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論文紹介 軍隊に入った若者が忠実な国民になるとは限らない

兵役を国民の義務として、軍隊に入隊させたとしても、彼らの心に国民の自覚が芽生え、国家共同体と一体化し、愛国的な精神が育まれるとは限りません。軍隊教育が国民形成に寄与するかどうかは状況次第であり、このことはKrebsが「国民の学校? 兵役はいかに国民を形成しないのか、またいかにして国民を形成するかもしれないのか」(2004)で詳しく説明しています。

Krebs, R. R. (2004). A school for the nation? How military service does not build nations, and how it might. International Security, 28(4), 85-124. https://www.jstor.org/stable/4137450

兵役を義務化することによって、国民を一体化させることが可能であるという見解をさまざまな情報源から集め、その内容を分類してみると、おおむね3種類の異なった説明が行われていることが分かります。

一つ目は「社会化仮説」として分類できる説明であり、兵役を経験した個人は国家に好ましいイデオロギー、規範、思想を受け入れるようになり、それらを自分の信念として身に着けるため、国民としての一体性が強化されると考えられています。二つ目は「接触仮説」と分類される説明であり、兵役を通じて多種多様な民族集団、階級集団、宗教集団と交流を深めることにより、国民の一体化が進むと考えられます。三つ目は「エリート変容仮説」であり、一部の兵士が国民の一体化を推し進める上で指導力を発揮するエリートとして活躍すると考えられています。著者は、これらの仮説はどれも厳密な検証には耐えられるものではないことを一つずつ反証しています。

社会化仮説は、軍隊に長く所属するほど、その個人の内面に軍人の規範が深く入り込むという心理的メカニズムを根拠としています。これは一見するともっともらしく見えますが、その効果が生涯にわたって永続するはずだと想定しており、社会的アイデンティティが状況や文脈に応じて柔軟に切り替わる性質があることを無視しています。軍歴を持つ個人でも、それ以外のあらゆる社会的アイデンティティが自動的に抹消されるわけではありません。アメリカで退役軍人を対象とした社会調査の結果によれば、ほとんどの軍人が軍隊時代に身に着けた行動様式を見直し、民間人の生活に適応しています。一部にこのような変化から逃れ、民間人の生活に適応しようとしない個人もいますが、それは例外的な存在にすぎません。

接触仮説にも深刻な問題があると指摘されています。軍隊の内部で社会的に異質な集団と接触したからといって、彼らに対して友好的な感情を持つとは限らず、むしろ差別や偏見がさらに助長される恐れさえあります。この接触仮説は民族や宗教の差別が無知に由来すると想定している点で、誤解を招くものです。認知心理に関する研究から、人々は新しい情報に接したとしても、ステレオタイプを維持する強い傾向を持っていることが分かっています。もし自身の偏見と矛盾する情報に接したとしても、それを受け入れないか、あるいは例外として処理します。アメリカ軍は1950年に勃発した朝鮮戦争以降、人種差別の問題に継続的に取り組み、数多くの黒人が軍務に従事していますが、アメリカ社会で人種差別が根絶されたことは一度もありません。第二次世界大戦で多くのユダヤ人がアメリカ軍にいましたが、兵士の間で反ユダヤ主義的な差別と偏見がなくならず、戦後により大きくなったことも報告されています。

エリート変容仮説にも確たる根拠がありません。サミュエル・ストーファーらの研究によれば(第二次世界大戦の兵士の社会心理に迫る古典的な業績『アメリカ兵』(1949)の紹介)、第二次世界大戦で軍務に従事した兵士は社会的活動にほとんど関心を持っていませんでした。第二次世界大戦で従軍した一部の黒人の兵士もアメリカ南部に蔓延する差別を是正することに関心を持っていたわけではなく、戦後も権利を主張することはしませんでした。彼らのほとんどはビジネスの世界に身を置くことを選択し、地域のコミュニティーを束ねる指導者となることはなかったのです。軍歴があるからといって、社会の各界で指導的な役割を果たす人材になるという議論には明確な根拠がなく、逸話的な例を見出すことができるにすぎません。

著者は、軍隊が国民の形成を促す装置のように見なすことは誤っており、この前提に基づいて研究を進めることに反対しています。むしろ、国民の地位をめぐる交渉の歴史に注目する必要があり、軍務に服することは、国民としての権利を要求するために取引される材料だったと考えるべきでしょう。例えば、戦時に多くの兵力を動員しなければならない場合、国家は社会から多くの労働力を抽出し、軍務に従事させる必要に迫られます。この時期に少数派の民族集団の指導者は、兵役を課すのであれば、公民権、参政権を拡大することを認めるように圧力をかけることも考えられます。

見出し画像:U.S. Department of Defense

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