武内和人|戦争から人と社会を考える

戦争に関する研究成果を紹介します。大学では政治学を教えていますが、人文科学、社会科学の…

武内和人|戦争から人と社会を考える

戦争に関する研究成果を紹介します。大学では政治学を教えていますが、人文科学、社会科学の研究全般に関心があり、軍事学も研究しています。この筆名で行っている活動は勤務先と無関係です。過去の記事はプロフィールにまとめています。

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宇宙開発の政治史を記述した先駆的研究The Heavens and the Earth(1985)の紹介

1957年にソ連が打ち上げた人工衛星スプートニク1号はその後の国際政治の展開に大きな影響を及ぼす出来事でした。アメリカ国内ではソ連に宇宙開発で追い抜かれたという危機感が高まり、宇宙関連技術に関する研究と教育への関心が高まるきっかけとなりました。当時の大統領だったアイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)も、この世論の高まりを受け、宇宙開発を推進しますが、同時に宇宙開発の軍事利用に歯止めをかける必要があると考え、軍隊とは別の連邦政府の機関として1958年の

    • なぜ戦間期の英国はドイツとの対立を避け、宥和に動いたのか? The Ultimate Enemy(1985)の紹介

      1933年にアドルフ・ヒトラーが新政権を発足させてから、ドイツは将来の戦争を見据え、軍備を積極的に拡張しました。ただ、その進展状況に関する情報は注意深く隠されたので、ドイツの意図と能力を知ることは外国政府にとって簡単なことではありませんでした。イギリスも例外ではなく、当時のドイツの情報を取得することに苦戦していました。 カナダの歴史学者ウェズリー・ワーク(Wesley K. Wark)は、著作『究極の敵(The Ultimate Enemy)』(初版1985年)の中で戦間期

      • 論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

        1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた西側諸国を驚かせました。この時のアフガニスタンで革命評議会議長として権力を掌握していたのはハフィーズッラー・アミーンでしたが、彼は12月27日に大統領宮殿でソ連の国家保安委員会が送り込んだ特殊工作員によって暗殺されました。アメリカは、このソ連の軍事行動に対して反発し、安定の方向に向かっていた米ソ関係は1979年以降に新冷戦と呼ばれるほど悪化の一途を辿ることになりましました。 冷戦終

        • 日中戦争で中国が仕掛けた交通基盤の破壊工作にどのような効果があったか?

          日中戦争(1937~1945)で中国共産党を率いた毛沢東は、日本軍の脅威に対して遊撃戦として知られる戦略を採用しました。中国国民党を率いた蒋介石もアメリカの援助を受けながら、1938年以降に日本軍の後方攪乱を目的とした遊撃戦を遂行しましたが、毛沢東が指導した遊撃戦の特徴として交通基盤の徹底した破壊が挙げられます。 例えば、谷間の隘路があれば、その入口を封鎖し、時間がゆる場合は稜線に沿って樹木を植え、そこから谷間を見下ろして日本軍を奇襲することができるようにします(菊池『中国

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        宇宙開発の政治史を記述した先駆的研究The Heavens and the Earth(1985)の紹介

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          論文紹介 イラクが核開発を進めようとした狙いは何だったのか?

          1979年3月27日、イラクの副大統領でありながら、すでに事実上の最高指導者として権力を掌握しつつあったサッダーム・フセインは、政府の高官を集めた非公開の会議で対イスラエル戦の構想について自らの考えを明らかにしました。まず、ソ連の援助で核兵器を調達し、当時すでにイスラエルが開発した核兵器の使用を抑止できる態勢を確立します。この抑止に基づいて、アラブ諸国が一致団結して通常兵器による消耗戦を挑み、イスラエルを打倒することが目指されていました。 2003年のイラク戦争以降、政府の

          論文紹介 イラクが核開発を進めようとした狙いは何だったのか?

          論文紹介 中東欧に構築されたソ連式の兵站システムの長期的影響

          軍事思想を読み解く上で、兵站は二つの側面において重要な意味を持っています。第一に、兵站は経済・社会活動と軍隊の関係を規律し、軍隊の能力を構築する上で依拠できる人的、物的な資源の上限を決定します。第二に、兵站は戦略、作戦、戦術において選択可能な部隊行動の範囲を制限します。 この視点は、ソ連をはじめとする東側の国々の軍事思想を理解する上でも通用する視点です。社会主義国は軍隊を支援する兵站システムに厳格な中央統制を取り入れ、これを発展させてきました。この経験から今でも中東欧諸国の

          論文紹介 中東欧に構築されたソ連式の兵站システムの長期的影響

          宇宙領域の冷戦史『世界史を動かすスパイ衛星』(1990)の紹介

          1992年9月、アメリカ国防総省は初めて国家偵察局(National Reconnaissance Office)の存在を認め、その活動の一端を明らかにしました。国家偵察局は、偵察、通信、観測などの機能を備えた人工衛星を管理、運用する組織であり、1960年代からソ連軍の情報を収集してきました。 それまでアメリカ軍は、偵察機でソ連領域を偵察しようとしていましたが、1957年にソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功したことを踏まえ、アイゼンハワー政権は1958年1月22日の

          宇宙領域の冷戦史『世界史を動かすスパイ衛星』(1990)の紹介

          メモ 訓練と経験が部隊の戦闘力に及ぼす影響:ラ・エ・デュ・ピュイの戦闘(1944)

          1944年7月3日、北フランスのノルマンディー地方に上陸し、内陸方面に向かって前進を開始したアメリカ軍の第8軍団は、ラ・エ・デュ・ピュイ(La Haye-du-Puits)を占領するドイツ軍の防御陣地に対する攻撃を開始しました。トロイ・ミドルトン軍団長は、作戦区域の西翼に第79歩兵師団を、中央に第82空挺師団を、東翼に第90歩兵師団を割り当て、V字型の陣形をとって、ラ・エ・デュ・ピュイの北側に位置する高地をドイツ軍から奪取するという戦術構想を採用していました(Blumenso

          メモ 訓練と経験が部隊の戦闘力に及ぼす影響:ラ・エ・デュ・ピュイの戦闘(1944)

          メモ 米軍のナショナル・トレーニング・センターで明らかにされた偵察の重要性

          ベトナム戦争の経験を踏まえ、1970年代後半からアメリカ陸軍はさまざまな組織改革に乗り出しましたが、その成果の一つとして1980年10月に活動を開始したナショナル・トレーニング・センター(National Training Center:以下NTC)の設置を挙げることができます。NTCは、現実的な戦闘訓練や機動演習が実施されており、戦術的な教訓の普及を目指して活動してきました。 NTCで研究されてきたテーマの一つには、戦闘を勝利に導くための戦術ドクトリンの開発が含まれていま

          メモ 米軍のナショナル・トレーニング・センターで明らかにされた偵察の重要性

          論文紹介 80年代に砲兵戦術における無人航空機の可能性を予見しようとした研究

          戦闘情報(combat intelligence)は、射撃、または移動を決心するため、何らかの処理や判読、他の資料との照合、集成しなくても、そのまま使用することが可能な情報をいいます。戦術レベルにおける部隊の行動は、基本的に戦闘情報に依拠しています。 例えば戦場において目標を探知、識別し、位置標定することを目標捕捉(target acquisition)といいますが、その結果として獲得した目標の位置、種類、状態に関する目標情報(target information)は戦闘情

          論文紹介 80年代に砲兵戦術における無人航空機の可能性を予見しようとした研究

          軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive Diplomacy(1971)

          強制外交(coercive diplomacy)は、すでに何らかの望ましくない行動を開始している相手に対して、その行動を中止させたり、あるいは行動を撤回させることを目的とする外交行動であり、軍事的措置をとる覚悟であることを伝えることで実行されます。1971年に初版が刊行され、1994年に第2版が刊行された『強制外交の限界(The Limits of Coercive Diplomacy)』は強制外交を成功させる条件を考察した重要な業績です。 この著作の中でもアレクサンダー・

          軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive Diplomacy(1971)

          論文紹介 地理的要因が勢力均衡に及ぼす影響はどのようなものか?

          国際政治の研究では、各国の能力の優劣を判断し、それに基づいて行動を説明する勢力均衡理論(balance of power theory)が使われることがあります。この理論には複数のバリエーションがあるのですが、基本的に脅威を認識すると、国家は軍備の拡張や同盟の強化で対応するというバランシング(balancing)を行うことが想定されています。ただし、研究者は、脅威が出現したとしても、勢力均衡理論が想定するようなバランシングが起こらない場合が少なくないことも指摘してきました。

          論文紹介 地理的要因が勢力均衡に及ぼす影響はどのようなものか?

          殺戮や破壊ではなく、精神的な衝撃の軍事的な重要性を強調したThe Human Face of War(2009)の紹介

          イギリス陸軍軍人ジム・ストー(Jim Storr)は戦闘における奇襲の意義を改めて確認し、その効果が一般的に想像されているよりも、はるかに大きなものであることを『戦争の人間的側面(The Human Face of War)』(2009)で論じています。20世紀以降に軍事学では機動戦に関する研究が続けられてきましたが、この著作もその流れに位置づけられる研究成果の一つです。 Storr, J. (2009). The human face of war. Bloomsbury

          殺戮や破壊ではなく、精神的な衝撃の軍事的な重要性を強調したThe Human Face of War(2009)の紹介

          軍隊の装備品の研究開発費を膨張させる要因を考察したThe Weapons Acquisition Process(1962)の紹介

          軍隊が装備を調達費用を最小に抑えることは、有限なリソースを最適な仕方で配分したい国家にとって重要な課題です。19世紀に科学技術が発達する過程で、軍隊の装備はますます複雑化していき、研究開発に多額の予算が必要となったにもかかわらず、肝心の装備が完成しなかったり、望んでいた性能を発揮できないこともでてきました。Merton J. PeckとFrederic M. Schererが1962年に刊行した著作『武器調達過程(The Weapons Acquisition Process

          軍隊の装備品の研究開発費を膨張させる要因を考察したThe Weapons Acquisition Process(1962)の紹介

          メモ 政治学は公務員の汚職をどのようなモデルで説明するのか?

          一般に公務員は高い倫理意識を維持することが期待されていますが、彼らも普通の人間であり、何らかの程度において利己心を持っています。最初は職務を通じて、国や地域に貢献しようと理想に燃えていた若者であっても、5年、10年と経験を積むにつれて、職務に対して報酬が見合っていないと不満を感じるようになると、あるきっかけで汚職に手を伸ばすようになることがあります。 政治学、特に政治経済学の分野で公務員の不正行為のモデルの基礎を確立したのはBecker and Stigler(1974)で

          メモ 政治学は公務員の汚職をどのようなモデルで説明するのか?

          大英帝国の覇権を可能にした電信の歴史を語る『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(1998)の紹介

          科学技術ジャーナリストのトム・スタンデージ(Tom Standage)は、19世紀にモールス符合を用いて電信システムが世界中に広まり、遠隔地と電気信号で通信する時代を描いた『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(1998)の著者です。この著作は、研究者向けの歴史学的な作品ではなく、一般の読者を対象としたものですが、その解釈は19世紀と20世紀の戦争の歴史を理解する上で興味深い示唆を提供しています。 Standage, T. (1998). The Victorian Int

          大英帝国の覇権を可能にした電信の歴史を語る『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(1998)の紹介