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軍事上の必要性と社会の価値観をいかに調和させるか?『市民と軍人』(1985)の紹介

現代の国際社会でアメリカが指導的地位を維持できている要因の一つは、その軍事的能力の優越にありますが、すべてのアメリカ国民がこれを望ましいものであると考えているわけではありません。アメリカの政治史において大規模な軍隊を保有し、それを国外に配備することは絶えず論争の的になるテーマでした。政治学者エリオット・コーエンの著作『市民と軍人:軍務のジレンマ(Citizens and Soldiers: The Dilemmas of Military Service)』(1985; 1990)は自由主義の政治思想に基づいて発展してきたアメリカ社会において軍隊を編成し、これを効果的に運用することの難しさを明らかにした研究です。

Cohen, E. A. (1990). Citizens and Soldiers: The Dilemmas of Military Service, Cornell University Press.

アメリカが世界を相手に戦略を実行するには、その任務に見合った軍隊が必要であり、その維持には国民の理解が欠かせません。ところが、アメリカ社会において古くから培われてきた自由主義と平等主義の価値観は職業軍人を維持することに対して否定的であったとされています。この影響を説明するため、コーエンは歴史上の事例は8個の類型に分けて扱うことを提案しています。その類型の内容は以下の通りです。

・拡張可能型(expansible):職業軍人の幹部が平素から戦時に向けて多数の徴集兵と志願兵を訓練すべく準備する。例としては1920年から1935年までのドイツ陸軍がある。
・一般軍事訓練(Universal Military Training, UMT):身体検査で適格とされたすべての若年男性は高等学校に在学中、あるいは卒業後に短期間の軍事訓練を受ける。例としては、第一次世界大戦前のオーストラリアや1948年にアメリカで提案された制度がある。
・民兵(militia):多種多様な方法によって選抜された男性は民間人としてのキャリアを続けながらも、年間を通じて断続的に(例えば毎月、毎週)訓練を受ける。これら兵士は侵攻のとき、あるいは全面戦争のときにだけ現役として勤務する。例としては、アメリカの州兵(national guard)イギリスの国防義勇軍(territorial army)がある。
・基幹要員/徴集兵(cadre/conscript):専門的な下士官(noncommissioned officers, NCO)の基幹要員(cadre)が、一国の常備部隊の一部となる徴集兵を訓練し、指揮する。例としては、現代の西ドイツ軍(国土防衛)、1948年から1973年のアメリカ陸軍(一般目的部隊)がある。
・完全志願兵部隊(All-Volunteer Force, AVF):基幹要員/徴集兵と同義であるが、志願兵のみで構成されており、その大多数は1任期で軍隊を離れる。例としては、1973年から現在にかけてのアメリカ陸軍がある。
・旧体制の徴集兵(ancien regime conscript):特定の階層、具体的には日雇い労働者と貴族に軍務を長い任期にわたって強制する。階層に基づく法的な軍務免除がある。例としては、近世のプロイセンがある。
・専門職(professional):士官と下士官は長期にわたって勤務する軍人であるが、他の制度とは異なり、兵もまたキャリアとして軍務に就いているものと見なされる。例としては1700年代から今日までのイギリスだが、2度の世界大戦の時期は除外される。
・選抜徴兵(selective service):戦時における措置である。全体的な戦争遂行の努力(経済的および軍事的)に対する包括的な有用性に基づいて軍務に就く男性が選抜される。例としては、1914年から1918年までと、1940年から1946年までのアメリカがある。

(p. 23)

これらの制度にはそれぞれ利点と欠点があります。例えば、大規模な戦力を集中的に投入する全面戦争を長期にわたって遂行するのであれば、多数の兵士を動員できる制度が必要です。しかし、小規模な戦力を短期間だけ投入する限定戦争であれば、高い能力を持つ精鋭を育成する制度が必要です。著者の分析では、戦争の烈度と期間という二つの要因を考えた場合、数か月の全面戦争であれば、基幹要員/徴集兵が適しているものの、数年に及ぶ全面戦争であれば、拡張可能型、民兵も選択肢に含まれると述べています(p. 116)。数か月の限定戦争であれば専門職が最適であり、数年に及ぶ限定戦争であれば専門職を拡張した制度が望ましいと考察しています(Ibid.)。

軍隊と国家の関係の研究で知られる著名な政治学者サミュエル・ハンチントンは、かつてアメリカで建国の時代以来、影響力を保ってきた自由主義の思想を念頭に置きながら、「自由主義は軍事制度と軍事的機能を理解せず、またこれらに反対する」と書いていましたが、著者はこれは一面的すぎると批判しています(p. 121)。自由主義の思想はあらゆる軍事制度に抵抗しているというよりも、非職業的な軍人、市民兵(citizen-soldier)を支持する傾向があると著者は評価しています。そして、その社会的価値に最も適した軍事制度の類型として民兵があり、アメリカでは州兵として組織化してきました。ただ、その装備の内容や訓練の程度に大きなばらつきがあり、連邦政府ではなく、州政府の統制を受けるため地方的な利害に基づく腐敗の影響を受けやすい部隊であることから、アメリカ軍の正規の職業軍人から信頼されていない戦力であったとも指摘されています(p. 127)。

二度にわたる世界大戦を経験したことき、アメリカでは州兵ではなく、正規軍の基盤を拡充するため、一般軍事訓練の導入が検討されたことがありました。これはハリー・トルーマン政権(1945~1953)で検討が始まった政策であり、1948年に正式な提案が出ましたが、政府が見積もった費用の大きさから議会で支持を集めることはできませんでした。この構想それ自体はドワイト・アイゼンハワー政権(1953~1961)に引き継がれましたが、1950年に始まった朝鮮戦争を通じて多数の現役部隊が必要となった経験から、政府は幅広く若者を訓練する一般軍事訓練よりも、基幹要員/徴集兵の拡充が必要であると認識するようになっていきました(pp. 156-162)。

ジョン・F・ケネディ政権(1961~1963)以降にも、アイゼンハワー政権の路線が維持されており、州兵や予備役の人員は削減され、徴集兵によって現役の部隊が増強されました。この時期の基幹要員/徴集兵の制度は第二次世界大戦が終結した後のベビー・ブームの世代によって支えられており、アメリカ軍は徴集兵を招集することで人員を確保することが比較的容易でした(p. 163)。しかし、1965年に始まった南ベトナムに対する大規模な派兵と、その後の戦局の悪化、反戦運動の高まりなどから、この軍事制度に対する社会的な支持は急激に低下し、兵役を忌避する若者が増加しました。

「徴兵制が不人気であったために、選抜徴兵制は多数の忌避と抵抗に対応しなければならなくなった。1,000万人以上が徴兵された第二次世界大戦で良心的兵役拒否(conscientious objection)と見なされたのは、わずか7万2,000人にすぎなかった。15万3,000人だけが徴兵された1970年から1971年にかけて、12万1,000人以上の若者が良心的兵役拒否を申告した。つまり、良心的兵役拒否を申告した者の割合は第二次世界大戦の100倍であった。結果的にマサチューセッツ州では、100人の徴集兵を獲得するため、320人以上の男性を身体検査に召集しなければならなかった」

(p. 165)

完全志願兵部隊の検討が開始されたのは、リチャード・ニクソン政権(1969~1974)の時期でした。ベトナム戦争で和平合意がまとめられ、アメリカ軍は徴兵業務を停止し、1973年に完全志願兵部隊への移行が実現しました。著者は、この影響でアメリカ軍では人材の質が低下したことを指摘しています。これ以降、新規採用者の3分の1に相当する兵士が3年任期を全うできなくなってきました(p. 175)。入隊に関する試験の成績が改竄されていたことや、部隊で下士官に対して否定的な見解が増加したことも報告されました(Ibid.)。部隊は任務達成に必要とされる練度に到達できなくなり、戦車兵の射撃検定では不合格になる事例が増加しました(Ibid.)。専門的な技能を培い、高度な人的資本を形成する上で志願制への移行は不利に働いたといえます。

その後、アメリカ軍は志願制の下で部隊の効率を高めるように取り組むのですが、著者の著作の初版は1985年であるため、その取り組みの成果は反映されていません。ただ、著者が指摘したように、国民から幅広い理解が得られなければ、軍隊の人事基盤を安定的に維持することが難しいこと、軍事的な必要だけを考慮した軍事制度は存続が難しいという知見は今でも重要性を失ってはいないと思います。

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