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ロシアを学ぶ

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こちらにはロシア関連の記事をまとめています。
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記事一覧

論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

論文紹介 中東欧に構築されたソ連式の兵站システムの長期的影響

軍事思想を読み解く上で、兵站は二つの側面において重要な意味を持っています。第一に、兵站は…

論文紹介 政治エリートが決断を下すとき、その思考はどうなっているのか?

最近の政治学で進展が見られた分野の一つとして、エリートを対象とした政治心理学的研究が挙げ…

ソ連の立場で冷戦の歴史を辿ったA Failed Empire(2007)の紹介

ウラジスラフ・ズボクの著作『失敗した帝国(A Failed Empire)』(2007)はソ連の視点で冷戦…

メモ 新興国の高度経済成長が終わると、その国の指導者は重商主義を推進する

タフツ大学のマイケル・ベックリー(Michael Beckley)准教授は、新興国の指導者が直面する課…

論文紹介 80年代の日本で提案された北方前方防衛態勢はどのような戦略構想だったのか…

1979年12月、ソビエトはアフガニスタンに侵攻し、これを軍事占領したことによって、対米関係を…

クリミア戦争でロシア軍がセヴァストポリの陥落直前に試みた反撃の悲惨さ

クリミア戦争(1853~1856)で激戦が繰り広げられた戦場の一つにクリミア半島のセヴァストポリがあります。セヴァストポリは黒海に面する港湾都市であり、ロシア海軍の基地でもありました。1854年10月から1855年9月にかけて、この要塞都市に立て籠ったロシア軍の部隊に対し、イギリス軍、フランス軍、トルコ軍、サルデーニャ軍で編成された連合軍の部隊が攻囲を行いました(セヴァストポリ攻囲戦)。およそ1年にわたる激戦の末に、セヴァストポリは陥落しましたが、その直前にロシア軍は多大な犠

ソ連・ロシアが世界に偽情報を広める積極工作の歴史を描いた『アクティブ・メジャーズ…

軍事の研究では、古くから偽情報(disinformation)を広めることによって、相手の情報活動に影…

ソ連軍が戦力相関(correlation of force)を評価する手法はどのようなものだったのか…

ソ連軍では、軍事的能力の優劣を評価するため、戦力相関(correlation of forces, COF)という…

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論文紹介 2014年のウクライナの人々のツイート内容から見えてくる世論の動向

2014年はウクライナの歴史において激動の一年でした。2014年2月22日にウクライナ最高議会はヴ…

メモ 2023年版の『ミリタリー・バランス』でロシアとウクライナの兵力を確認してみた

2022年2月24日、ロシアがウクライナに対して軍事侵攻を開始してから、今日で1年になります。こ…

メモ 第二次世界大戦でソ連が米国に仕掛けた大規模な情報活動の実態

以前、「情報戦でノイズを除去し、本当のシグナルを特定する難しさを論じた『パールハーバー』…

信頼の喪失が国際政治に及ぼす影響を説明したTrust and Mistrust in International Re…

政治学の研究で最も基本的な分析対象に交渉があります。交渉を分析する場合、研究者は何が争点…

論文紹介 ロシアのウクライナ侵略はドイツの外交をどのように変えたのか?

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの侵略を受けて、2月27日、ドイツのオラフ・ショルツ首相は連邦議会で演説し、これまでの対外政策の転換期(Zeitenwende)が到来したという自らの考えを表明しました。長年にわたってドイツ政府を率いてきたアンゲラ・メルケル前首相は、ドイツの外交政策として、アメリカを中心とする西側の同盟を強化しつつも、欧州の統合を深化させ、かつロシアとの経済連携を強化することによってロシアにも積極的に関与することを基本としていました。ショ