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「餌をやる」って言っちゃダメですか?

ペットにまつわる言葉もずいぶん変化してきましたね。より「家族感」が強くなるのはいいことだなと思う一方で、それによる弊害ってないのかしら、とも思ったり。


<餌をやる/ごはんをあげる>

ペットと飼い主との関係性が変化していくにつれ、その界隈で使われる言葉も変わっていきますね。

原稿に、ペットにごはんをあげることについて書くときは「食事を与える」、あるいはその書籍や雑誌の購読対象によっては「食事をあげる」「ごはんをあげる」と書くことが多いかなと思います。

ふりかえると、1990年代には「餌をやる」「餌を与える」って書いていたりしました。昔はペットのごはんは「餌」でしたし、「あげる」はペットに対しては私的な状況以外ではあまり使われない言葉だったと思います。

今でも別に「餌」が間違ってるわけじゃあないんですけどね。でも、ペットの位置づけがより「家族の一員」になっていくにつれ、「『餌』は家族に対して使う言葉じゃない」という意識が強くなってきたんでしょう。

いつ頃からあまり「餌」が使われなくなってきたんだろう。『「餌」が「食事/ごはん」と言い換えられるようになった史』なんてちょっとおもしろそうなテーマですね。

「あげる」は本来は人に対して使う言葉ですよね。「与える」や「やる」の謙譲語だと説明されていますが、たぶん正しくは「差しあげる」が「与える」「やる」の謙譲語なんじゃないのかな。たとえばお友だちになにかをあげるとき、「これあげる」なんてを言い方するでしょうが、へりくだっている感覚はなく、「与える」「やる」の丁寧語が「あげる」とするほうが感覚的にはぴったりきます。

その「あげる」をペットに対して使うのは、「おかしい」なんて言われることもあったりします(しました、かな)。ペットに対してなぜ人がへりくだらにゃいかんのか、ってことです。でも、へりくだって「あげる」と言っているのではないですよね。自分の動作に対する丁寧語なんだろうなあと思います。文法的にどうなのかは知りませんが。

動物園などのふれあいコーナーでは「餌やり体験」という言い方が普通かと思うので、「食事/ごはんをあげる」はあくまでも家庭のペットに対する言い方であって、「家族の一員」ではない動物に対しては「餌やり」で違和感は持たれないんだろうな。

そういえば「餌をやる」「ごはんをあげる」でこんなことがあったのを思い出しました。もう10年以上前…20年近く前だったかもしれない。友人(動物関係ではない)と久しぶリに会い、名刺を渡しました。私の名刺には「1級愛玩動物飼養管理士」と書いてあります。この名称を見た友人は、なにかしらの誤解をしたようでした(※)。当時うちで飼っていた動物の話になったさい、「餌はなにをやってるの? あ、餌をやってるなんて言っちゃだめなんだよね、ごはんはなにをあげているの?」と友人。20年近く前の一般的な人々にとっては、ペットには「餌をやる」ものであって、「ごはんをあげる」のはペットを溺愛する人だけだったんだろうな。

※愛玩動物飼養管理士は適正飼養普及啓発活動はしますけど、飼い主バカを育成するための資格じゃないんですけど、ペットを溺愛する人のための資格と思われたんじゃないですかね。

今は多くの一般の人も、ペットには「ごはんをあげる」と思っているのではないでしょうか。

<オス・メス/男の子・女の子>

「オス」「メス」も変わってきつつありますね。今のところ原稿を書くにあたっては「オス」「メス」と書いていますし、紙媒体では一般的だろうと思います。ただ、ネットでペット情報を眺めていたりすると、「男の子」「女の子」という表記を見かけることもよくあります。『「オス・メス」だなんて家族の一員に向かって動物みたいな言い方はダメ!』みたいな発想なんでしょうか(いや、動物なんだけどね……)。

ペットはすぐ大人になるし、飼い主より(人間の年齢換算でいうと)年上になっちゃうのに、「子」でいいのかしら、なんて思ったり。ただまあ、ペットの性別を「男の子」「女の子」というときの「子」は「幼体」という意味ではなくて、家族の一員であり、守ってあげるべき存在、というようなことなのでしょうが。

「うちの子は女の子です。これからごはんをあげるところです」って言われたとき、この言葉だけでは、人間の子どものことなのかペットのことなのかわかんないですね。近頃はペットなんだか人間なんだかわからない名前もありますからね……。

ペットを「男の子」「女の子」と呼びながらも一方では「おじいちゃん」「おばあちゃん」になっていくことも受け入れなければならないし、「子」という存在であってもたいていの場合は飼い主が彼らを見送ることになるんですよね。お別れするときのことを考えると、「子」と思ってないほうが精神的にはよいような気もしたり。

「オス・メス」でもなく「男の子・女の子」でもない、ペットの性別を表す言葉があればいいのにね、と思います。そういや英語だと「male・female」って人にも動物にも使われている印象があります。

<犬・猫/ワンちゃん・ネコちゃん>

「犬・猫」ではなくて「ワンちゃん・ネコちゃん」と言ったりもしますね。

なぜワンちゃん・ニャンちゃんあるいはイヌちゃん・ネコちゃんじゃないんでしょうね。語呂がいいというか、言いやすいからなのかしら。それはともかく。

近年は、よそさまの犬猫に対して「犬」「猫」というのははばかられるようなところもあるかもしれないです。たとえば犬を散歩させている飼い主さんと会話をする機会があったとして、犬がオスだということがわかったとしても、「オス犬なんですねー」とは言いにくいですよね。「ワンちゃん、男の子なんですねー」が無難なんでしょう。

「犬・猫」、「オス・メス」と呼ばれた側の心理としては、大切なかわいい家族の一員なのに「動物扱い」されるのは不愉快、ということだろうし、呼ぶ側としては、その相手の思いに寄り添ってあげたいとか、波風立てたくないとか、気遣いもあって、「女の子のワンちゃん」という呼び方に至るのかしら。

<飼い主/パパ・ママ>

飼い主さんのことを「パパ・ママ」や「おとうさん・おかあさん」と呼んだりもしますね。「飼い主さん」と呼ばれるよりも、そう呼ばれたいという方たちもおられるのでしょう。

もちろん、「生物学上の親」だと思っているわけではないですね。「飼う」や上下関係を示す「主」を使いたくないというのがあるのかな。まあ、そこまで考えてはおらず、ただのニックネームとしてそう称しているという場合も多いのだろうと思います。

私もパソコン通信をやっていたときのハンドルネームはペットのシマリスの名前をとって「りすこのはは」と付けていましたが、生んだ覚えはない(笑) むしろ動物にはこちらが学ぶことのほうがあるので、師匠と呼びたいくらいです。とこれはまた別の話。

ちなみに「○○ちゃん(人にもペットにもありそうな名前)のママ」で検索してみたら、一番目が人間のこと、二番目にペットのことが出てきました。なお、画像のほうを見てみると、明らかに同じ状況で撮られている写真を除くと、ペットのほうが多かったです。

<擬人化の弊害ってないのかな?>

人とペットとの距離はものすごい勢いで近づいています。「家族の一員」とよく言いますが、もはや「一員」はいらないでしょうね。人間の家族を紹介するときに「家族の一員です」とは言わないもん。動物種を超えて近い存在になっています。まあもちろん、その「近さ」は家庭によって異なるので、人は人、ペットはペット、も正解です。いろいろな形があるでしょう。

さて、どんなに近くなっても、人とペットは「違う」ということは普通は理解されているはずです。『ありあまる愛と適切な線引き』で幸せなご家庭はいっぱいあると思います。理想的ですよね。ただ、ふわっとした気持ちでペットとの暮らしを夢見ている人たちに、その引かれた線がちゃんと見えているといいのだけど、とは思います。

引くべき線はいろいろあって、まずは「犬(なり猫なりうさぎなり)と人とは違う動物である」というのはすべてのペットに共通で、ほかにはペットによって、たとえばしつけ、避妊去勢手術、ケージに入れることなど。

SNSやテレビなどでは「愛」ばかりが強調されるんだけれども、同時にこうした「適切な線引き」も提示しなくてはならないんだろうと思います。もちろん紙媒体でも、です。

ワンちゃんネコちゃん、男の子女の子、パパママなど、ペットが「動物」であることから距離をとった言葉(擬人化した言葉)が使われることで、引くべき線があることを知らずにペットを迎える人がいるんじゃなかろうか、とちょっと気になるといえば気になります。

楽しそうなところしか見えない(見ようとしない)ままでペットを迎えてしまい、引くべき線が引けず、「思ってたのと違った!」となってしまうことはないでしょうか。違った、と思ってから軌道修正できるならいいのですが、そのままよくない方向に行ってしまうとしたら心配です。

飼い主さんの心情によりそって擬人化したこうした言葉の使い方は難しいなあと思います。

<ところで「ペット」という言い方>

「ペット」という言い方も、使いたくない、という方たちがおられますね。「ペット(pet)」という言葉の由来が紹介されているサイトがありました。

「petty」は「些細な」みたいな意味のようです。まあ、だとするといい意味ではないですね。
※でもさ、もとをたどるとこんな意味、ということでいうと恵方巻もR-18にしたほうがいいんじゃないのかしらと思いますけどねw

もとい、ペットではなく、コンパニオンアニマル、パートナー、伴侶動物などと言い換えるケースも増えているようです。ペット保険のアニコムでは「家庭どうぶつ」という言い方をしていますね。

私も前は「あまりペットという言葉は使いたくないなあ」と思っていましたが、一周回ってどっちでもいいやと思っています。ペットと呼ぼうが違う呼び方をしようが、いわゆる「適正飼養」が行われていればいいです。(ペットという呼び方をしない方たちを否定しているわけではないですよ)

家族のうち、男親のことを「お父さん」と呼ぶように、家族のうちで人間じゃない動物は「ペット」と呼ぶ、くらいの呼称のひとつ、くらいのものだと思って「ペット」という言葉を扱わないと、いろんな呼び方があってややこしい。「パートナー」に至っては、その対象が人間なんだか動物なんだかすらわからない。たとえば「うちのパートナーの男の子」は果たして人間でしょうか動物でしょうか。

<科学と情緒の間で動物関係者は揺れ動く…?>

このように変わりゆくペットにまつわる言葉をどう使うか、とりわけ仕事として飼い主さんと接する方たち(動物病院の方たちやペットシッターさん、トレーナーさんたちなど。飼い主さんに取材をする立場の人間たちも)は、使い分けながらコミュニケーションをとっているだろうと思います。動物を理解することって科学だし、飼い主さんの心によりそうことは情緒の部分で、方向性としては正反対といえるのかもしれないので、扱い方に繊細さが求められるんですよね。

どんな言い方をするかによって何がどう変わるのか、別に変わらないのか、実際のところはよくわかりません。どう呼ぼうと、彼らに対しての深い愛情があって、人とは違う生き物だという適切な線引きができて、その人ができる限りの全力で彼らを守ることができればいいわけなんですが。

こうした擬人化した言い換えはこれからもどんどん広がっていくのでしょう。適切な線引きもちゃんと一緒に連れて広がってくれればいいなと思います。

ではまた。

トップ画像は去年の新宿御苑の桜

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