの中であるとき。
友人の企画によるインドネシアのバリ島ツアーに参加することで、以前から興味があったバリ島のグリーンスクールを訪ねることになった。

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Green school バリ島校
https://www.greenschool.org

バリ島には約10年前に一度訪ねていた。2017年になり、人生2回目のバリ島へのツアーに参加した動機はツアー内容にグリーンスクール見学が入っていたことが大きく、あとは全体的な印象やメンバーがすごく良さそうだと直感的に感じたからで、それは本当にその通りだった。

元々教育学部だったとかそういうわけではない。ただ、自分自身がどう生きていきたいのか?を模索する人生の過程で、人と人が学びあう場づくりに興味を持つようになり、自給自足の暮らしをしながら保育+小学校のオルタナティブスクールを運営する職場のオーナーの姿に感銘を受けた。

以前からネットで見ていた壮大な竹の建築で出来たグリーンスクールに対しても、こんなに独自のデザインの自然素材で出来た校舎の学校や建築物とは一体どんな所なのだろう…いつか行ってみたいという気持ちを温めていて、そのツアーを通してついに実際に行くことができ、友人達とバリ島で楽しいひとときを過ごし満喫して帰ってきた。

バリ島からの帰国後に湧き上がってきたこと、母の死からのメッセージ


と同時に。帰国後の内面に湧き上がってきたのは

『今回、こうして数年前から行ってみたかったグリーンスクールへ行けたけど、本当はイギリスのフィンドホーンや南インドのオーロヴィルとか他にも何年も前から行ってみたいって思ってた所がたくさんある…。

でもいつか、と思って行ってこなかった。20代の間に世界一周もしたかったけど、タイミングを感じないってそのままになってる。でもすでに30代も半ばで今行かなかったら、いつ行くんだ……?? 』

20才での初めての沖縄一人旅以降、旅を通した体験や学びの面白さに目覚めると、以降ちょくちょくあちこちへ出向くようになり、今では18ヶ国を訪ねている。それでも心の奥にはいつか行きたい旅先や体験したいことがまだ幾つもあった。

ただ20代の頃は何度も検討しつつも、いつか。と置いておいても未来に何らかのきっかけがあって、何だかんだ実現できるだろうと思っていた。

たしかに実際タイミングというものは大切で、無理して行動しても時期じゃないものということはあり、待つことも大切だったりする。

と同様に、ただ置いて待っていても只々そのまま、時に委ね熟成されていくというよりは、鮮度を失い枯れていくかのようになっていくこともあるのだということが、30代になったからだろうか、徐々に身に沁みて感じるようになっていた。

自然と枯れていく望みならば、それはそれで良いのかもしれない。けれどそれは、ほんとうの気持ちで本音なのだろうか??

今後、まだまだ時間や機会があるかなど分からない。今のように決意さえすればチャンスや労力を活かせる状況が続くとは限らない。そもそも自分が何才まで生きているかだって実際にはわからない。

そう感じるのは、20代の間に人生の恩師にあたるような大きな影響を受けた方々、そして2009年に20代半ばで母の他界に触れたことが大きかった。死や肉体的な体験の限りを、身近に感じるようになっていた。

特に母が他界する直前などは、昔から病のあった母は気が塞ぎがちだったので『そうだ。来月の12月になって落ち着いたら、母にいつもと違う新しい服を選んであげたらいいかもしれない。そうしたら彼女の気持ちも少しは晴れるかも。』などと呑気に考えていた。

しかし、その後の2009年11月中に母は急逝したため、その「いつか」「今度」といった機会は永遠に来ないことを知ることになった。

当時、長い病を経た母の死顔はまるで一生分の欲求不満を凝縮したような苦しげな、彼女が病気じゃなかったら、本当は叶えたかった夢や想いが沢山あったのだろうという何ともいえない表情だった。その顔はまるで、もう1人のわたしの顔のように思えた。

永遠に来ることのない12月の存在と母の死は、いつかなど本当に来ないことがある。ということの象徴としてリアルに刻み込まれ、何かとその後の人生に影響を与えている、母が最後に遺してくれた学びと贈りものとなっている。死してもさらにその存在性によって何かを与えてくれる存在。それが親なのだろう。

『……今のままいて、本当に行きたいところへ行ってやりたいことにトライしてみる…そんなことに挑戦してみないでいいのか??』

いま動かなかったら、もうタイミングなど無いのではないか。そう心の深いところから沸き立つように感じたわたしは突き動かされるように、もし仮に自由自在に行きたい場所に行けるのならどこへ行きたいのか、ばばばばばとリストに書き出した。

インドのオーロヴィル、タスマニア、ニュージーランド、イギリスのフィンドホーン…ずらずらと書き出すと、ざっと15ヶ国ほどのリストができた。何を調べるわけでもなく、すらすらと書き出すことができたその旅リストは死ぬ前に行きたいリストとも言える、何年も前から行きたいと思っていた場所が凝縮されたリストだった。

旅リストを眺めながら、気づいたことは
『なんだ…今になってみれば、決意して行こうと思えば行けるところばかりじゃないか。』ということだった。

すべて行けるかはわからなくとも、少なくともいくつかは行ける。以前は、例え機会や時間があろうと何だかんだと行かない理由の方が多かったのだ。

だけども今は違う。
もう待っている場合ではないのではないか。
今がタイミングなんだ…動くには今しかない…!!!

バリ島のエネルギーに背中を押されたのかそう決意すると、お世話になっていたオーナーとお店に数ヶ月後の退職願いの旨を伝えた。上司にあたる独特なキャラクターのシェフ、女将さん、オーナー達は三者三様の反応だったものの最終的には皆こちらの決意を受け入れて下さり、特にアフリカや海外での生活を経て今の仕事や暮らしをしているオーナーは「その気持ち分かるし、そうした方がいいと思うよ。」と共感して下さった。

実際はもうちょっと色々あったものの、しばらく働き続けた後に心の故郷・山口県から旅立つことが決まったのだった。

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夢で見た本『あなたは自分が消えていくのを、待っている場合ではない』

--思い返せば、徳島から山口へ移動する前にある印象的な夢を見ていた。

南国のような青い海が広がっている中で、もう他界している以前とてもお世話になった方が優しく微笑んでいる。するとどこからか細くて白い手が、ある本を差し出してくるのだ。

本のタイトルには『あなたは自分が消えていくのを待っている場合ではない』とあった。

……消えていくのを待っている場合ではないってどういうこと??

普段見ている雑多な夢とは違う、独特な空気感の漂う夢だった。

あなたは消えていくのを…って、もうすぐわたし死ぬんかいな。と思ってみたり、タイトルの意味が最初はよく分からなかったけれど、西日本の生活を経たあと世界各地を周り、それらの体験を通して自らと向き合う機会を得た今ならその意味がよくわかるように思う。

かつてのわたしは、ナチュラルに色々なことを諦めていたからだ。諦めと一体化していて、諦めていることにすら気づかないくらいに。

行きたいところへ行き、望む体験をすることや好きなことを信じきれず諦めがちでいる間に、本来の感性は活かしきれず、封印されるがごとく小さな灯火となっていた。

ほんとうに、待っている場合ではない。ただ、その想いの灯火は小さくとも灯っていて、わたし自身を呼び続けていた。

***

すったもんだしつつご縁によって西日本で暮らしていた日々は、どうやら地元の神奈川以外の土地でも生きていけるようだぞという経験と土台を経て、その土地に根づくのかと思いきや。また新たな探求と体験をするのだという決意をして出発したのだった。

***

南インド・オーロヴィル編-1へ続く。

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瀬戸内海の島の澄んだ海

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