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こころ

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ひとのこころ、見つめてみます。自分のこころから、誰かのこころへ。こころからこころへ伝わるものがあり、こころにあるものが、その人をつくり、世界をつくる。そんな素朴な思いに胸を躍らせ…
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#阪神淡路大震災

自然との関係

自然との関係

幼稚園が廃れている。午後2時にお迎えというスタイルに、働く親が対応できなくなってきているのだ。夕方まで預かる保育園に、次々とシフトしていく。夕方に迎えに行けるならまだよいほうで、夜にずれこむこともあるようである。
 
幸い、私は2時のお迎えができた。車で行く必要のあることもあったが、たいていは、歩いて往復できた。これは恵まれていた。途中、舗装された道路を通ることもできたが、たいていたんぼ道を歩いた

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モリユリのこころのメロディ震災特別番組

モリユリのこころのメロディ震災特別番組

今年もこの日がくる。1月17日である。あの時も寒かった。とはいえ、私がその寒さの中で震えていたわけではない。被災者の姿である。私はぬくぬくとしていた。でも、あの姿を見ていたことは、忘れられるものではない。
 
だが今年は、また別の思いも駆け巡る。神戸よりもさらに寒い地域で震える方々のことだ。雪が積もる風景の中に、人々がビニルハウスの中で過ごしている。人は野菜ではないのに。
 
地震は、住むところを

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地震と事故に

地震と事故に

人間が決めた暦など、自然は知る由もない。正月、しかも元日という、日本で特異な時、激しい地震が起こり始めたことは、特殊な被災状況をつくってしまった。東日本大震災も強烈だったが、私には阪神淡路大震災が重なって見えた。都市建築と比較的近代的な住宅が並んだ関西と比較して、古民家的な特徴の目立つ石川県の町々の被害は、実に痛々しい。熊本地震でも、民家の被害は大きかったが、被害の度合いはさらに増す。阪神淡路大震

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阪神淡路大震災、そして

阪神淡路大震災、そして

https://www.nhk.or.jp/kobe/shinsai/
 
1995年1月17日。歴史のひとつとして、教科書にも載っている。生徒はそれをテストにために憶える。もちろん、憶えてほしい。だが、そこから想像力も働かせてほしいと願う。
 
これを何らかの形で体験した、と言える世代は、もう30代以降ということになるだろう。あの日、燃える町は一日中テレビ画面に映し出された。まだインターネットは

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ひとの痛みを

ひとの痛みを

当事者に、なれるわけがない。だのに、当事者のことを分かっているかのように、振舞うのは、失礼なことでもあるし、「ええかっこし」であるとも言える。
 
分かっているのではない。無力感に打ちのめされた、と言えば、自己中心であるに過ぎないかもしれないが、正直なところ、そう言うのが、一番言いたいことに沿うような気がする。
 
1995年1月17日、未明のあの揺れは、まず私が気づいた。カタカタカタカタ……それ

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阪神淡路大震災を伝えなければならない

阪神淡路大震災を伝えなければならない

ライブでのテレビ中継が特別に組まれなくなった。震災25年の年はずいぶん取り上げられていたのに、一年でこの閑散とした有様だ。もちろん、報道番組の中では取り上げられるだろう。だが、もう一般ニュースの一つにしかならないのだ。
 
2012年の成人の日、朝日新聞の社説が「尾崎豊を知っているか」というタイトルだったというところに絡んだコラムが先日「文春オンライン」(https://bunshun.jp/ar

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『こころを病む人と生きる教会』

『こころを病む人と生きる教会』

(英隆一朗・井貫正彦編・オリエンス宗教研究所・2012年発行)
 
キリスト教会だからと言って、こころの病を治療できるわけではない。しかし、教会には来る。こころを病んだ人が、救いを求めてやってくる。そして聖書には、そのような人々が救われていく様子が記録されている。期待するのは当然とも言える。
 
本書は、読んでいていたたまれなくなってくるものもある。多くの人の証言とも言える本なのだが、特に後半がそ

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阪神淡路大震災と癒し

阪神淡路大震災と癒し

「癒し」という言葉がいまのような使われ方で広まったのは最近のことだ。ある調査を借用すると、1988年にマスコミに登場し、1994年から急増しているという。そして1998年から大きく取り上げられたことが見られるのだそうだ。
 
災害からの癒しについて、日本では、安克昌(あん・かつまさ)という医師が、貴重な足跡を遺している。1995年1月27日の5:46と言われる。神戸から淡路島の辺りを中心として、京

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