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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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2023年3月の記事一覧

説教の違いと救い

説教の違いと救い

この2月に、礼拝のレスポンスとして「要石なるキリスト」のことを綴った。そのときの説教は、「家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった」は、ルカによる福音書と、その根拠となる詩編とが引かれていた。そのとき、「隅の親石」に関して私が聴いたことから、次のように記していた。
 
★エルサレムのような中東の町は、城壁で囲んで身を守ることが多いであろう。内外の出入りのためには門が必要であり、厳重に管理されてい

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『天水桶の深みにて』(R.ボーレン/加藤常昭訳/日本基督教団出版局)

『天水桶の深みにて』(R.ボーレン/加藤常昭訳/日本基督教団出版局)

1998年発行の本である。この本についての言及が時折他の本であったので、気になっていた。価格の面で折り合いがつかなかったので手が出なかったが、その値がいくらか下りてきたので、思い切って購入した。
 
知識のない私は、「天水桶」というものをそれまで知らなかった。そもそもどう読めばよいのかさえあやふやであった。「てんすいおけ」、それは江戸時代からあるという防火用水としての水槽であるという。雨水を溜める

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名前

名前

私は、花の名前を知らないほうだった。いまの子どもたちが知らないことに驚く前に、自分の小さなときのことを思い起こせばよかった。しかし、父が苦労して建てた一戸建ての家には、クチナシの木があり、カラーも咲いた。ホウセンカやキンセンカ、サルビアも咲いていたと思う。しかしなんといっても、金網の塀に絡みつくバラが、いちばん印象的だった。
 
田舎なので、小学校への通学路には野の草花がたくさんあった。ナズナやア

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3月20日

3月20日

同じ日付だからと言って、思い出さねばならない決まりはないし、「同じ」という感覚も極めて人為的なものでしかないのだが、カレンダーが巡ってくるたびに、その同じ日付の出来事を思い返すのは、仕方がない性なのかもしれない。
 
福岡で大きな揺れを体験した、あの地震。そして、地下鉄サリン事件。
 
前者は、2005年のこの日付の日に起きた。日曜日だった。しかも朝の礼拝の時間だった。ちょうど、「こども説教」とい

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『旧約聖書の思想 24の断章』(関根清三・岩波書店)

『旧約聖書の思想 24の断章』(関根清三・岩波書店)

天邪鬼なもので、この本が、講談社学術文庫にあると聞いたとき、オリジナルの方を探してみる、というのが私のよくやることである。というのは、新しい方は定価かそれ以上で出回っている場合があり、元の方がそれに応じてか、値が下がっている、という場合がしばしばあるからである。ひとは、新しい文庫が出ると、ハードカバーのほうは避ける傾向にあるらしい。
 
関根清三というと、旧約の権威としてとみに有名な関根正雄の息子

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礼拝説教の務めのひとつ

礼拝説教の務めのひとつ

礼拝説教とは何だろうか。信仰の仕方は人それぞれでもあるし、最近は「多様性」をやたら強調する教会も現れてきた。
 
しかし、礼拝説教の場で、聖書翻訳の言葉がけしからん、というような説明をしきりにするというのは、明らかに錯誤しているとしか評しようがない。それを聞いて、私たちは一週間(あるいはもっと長きにわたって)、何を以て神の言葉を受け、神の言葉がここに実現していくという経験をすることができるのだろう

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他者と自己

他者と自己

対面セールスで「お母さん」と若手社員がご婦人を呼ぶ。「私はあんたを産んだ覚えはありません」とぴしゃり。こうしたお笑いネタは、実はごく日常的であるとも言える。
 
ある人は、子どもを前にしては母親であり、自分の母親を前にしては娘と呼ばれる。生徒を前にしては先生であり、姉がいれば妹となる。会社で部下がいれば上司であるだろうし、売る店の中に来れば客となろう。
 
人は、本当に自分一人であったとしたら、自

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『救いはここに』(加藤常昭・キリスト新聞社)

『救いはここに』(加藤常昭・キリスト新聞社)

ふと本棚で見つけて、宝物を見つけたような気持ちにさせられた。情けないことだが、この本をいつどのように手に入れたのか、全く記憶がない。次に読もう、と思って置いていたまま、すっかり忘れていたようなのだ。
 
加藤常昭先生の本はいろいろ読んでいる。これも、手に入れてきっと嬉しかったに違いない。だが、もったいないような思いで一瞬いたら、そのままになってしまっていたらしい。
 
なかなか厚い。450頁以上あ

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穴だらけの信仰論

穴だらけの信仰論

聖書に書いてある――とくにプロテスタント信仰に立つ人は、この言葉に弱い。教会組織の伝統を拒み、聖書のみの信仰を標榜するプロテスタント教会としては、聖書に書いてあることを否むことはできない呪縛というものが、潜在的にもあるものである。
 
たとえ感情でどう信仰しようと、聖書にはそう書いていないよ、の一言でそれは間違っていることになってしまう。だって聖書にそう書いてあるからね。これを、原語が読めて研究論

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「福音」と「生きる」のつなぎ方

「福音」と「生きる」のつなぎ方

「生きる」という言葉自体についても、いろいろ考察を深める意味があるだろうと思う。が、いまはそこには関わらないことにする。
 
ここに「福音」という言葉がある。日本語だと硬い感じもするが、聖書に使われているギリシア語からすると、「良い知らせ」という意味が見て明らかな語である。その「知らせ」という部分は、「天使」につながる語になっており、天使とは神からの「知らせ」を担う存在である。「メッセンジャー」と

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