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戦争と社会福祉の意外な関係:ティトマスが語る福祉国家の軍事的な意義

社会福祉(social welfare)とは、あらゆる国民を対象にして、その生活を向上させる社会的サービスをいいます。1945年に第二次世界大戦が終結すると、イギリスでは「揺り籠から墓場まで」というスローガンのもとで、国民に最小限度の生活水準を保障する社会福祉政策が展開され、政治的な重要性が増してきました。政治学の研究者は社会福祉を重視する国家体制を福祉国家(welfare state)という類型で区別しており、現代の工業先進国の特徴の一つとしてさまざまな研究を行っています。

この記事では、この分野で先駆的な研究者だったリチャード・ティトマス(1907~1973)の説を紹介したいと思います。彼は近代国家で社会政策を重視するようになった理由は軍事的必要性に応じるためであったと説明しています。

リチャード・ティトマスは何者なのか

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ティトマスはもともと研究者だったわけではなく、保険会社に勤める保険調査員でした。1919年に第一次世界大戦が終結して以降、イギリスでは平和運動が大きな盛り上がりを見せましたが、ティトマスはその運動に関わることで、政治への興味を深めていきました。保険調査員として働きながら、人口統計に関する独自の調査研究を行うようになり、その成果を刊行物として出版しています。

1939年にドイツとソ連がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発し、イギリスがフランスと共に参戦すると、ティトマスは人口統計の専門家として政府の顧問を務める機会を得ました。ティトマスは人口の要因を理解することが、目下の戦争を遂行するためにも、また戦後の復興のためにも欠かせないと主張し、世間の注目を広く集める存在になります。

1942年に労働党に入党し、ウィンストン・チャーチル政権で内閣直属のスタッフの一人となり、保健省の政策史を担当する歴史編纂事業に参加しました。1950年に完成した『社会政策の諸問題』は高い評価を受け、ティトマスは社会福祉の専門家として地位を確立し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの社会行政学教授に就任します。その後も、イギリスで社会福祉政策をめぐる議論で積極的に発言し続けました。

戦争の近代化が社会福祉政策を必要とした

ここからはティトマスの思想の内容に移ります。ティトマスは戦争と社会福祉の関係を「戦争と社会政策(War and Social Policy)」(1955年の講義の内容を1958年に出版)の中で戦争が近代化するプロセスを4期に区分しながら議論を展開しました。

第1期は19世紀に始まります。この時期までの戦争には一部の限られた社会階層だけが参加する特性がありましたが、次第に徴兵を通じてあらゆる社会階層が関わる形態へと戦争が変化し、軍事的動員を目的とした政府による人口統計の整備が進みました。政府統計が整備されたことは、その後の社会福祉政策の基礎的資料として非常に重要な役割を果たすことになりました。

第2期は軍隊が任務遂行能力を持つ人材を医学的基準に基づいて評価するようになった時期です。イギリス軍では1899年から1902年まで続いたボーア戦争で各個人の任務遂行能力の適否を評価するため、さまざまな審査を行うようになり、次第にその評価制度が軍隊の内部で広まっていきました。その結果として、兵役に適さない状態にある人員が医療、福祉の対象として認識されるようになりました。

ここに福祉国家の構想の萌芽を見つけることができますが、この時期の調査対象は軍隊に志願した者、あるいは軍隊にすでに所属している者に限定されており、国民を幅広く調査対象としていたわけではありませんでした。

第3期はボーア戦争の終わりから第一次世界大戦までに該当します。この時期には、全国民を広範囲に動員する軍事的な必要が生じたために、政府は軍隊だけでなく、全国民の福祉を向上させる政策の必要を認識するようになりました。この時期に注目すべき新しい政策として、将来の所要兵力を見越した児童対象の社会福祉政策があり、学校給食制度、学校検診制度、予防接種制度などが発達したことは、福祉国家の形成にとって重要な一歩となりました。

第4期は第二次世界大戦が勃発した後です。この時期には防空対策や勤労動員の関係から、非戦闘員の戦意を高い水準で維持する必要性が認識されるようになり、政府として国民に最低限の生活水準を保証し、医療提供、住宅提供、食料配給などを包括した総合的な社会福祉政策が発達しました。ティトマスは、社会福祉の歴史を戦争の歴史と関連付けることによって、その政治的な重要性を強調しようとしていると解釈することができます。

まとめ

社会福祉政策の軍事的意義を強調するティトマスの解釈に対しては、研究者から異論も唱えられているので、その妥当性については慎重に考える必要があるでしょう(例えば、Mommsen 1981)。またティトマスの思想には優生学の影響が見られることについても考慮しておかなければなりません。

ただ、戦争と医療の歴史に関する研究成果と照らし合わせるならば、戦争の歴史と社会福祉政策の歴史を対応させて理解する彼の視点には有意義なものがあったと言わなければならないと思います。

19世紀の前半までは、軍隊の兵士の健康状態を維持する仕組みは非常に貧弱で、衛生の観念が乏しく、多くの負傷兵が戦場で適切な治療を受けられないまま死亡していました。19世紀には一般徴兵制が各地で導入され、戦闘に参加する兵力の規模が拡大し続けていたにもかかわらず、軍隊の医療供給能力は限定的でした。しかし、19世紀の後半にドイツで公衆衛生、さらに社会医学の考え方が登場すると、次第に軍隊は兵士の健康を管理する組織的な取り組みを発達させるようになっています。

第一次世界大戦以降の総動員でアメリカ軍は徴兵検査を通じて大規模な医学的調査を実施しており、国民の健康状態に関する新たな知見を政府にもたらしています。例えば、軍務に支障を来すような深刻な口腔衛生に問題を抱え、治療を必要とする若者が徴兵前の想定よりも数多く存在することが報告されたこともあります。

参考文献

R. Titmuss. 1963(1958). Essays on the Welfare State, George Allen & Unwin.(邦訳、谷昌恒訳『福祉国家の理想と現実』社会保障研究所、1967年、4章
W. J. Mommsen, ed. 1981. The Emergence of the Welfare State, Croom Helm.

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