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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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#救い

新しく生まれる (テトス3:1-11, ペトロ一1:3)

新しく生まれる (テトス3:1-11, ペトロ一1:3)

◆救い

「救われる」ことは、多くの宗教が口にします。様々な救われ方の説明があります。日常的にも使われる言葉です。「あなたにそう言われると、救われる」というように、ほっとするような気持ちになれることを表現するのです。
 
「すくわれる」と耳で聞くだけでは、二つの別々の漢字の区別がしづらくなります。「救われる」と「掬われる」です。いま私たちは、前者の「救われる」ことを言っていました。しかし、「主に液

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歓迎 (マタイ21:1-11, 列王記下20:12-19)

歓迎 (マタイ21:1-11, 列王記下20:12-19)

◆与えること

イエス・キリストがこの世に来たことを記念する礼拝となりました。何らかの記念の日を設けることそのものが、悪かろうはずがありません。しかしまた、その日だけキリストの訪れを思い出す、というのも心許ない話です。
 
いわゆる「クリスマス」には、プレゼントがつきものです。子どもたちは、サンタクロースを待ち焦がれます。普通、大人にはなかなか来てくれませんから、自分がサンタクロースになって、誰か

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実を結ばないはずがない (ローマ6:15-23, マラキ3:19-20)

実を結ばないはずがない (ローマ6:15-23, マラキ3:19-20)

◆救われるということ

宗教は「救い」ということを一つの目的とします。キリスト教でも、言います。神は人を救う、いえ、私は神に救われた、というのが普通の言い方でしょうか。でも、「救い」とは何なのでしょう。また、どうすれば救われるのでしょうか。
 
それはですね……クッキング番組のように、レシピを示すことは、私にはできません。ただ私は、私の救いを受けたことを噛みしめて、その救いを生きていくだけです。そ

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信じるということ (創世記15:1-6, エフェソ2:1-10)

信じるということ (創世記15:1-6, エフェソ2:1-10)

◆アブラハム

「音楽の父」と言えば、バッハ。賀川豊彦は正に「生協の父」でしょう。そしてイスラエル民族の信仰の父といえば、アブラハム。膨大な数の「~の父」があるのに比べて、「~の母」と呼ばれる人はごく僅かであることを、不思議に思います。アブラハムは、旧約聖書創世記に登場する人物です。ただの伝説めいたものも含まれますが、生身の人間らしく描かれたのは、ノアを除けば、アブラハムが最初でした。それも、かな

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永遠の命を与える (ヨハネ10:22-30, 創世記3:21-24)

永遠の命を与える (ヨハネ10:22-30, 創世記3:21-24)

◆永遠の命が禁じられる

創世記3章は、ショッキングな場面が続きます。神にまず造られたのがアダム。次いでアダムの骨からエバが造られました。この二人が、こぞって神に楯突くのです。
 
問題は命の木でした。楽園の中にある木の実は食べてよい、とされていましたが、ひとつだけ、禁断の木の実がありました。林檎だとされたのは後の西欧の思い込みでしたが、とにかくそれは「園の中央にある木の実」でした。それについては

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自分を救え (ルカ23:33-43, マラキ2:17)

自分を救え (ルカ23:33-43, マラキ2:17)

◆救いの証し

ひとは、どうして聖書を読むのでしょう。何かを求めて、読むこともあります。そもそも読みたくもない、と敵意を抱く人もいるでしょう。読まない人々の中には、もしかすると、いくらか関心があるものの、下手に知ると引き込まれてしまうかもしれない、という恐れを覚える人がいるかもしれません。
 
私がそうでした。西洋哲学を志したとき、聖書を一度も読んだことがない、では済まされなかったはずなのです。だ

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生まれ変わるチャンス (イザヤ43:18-25, コリント二5:17)

生まれ変わるチャンス (イザヤ43:18-25, コリント二5:17)

◆転生

人間、ある程度年齢を重ねると、自分の人生はこれでいい、と思うようになることがあるようです。それとも、もう一度生き直すということが、面倒くさくなるのかもしれません。また受験勉強をするのはもうたくさん、などと。
 
しかしまた、もしも生まれ変わったら、というファンタジーにも、どこか興味が惹かれます。だからでしょうか、昔からそうした映画やドラマが多々ありました。特に映画では、その手のものがやけ

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スカーレット (イザヤ1:10-18, ヘブライ9:18-22)

スカーレット (イザヤ1:10-18, ヘブライ9:18-22)

◆読書のすすめ
 
小学校低学年から学習塾に通わせるご家庭があります。将来の受験のために、早くから、というわけでしょうが、現実にはもうこの時点で、子どもたちにはかなり学力差がついている場合があるのを目の当たりにします。学習にすいすい入っていける子と、答えが全く分からない子と、分かれるのです。
 
間違いばかりだ、という意識を植え付けないように配慮しますが、それぞれの子の心を尊重し、生かすようにもっ

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自分が何をしたというのか (ローマ4:1-5, 創世記15:1-7)

自分が何をしたというのか (ローマ4:1-5, 創世記15:1-7)

◆信仰による義
 
アブラハムという人は、旧約聖書創世記における最重要人物の一人です。その後のイスラエル民族にとって、「信仰の父」と崇められる人でした。新約聖書の記事にも、その様子がうかがえます。族長たちの名を並べて、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と神のことを呼ぶことも一般的だったように見えます。アブラハムは、イエスの周囲の人々と文化にとって、絶対とも言える存在でした。
 
ところでパ

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終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

◆パンについて
 
「ごはんができたよ」。日本人だったら「ごはん」という言葉が相応しいでしょう。それは、米の飯を意味する言葉ですが、同時に広く「食べるもの一般」を指すときに使うことができます。パンでも麺類でも「ごはん」と呼ぶことがありますね。聖書の書かれた地域の文化では、「パン」がそれに当たります。主食と言えるであろうパンが、広く食べるものを示す言葉として通用するのです。
 
いわゆる「最後の晩餐

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救うために来た (テモテ一1:12-17, イザヤ7:14)

救うために来た (テモテ一1:12-17, イザヤ7:14)

◆クリスマスの意義を問う
 
どうも私は、「メリー・クリスマス」という挨拶が苦手です。年を取ったせいかもしれません。何が「メリー」なのか、よく分からないのです。陽気で、愉快で、お祭り騒ぎをするような感覚を伴う形容詞を「クリスマス」に載せたものであるような気がしてならないわけです。
 
そうなると「あけましておめでとう」も、何がめでたいのはよく分からないようにも思えます(そこには歳神を迎えるという背

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正義の回復 (ローマ3:21-22, 詩編50:6)

正義の回復 (ローマ3:21-22, 詩編50:6)

◆裁きと赦し
 
教会用語というものがあります。同じ日本語でも、世間には通じない用語が、あるいは世間とは異なる意味で使われる用語が、教会ではあたりまえのように飛び交っています。「兄弟姉妹」などはその代表例で、近年ではそう呼ばないほうが適切だと考え直している教会が多くなりました。よい傾向だろうと思います。「恵まれる」とか「感謝です」とかですら、傍から聞けば、非常に違和感を伴う言葉であるだろうと思いま

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約束の救いを握りしめて (ペトロ一1:3-9,イザヤ46:8-10)

約束の救いを握りしめて (ペトロ一1:3-9,イザヤ46:8-10)

◆終わりの時の救い
 
あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(ペトロ一1:5)
 
今日は「救い」に焦点を当てて、人間にとって必要なもの、大切なところに光を当てることができれば、と願っています。
 
今日のテクストには、「準備されている救い」という言葉がありました。ここに、しばらく心を向けていこうと思います。「救い」と

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