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【夢と希望に満ちた青春の始まりを、親友の彼女に壊された学生時代の物語】 〜佐川恭一 シン・サークルクラッシャー麻紀〜

大学に入学して一か月後、イツメン(いつものメンツ)と呼ばれるグループが構成された。
私を含め男四人そして女三人のグループだった。その中に由香里という法学部の女がいたのだが、彼女は私たちの中で最も賢く、一時限目の授業にもしっかり出席する優等生であった。
「彼氏が出来たら皆とは集まれなくなるからヨロシク☆」
酔うと彼女は豪語した。「はいはい」と笑い飛ばしていた我々であったが、それから半月後、由香里は難なく彼氏を作ってしまう。送別会をすることもなく、由香里はあっさりとグループから抜けた。

「由香里、なんだかんだで可愛いもんな。頭もいいし」
みんなのまとめ役であった岡本はそう呟きながら、彼女が宅飲みで開栓しなかったほろよいをテーブルの上でごろごろ転がしていた。
「仕方がない。いずれこうなると分かっていたことだ。」
こちらへ転がってきたほろよいを、指先でピンとはじいて岡本の方へ返す。缶のふちにぶつかった爪に小さな痛みが走る。岡本はぴたっと人差し指の平で受け止めると「少なくとも俺はしばらく恋とか無縁だわ」と情けなく笑った。実は私にもいい感じになりそうな女の子がいることを彼は知っていた。

『その女の子、うまくいくといいね。』
『由香里みたいに相手からぐいぐい来られてるわけじゃないからな。あまり自信はない。』
『わたしと成生君がリア充になったら、一気に二人抜けちゃってみんな寂しくなるかもね。』

由香里との会話を思い返し、浮つく気持ちを押し隠す。友人たちと過ごす時間も大事だったけど、当時はそれ以上に恋人が欲しかったのも事実だった。
七月。完膚なきまでに恋破れた私はそのままグループに留まっていた。男の顔ぶれは変わらなかったが、女性陣には新たにPという女の子が加わった。奔放でマイペースなお嬢様系であったPは、私の苦手なタイプだった。

「実は僕、Pと付き合うことになったんよ。」
ジョーが打ち明けてきたのはとある日の授業終わりだった。ジョーは人当たりの良い温厚な青年で、グループの癒しキャラ的存在であった。私は彼と仲が良かった。同じ学科で同じクラスであり、偶然にも誕生日が一日違いという点も重なったことから妙な親近感を抱いていた。グループが作られる以前から二人で遊んでいたし、グループで遊ぶことのない日も一緒に過ごしていた。初めての一人暮らしに感じる心細さも、一緒にいれば全く気にならなかった。大学生活の四年間、私は、彼といかなる青春も共有するものだと思っていた。
「僕の家でPと半同棲することになったから、これからは二人で遊べなくなるかもしれん。ごめん。」
私の思い描いていた未来はあっけなく崩れ去る。気まずそうに告げるジョーとの間に、一瞬だけ大きな壁が出来上がったのを感じて思わず顔がこわばる。突如頭の中で発生した竜巻は、生まれるはずだった大学生活の思い出をことごとくなぎ倒していく。
「よかったじゃん。」
私は無理矢理引き上げた口角をジョーに向けた。微妙な面持ちだったジョーの顔がほころぶ。
「ありがとう。」
それはとても素直な返事だった。エアコンの風が冷たいのか、ジョーは腕を軽くさすった。Tシャツの袖から飛び出たそれを見て、自転車のハンドルを握っている姿がふと目の裏に浮かぶ。暗がりに映し出された渡月橋に向かい、阿呆みたいな奇声をあげた深夜が急に恋しくなってくる。今夜、もう一度行こうぜ。心の中で誘う。伝わらない言葉の風は葉っぱ一枚さえ揺らせない。
Pによって壊された青春が、新たな始まりを告げていた。

奔放な犬のようなPとマイペースでのんびり屋のジョーの相性は完璧だった。常にべたべたとくっつき、周りからバカップルと称されてもどこ吹く風だった。ジョーは嬉しそうに冷やかしを受け流す。その様子を見るたびに、どうにもならない嫉妬心が己の全身をゴウゴウと焼く。初めて出来た彼女に浮かれる笑顔と童貞を卒業したことによって生まれた独特の雰囲気が、私との距離をどんどん広げていく。

恋人と化した二人の関係性はグループに大した影響を与えなかった。むしろ、みんなそれを喜んで受け入れていた。月日を越えるごとに私を除く全員の親密さは増し、タコパやユニバやスポーツ観戦や旅行などの行事が増えていった。
ジョーとPが楽しげに過ごしている以外は、以前と何ら変わらないはずの光景。それなのになぜだろう、胸が苦しくなるようなこの居心地の悪さは。誰かが笑うたびにつらい。誰かが遊びを提案するたびに拒否したくなる。私にとってこのグループは一体なんなんだろう。

「ねえ、ジョー。岡本がいじめてくるうー。」
「こら。岡本。やめんかい。」
「おっ!彼氏にチクったぞ!」
まるで決まり事かのようにみんながヘラヘラと笑う。私も彼らの表情に無理矢理ついていく。ジョーの腕にカブトムシのように捕まって頬を膨らませるP。「私の家でイチャイチャするな、バカップル!」と女子AがPの口にミニシュークリームを突っ込む。はむはむと口を動かしながら「おいひい」と呟くP。その頭をポンポンするジョー。「くそ、こいつらつまみだせ!」男子Bが自らの膝を叩いて叫ぶ。私は中途半端に両手を叩き合わせ、あたかも楽しんでいる姿を懸命に装う。そうだ、この女をつまみだせ、今すぐに。女子Bが手洗いから帰ってきて「なになに?」と輪に加わってくる。「岡本にいじめられた~」と甘えるPに女子Bは「あらあら」とクールな笑いを向ける。
私は手に付いたポテトチップスの油を落とすために席を立つ。いや、落とすためではない。席を離れるために落としに行くのだ。賑やかな声を背中に受けながら洗面所へ行き、何となく手を水に浸す。そして浮かない気分のまま再び彼らの元へと身体を引きずる。

少しだけ期待していた。ほんの少しだけ。この際ジョーじゃなくてもよかった。自分を迎えてくれる誰かの香りを感じられればそれでよかった。だがそこにあったのは、先程までと何ら変わらない完成された香りだった。それは不可抗力的に鼻へと流れ込んでくる。他人たちが作った香り・・・あたかも・・・疎外的な香り。
緩やかなジョーの笑い声が耳を刺激し、思わずジョーの肩に腕を回したくなる。そしてそのまま一緒にAKB48のヘビーローテーションを大熱唱したくなる。満面の笑みをたたえながら、身体を左右に動かす二人の影が頭に映し出された。どういうわけか目の奥から熱いものがこみあげてくる。私は思わず上を向いた。もちろん誰も気付かないし、絶対に気付かれてはいけない。
「ごめん。ちょっと別の友達に呼ばれたから行くわ!じゃ!」
突如私は荷物をまとめ、固い笑顔で女子Aの家を飛び出した。ドアが閉まる寸前、「またな!」と叫ぶ岡本の声がした気がして、一瞬、ぶるっと視界が歪む。私は階段を駆け下りて自転車に飛び乗り、やたらめたらにハンドルを切って無我夢中でペダルを踏んだ。
もちろん、行く当てなどない。
もちろん、戻るべき場所もない。

あれから十年以上経って思う。Pの存在はあのグループを壊したわけではなかったし、私とジョーの間を引き裂いたわけでもなかったと。ただ、Pと私は似ていたのだ。友情と恋愛という関係性の違いはあれど、我々は互いに同じ目的でジョーを求めていたのだ。壊されたと解釈したのは、傷を負った自分を演出することでジョーの役割を誰かに担ってほしかったのだろう。しかしそんな意図など誰にも分かるはずがない。だから私は自分で自分の居場所を壊したのだ。新しい誰かと過ごす青春を見つけ出したいがために。
由香里は彼氏とセックスにいそしんでいるんだろうか、しょうもない妄想を広げて一人ぼっちになった自らの境遇を嘆く。しかしそれは決して悲しいことではない。自分にはまだ、不明の未来を掴み取る余地があるということであるから。

「彼女が出来たらお前とは集まれなくなるからヨロシク☆」

豪語した私はそれを果たせぬまま、じゃんじゃかと男臭い酒を浴びていた。あいつは空になった日本酒の瓶をテーブルの上でごろごろ転がしていた。
「仕方がない。どうせこうなると分かっていたことだ。」
こちらへ転がってきた瓶を、指先でピンとはじいてあいつの方へ返す。ぶつかった爪に小さな痛みが走る。あいつはぴたっと人差し指の平で受け止めると「俺もしばらく恋とか無縁だわ」と情けなく笑った。
私にいい感じの女の子などいないことを彼は知っていた。


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