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国際政治を学ぶ

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国際政治に関する記事をこのマガジンにまとめておきます。
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記事一覧

文献紹介 なぜヒトラーは情報戦に敗れたのか:Hitler's Spies(1978)

2024年1月、軍事情報の歴史を専門とする歴史学者デイヴィッド・カーンが亡くなりました。彼の…

翻訳資料 シェリング「ベルリン危機における核戦略」(1961)

軍事学では政治的目的を達成する方法の一つとして、核による脅しや使用に関する核戦略の研究が…

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論文紹介 中国が台湾に仕掛ける認知戦はどのようなものか?

認知戦(cognitive warfare)とは標的とする聴衆となる個人や集団の認知を操作し、その思考や…

どうすれば戦禍で犠牲となった文民の数を推計することができるのか

戦争の歴史で文民が軍人から区別され、法的保護の対象と位置付けられるようになったのは比較的…

論文紹介 冷戦終結が世界的な内戦の増加の原因だったわけではない

1991年にソビエト連邦が崩壊し、冷戦構造がなくなったことによって、世界では途上国を中心に内…

論文紹介 中国の圧力に立ち向かうフィリピンの国家戦略はどのようなものか?

南シナ海において中国が領域支配の現状変更を試みていることに危機感を覚えている国の一つにフ…

なぜ大国の脅しが失敗するのか?: Coercion, Survival, and War(2015)の紹介

国力に優れた大国は、自国の要求を他国に押し付けやすくなるというイメージがありますが、実際には譲歩を引き出せる場合ばかりではありません。国家間の能力で明らかに劣っている小国は、大国と武力紛争になれば勝ち目がないことを認識していますが、それでも外交において譲歩することを頑なに拒むことがあります。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。 フィル・ハウン(Phil Haun)は2015年の著作『強制・生存・戦争:なぜ弱小国がアメリカに抵抗するのか(Coercion, Surviva

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どうすれば戦争のエスカレーションを抑制できるのかを考察した先駆的研究War(1977)の…

アメリカの政治学者リチャード・スモーク(Richard Smoke)は歴史上の戦争の過程を分析するこ…

複数国が参加する連合作戦は外交交渉と不可分の関係にある:1943年のカサブランカ会談…

1943年1月14日、フランス領モロッコで開催されたカサブランカ会談は、第二次世界大戦で同盟関…

論文紹介 なぜウクライナは1994年に核兵器放棄を決断したのか?

1991年にソビエトが解体され、ウクライナが国家として独立したとき、その領土にはソビエト軍が…

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なぜ戦間期の英国はドイツとの対立を避け、宥和に動いたのか? The Ultimate Enemy(19…

1933年にアドルフ・ヒトラーが新政権を発足させてから、ドイツは将来の戦争を見据え、軍備を積…

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論文紹介 なぜソ連は1979年にアフガニスタンに侵攻したのか?

1979年12月、ソ連は国境に集結させた部隊をアフガニスタンの領域に侵攻させ、アメリカを含めた…

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論文紹介 イラクが核開発を進めようとした狙いは何だったのか?

1979年3月27日、イラクの副大統領でありながら、すでに事実上の最高指導者として権力を掌握し…

軍事と外交を統合する戦略を探求したジョージの強制外交理論 The Limits of Coercive Diplomacy(1971)

強制外交(coercive diplomacy)は、すでに何らかの望ましくない行動を開始している相手に対して、その行動を中止させたり、あるいは行動を撤回させることを目的とする外交行動であり、軍事的措置をとる覚悟であることを伝えることで実行されます。1971年に初版が刊行され、1994年に第2版が刊行された『強制外交の限界(The Limits of Coercive Diplomacy)』は強制外交を成功させる条件を考察した重要な業績です。 この著作の中でもアレクサンダー・