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“文章が書ける”って健康の証かも

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1つの記事を作るために必要なのは“文字を書く”という単純な行動のみ。

しかし、0の状態から1つの記事を作り上げるためには、話の題材となる知識や経験が欠かせない。

色々な世界を見て体感して、できるだけ多くの知識や経験則を身につける。

知識や経験則を身につけたら、それらをもとに文字に起こす。

こうした手順を踏まなければ、完全オリジナルの記事は出来上がらないのだ。

そして執筆にあたる際だが、僕はここで特に意識していることがある。

それは『万人が理解しやすい文章を書くこと』

・事の顛末を順序だてて書く。

・常用されないような難しい言葉は極力使わない。

上記2点を心がけることで、誰が見ても分かりやすい丁寧な文章が自然と構築される。

ただ、このような心がけで自分の意見や経験談を文字に起こす為には、その話に至る事の経緯を鮮明に思い出す時間が必要不可欠だ。

そして、僕にとってこの時間は非常に苦しいもの。

僕が綴っている文章の多くは、マイナスな経験を経て生まれた言葉や感情から成るものばかりだからだ。

悲しい気持ちに至った経緯を鮮明に思い出す。

苦しい思いをした出来事を事細かに思い返す。

パニック障害を患っている僕は、こんな風に過去を振り返るだけでも発作を起こしてしまう可能性がある。

祖父が亡くなった際の記事を書き始めた時には動悸が止まらず、結局1つの記事を書くのに1週間以上かかった。

ただ愚痴を書き連ねるつもりが負の感情ばかりが先行してしまい、いっそのこと死んでしまいたいと思う瞬間もあった。

このようにマイナスの経験をもとにした記事を執筆するには、己との戦いになる場合が多々ある。

精神状態が悪ければ負の感情に脳みそが支配されてしまい、到底文字を書けるような気分にはなれない。

逆に言えば、比較的良い精神状態であれば暗い過去を振り返りながらでも、どうにかして文字を書けるのだ。

(今は薬を常用しているおかげで一定の精神状態を保っているにすぎないが…)

精神疾患を患っている今の僕にとって、“文字を書くこと”は心の健康状態を測る手段の一つになっているのかもしれない。

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