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「いきもの賞玩」皇室の動物たち
皇居東御苑にある「皇居三の丸尚蔵館」は皇室がもっているさまざまな美術品などが収蔵、展示されている美術館。現在開催中の「いきもの賞玩」を見てきました。
平安時代の白氏文集から現代の外国からの贈り物までいろいろなものが見られました。小動物たち、かわいかったな。
《白鼠置物》(中川寿雄)は象牙のねずみ(しっぽは別材だそう)。大きさ的には小さいラットといったところ。大黒天のお使いですね。縁起がいいです
どこに行っちゃったんだろう私の新大久保
ラテ欄を眺めてたら、今夜のアド街(テレビ東京「出没!アド街ック天国」)は新大久保特集なんだと書いてあった。
新大久保か。私の知ってる新大久保はどこに行ってしまったんだろうな、と思ったりする。時代の流れだし、別に今の新大久保を否定したいわけでもない。
通っていた中学から一番近い駅が新大久保だったこともあって(区立中学なのでクラスメイトが住んでいるのもたいていは中学からそんなに遠いところではない)
お寿司が食べられなくて残念だった話
お寿司屋さんに行きました。夢の中で。
回転寿司ではないんだけど、各自テーブルで注文するようになっているリーズナブルそうなお店。ちょっと待ってから入ったような気がする。隣の席にはカップルが座ってた。
お茶はセルフで、別にお茶用のカウンターがあってそこでお茶を用意するの。ただそこは夢の中なのでわけがわからないことに、湯呑みじゃなくてお皿みたいなものでお茶を飲むようになっていた。
テーブルに戻って
うさぎにも会えた「犬派?猫派?」展
28日、山種美術館で開催中の「【特別展】犬派?猫派?―俵屋宗達、竹内栖鳳、藤田嗣治から山口晃まで―」に行ってきました。7月7日までです。
この日は雨降りだった正直どうしたものかと思ったのだけれど、日付指定の前売りチケットを購入してしまったし(それも図録セット)、この日に行かないと行ける日がもうなさそうな感じだったので、「がんばれ自分。かわいこちゃんたちが待っている!」と自分を励ましながら行ってき
「最後の晩餐で食べたいもの」は
よく「最後の晩餐で食べたいものはなんですか」みたいな質問があるじゃないですか。
どういう状況でその「最後の晩餐」がやってくるのか知らないけど、なんか食欲なさそうな感じしますけどね。あと求めたところで食べられるのか、というのもありますが。神様ならなんでもかなえてくれるのかもしれません。
たぶん、高級な何か(銀座久兵衛のお寿司とか)か、思い出のなにか(おふくろの味的な)が多いのかもしれないですね。
卵は安いほうがいい…のかな?
先日、映画『関心領域』を見てきました。無関心であることのおそろしさ、いや、無関心よりもおそろしい、見たくないものは存在しないことにできていることにゾッとするしかありませんでした。映画中でよくわからなかったことがあとになってわかったので、もう一度見たいような気もしますが、とにかく音響が人を不安にさせる映画で、もう一度見るのは勇気がいりそうです。
さて動物の話をします。
人類史上最悪の犯罪に関わる映
ありがとう楽しかったよゴジラ-1.0
6月20日、TOHOシネマズ日比谷で「ゴジラ-1.0」を見てきました。11月3日から始まった上映もこの日で終映(京都ではイベント的に7/11までやってるみたいです)。平日の8:50からという時間にも関わらず、けっこうお客さんが多かったですね。映画が終わると拍手が起き、「ありがとう!」という声も聞かれました。
アマゾンプライムビデオでも見られ、DVDもブルーレイも出ていて、7月にはwowowでもや
犬とうさぎは仲良くしたほうがいいですか?
<紹介することのリスク、考えてるのかな>
テレビやネットではわりとよく、うさぎ(などの小動物)と犬や猫が仲良くしているエピソードを見かけることがありますね。「ほっこり」なんていうほのぼのした見出しがついていたりします。捕食動物と被捕食動物が仲良くしているだなんてまるで絵本の世界のようでほほえましいですし、強い者と弱い者が共生している姿はまさに「平和」。……なのですが、やっぱりどうしてもハラハラ
もうひとつの「とんがり帽子」
「とんがり帽子」は、1947年に発表されたずいぶん昔の歌なのですが、映画「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」ファンにはおなじみでしょう。発声OKの応援上映(ゴジラマイナスワンでは応援乗船と呼ばれている)では、当時、生まれていない人たちばかりだっただろうと思われますが、一緒に歌う人もけっこういたりしましたね(私もそのひとりでしたが)。
映画の中ではラジオから聴こえてきます。そこでは一部しか流れないの
和解への道8~らっきょ編~
先日ラジオを聴いていたとき、らっきょの話を耳にしました。そして思い出しました。私が和解できていないもののひとつにらっきょ(カレーに添えられているらっきょの甘酢漬け)があったことを。
いったいいつかららっきょの甘酢漬けが苦手だったのか思い出すことはできません。気がつけば避けて通るようになっていました。別の容器に入っているタイプの提供方法なら(たとえば吉野家の紅生姜みたいなやつね)最初から取らなきゃ
小料理屋の女将とワケアリ板さん
なりたいもの、っておそらく誰しもある(あった)んじゃないかと思います。子どもの頃になりたかったものが、大人になるにつれなれるわけないじゃんと諦めるなんてこともよくありそうだし、まっすぐがんばってそれになった人も多いだろうし、大人になって急になりたいものができてがんばってそれになることができた、という方たちもいるでしょうね。
そういう、なんというかちゃんとした「なりたいもの」ではなくて、別に本当に
「餌をやる」って言っちゃダメですか?
ペットにまつわる言葉もずいぶん変化してきましたね。より「家族感」が強くなるのはいいことだなと思う一方で、それによる弊害ってないのかしら、とも思ったり。
<餌をやる/ごはんをあげる>
ペットと飼い主との関係性が変化していくにつれ、その界隈で使われる言葉も変わっていきますね。
原稿に、ペットにごはんをあげることについて書くときは「食事を与える」、あるいはその書籍や雑誌の購読対象によっては「食事を