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『こころを病む人と生きる教会』

(英隆一朗・井貫正彦編・オリエンス宗教研究所・2012年発行)
 
キリスト教会だからと言って、こころの病を治療できるわけではない。しかし、教会には来る。こころを病んだ人が、救いを求めてやってくる。そして聖書には、そのような人々が救われていく様子が記録されている。期待するのは当然とも言える。
 
本書は、読んでいていたたまれなくなってくるものもある。多くの人の証言とも言える本なのだが、特に後半がそうだ。前半は、精神疾患についての基本的知識を受け取るための最低限のことが書かれている。専門家の仕事である。後半では、現場で活動している人の声である。「はじめに」で断っているように、「こころの病」というカテゴリーに入らないものも含まれている。いのちの電話やグリーフケア、ホームレス支援などである。しかしそのどれもが「こころ」の問題を抜きにしては考慮できず、実践できない場面である。当然本書に入っていて然るべきだと思うし、また入っていなければならないと考える。
 
もちろん、これらが事例を挙げていたとしても、一例に過ぎない。一人ひとりこころが異なるように、その状態も、またそれへの対処も異なる。あくまでも「参考に」という本書の忠告は当然である。だが、あまりに具体的であると、参考どころではなく、正にそれをしなければならない、あるいはそれをしてはならない、ということをひしひしと感じざるをえない。
 
前半の知識だけでもまずはご覧になるとよい。専門家でない素人がこれを読んだくらいで精神疾患が分かるなどと考えてもらうのは絶対によくないことだが、何も知らないよりは必要な心得があったほうがよい。特に、各方面で気にされていることが、支援者の方が倒れることである。支援者が逆に精神的にやられるということが日常茶飯事として起こりうるわけで、それを避けるためにも、知識は役立つのである。
 
震災や犯罪による喪失について、素人が何を対処できるかということは、当然弁えておかなければならない。だが、口先だけで「共に生きる」と善いことをしているつもりでいるよりは、この現実や裏腹を聞くことだけでも、なかなかの経験となるのではないか。
 
阪神淡路大震災でとくに、PTSDが大きく取り上げられたのは、私が各所で触れている通りである。しかし、本書は東日本大震災の翌年の発行である。阪神のときとは質的にも量的にも違う被害の中で、悲しみは簡単には癒えるはずもない。まさにその当時の空気の中で、またその対処に奔走しているときに、この本は作られた。それだけに、心のこもった、そして切実なものとなっている。あまり知られていない本だと思う。私も特殊な古書の棚で見つけた。だがこんなにいい本はないと感じた。教会に何ができるか。教会が、こころを病む人とどうかかわるか。信仰によって解決する、などとは言わない。むしろ、こころを病んだ人に対して、信仰で解決しましょうとか、ほかにも悩んでいる人がいるとか、実に心ない最低の対応をする教会の有様も、地味に告発されている。確かにありがちだろう。だがそれが如何に間違っているか、そうしたことも本書は教えてくれる。もっと多くの教会関係者の目に触れてほしいと願う。

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