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10章 AIと共に (1)杜家も共に成長してゆく(2023.12改)

寿司屋のバイトの無い日は、大抵 図書館で翻訳作業をしている。
自身が図書館司書だったのもあるが、子供の頃から本のある空間が好きだった。
物事が付いた時には父親は他界しており、面影すら覚えていない。
母親は海洋生物の研究で海と大学に出掛ける機会が多いので、幼少期は五箇山の祖父母の元で育った。

「本から知識と知恵を学んだ」モリに出会った頃の金森 蛍は、書籍に絶対的な信頼を抱いており、異性への関心など無い様に見える読書一辺倒の女性だった。
ある日、目の前に忽然と現れた男性に恋焦がれ、恋愛小説や少女漫画の世界をようやく理解できるようになった。出会った男と入籍して杜 蛍となった前後で、女性ならではの感情が遅ればせながら覚醒し、人としての機微が備わったのだろうと、蛍は客観的に自身を分析していた。

卒業して図書館司書として勤務したばかりの杜との遭遇から、結婚に至るまでのプロセスを強力に後押ししたのは母だった。
「彼に全てを学びなさい」と勧められた。その頃、娘と同等、否、女性としての感情を母は有していたので、蛍よりも男に夢中になっていたのかもしれない。
結果、母娘で男性を共有し合う家庭となり、母と娘が隔年おきに出産し始めると「杜家のカタチ」が固まっていった。
母は海外に居る男性の存在を周囲に仄めかし、2度の妊娠出産時は休職して実家の五箇山に帰省して火垂と海斗を産んだ。周囲と閉ざされたような環境にある五箇山のムラ社会は、出産を隠すには絶好の場になると母は察していた。

歩とあゆみを妊娠していた頃の蛍は、五箇山で生活しながら「自分の子として」生まれたばかりの火垂と海斗を育てた。その「偽装」が成立出来たのも、五箇山の人々が「ムラの子供達」として暖かく受け入れ、母の学友の婦人科医師が加担してくれたからだった。

変則的な形態で始まった杜家がコロナという異常事態に遭遇して、疎開という選択肢を取った今年になって、娘は母に温めていたプランを相談するようになる。
紆余曲折を経てママ友3人を杜家に招き入れた後で、招かれず、声すら掛けてくれないと不満を漏らすママ友が少なからず出始めた。
翔子、里子、幸乃は寡婦であって、離婚して独り身になった訳ではなかった。それに誰よりも「人格者」だった。 
「旦那さんと離縁に至った原因は、あなたにもあるんじゃないの?」というバツ1のママ友との共同生活は、どうしても考えられなかった。期せずして関係に距離を置く状況となり、蛍としては楽になった。

「幸乃と、里子さんの妊娠を知った時、心の底から喜び、歓迎している自分の感情を知った。火垂と海斗を身籠ったって、お母さんが神妙な顔して、申し訳なさそうに報告した時と同じだよ」
幸乃と里子の妊娠報告を受けて、蛍は母にそう告げた。その時、3人以外のママ友がもしメンバーに加わって妊娠していたなら、同じ感情は抱かずに嫉妬と怒りの感情が支配していたかもしれないと想像した。

この夏、蛍は夫に抱いている感情「信頼感」に近いものをAIに対しても抱くようになった。 翻訳も瞬時にこなすので、作業効率が格段に捗るようになった。AIの理解言語が英語から始まったのも蛍の翻訳作業にはプラスに作用した。蛍の仕事も残されているからだ。日本語の表現や日本人的な感情の起伏などの繊細な箇所を修正して、原作者の意図を汲み取りながら、文章編集作業を行う。所謂、「最後の見直し」作業に没頭するだけで済むので「仕事のやたら早い翻訳者」「困った時は森 穂乃香」と出版業界では言われているようだ。蛇足だが、プルシアンブルー社からも謝礼金を貰うようになった。アイリーンを翻訳作業で使うようになってから日本語の表現力が豊かになったと、エンジニア達から評価された。

時計を見て作業終了と判断する。

PCを仕舞い、ほぼ定位置になっている机から立ち上がり、持ってきた参考図書を棚に戻す。今日は買い物をして帰ろうと思い立ち、野毛山にある県立図書館を出て桜木町駅まで商店街を歩いてゆき、スーパーに入った。PB Martで買ってばかりいると料理が画一化するので、時折違う店舗で購入する。「世間の相場」も知ることが出来る。

源 翔子がPB Martの食品部門のトップに就任してから、商品のラインナップもさる事ながら、栄養素など食品の「質」「鮮度」が様変わりしたように思う。価格は据え置きのまま、コスパの良い状態なのだが、他所のスーパーの生鮮食品売り場に来ると仕入れの問題なのか、コスト優先なのか、全体的にイマイチな状況にあるのが見て取れる。翔子のお陰で「商品の目利き」が効くようになった。
惣菜売り場に来ると「新商品投入を計画中」という翔子の週末の発言を、蛍は思い出す。
ロシア沖・オホーツク海域で捕獲する海産物で、ボリューミーな海鮮弁当と海鮮寿司とおにぎりをラインナップに加えると言っていた。コメはタイ・ベトナム産の無償栽培タダ同然のジャポニカ米、安価なロシア沖海産物との組合せで更なる価格破壊を講じているとも言ってたな・・と。
そこで蛍は思いついた様に考え始めた。惣菜店や寿司のチェーン店が商店街には必ずある。正直に言えば2度と買わないと誓っている店だ。インスタント食品と同じ様な添加物の味が鼻をついた。

その対抗馬となる安心安全な惣菜チェーン店を、商店街や駅前に出店したらどうだろう?と画策し始める。
「出店する商店街の八百屋や肉屋、モノによっては魚屋さんから仕入れて共存共栄を計り、惣菜は極力調理して、おにぎり・寿司類はロボットに生産を託すような店は、案外イケるのではないか・・」

「後ろからスミマセン〜」
商品棚の前で考えて事をしていたら、後方から客の手が伸びてきた。
「す、すいませんでした」
慌てて棚の前から避けると、蛍は精肉売り場へ足早に去っていった。

ーーー

全国模試の結果が出て、担任教師から生徒に模試実施会社の試験結果レポートが渡される。志望校全てが合格圏内と判定されたので杜 火垂は安堵する。結果も満足行くものだった。

「校内順位はトップ20の順位まで掲示板に掲載される。午後には張り出されるだろう」
担任の教師が言う。その時、前席の女子に試験結果を奪われてしまう。呆けていてスキだらけ状態だった自分を諌める。

「火垂くんは大学行ったらサッカーしないの?」酒井未来がホームルーム中なのに堂々と振り向いて言う。

「どうして、そう思ったの?」
採点結果やどんな志望校になのか、普通は知りたがると思うのだが・・

「だってさ、国大でサッカーが強いとこなんて無いじゃん」

「あるさ、強くなればいいんだよ。ウチのサッカー部のようにね。それより前向きなよ、先生が睨んでる・・」
慌てて酒井未来は前を向いた。それより2人のやり取りで、火垂の志望校が私学ではなく国立だと知れてしまった。1年2年生時に2年連続で県の選抜選手に選ばれた火垂の元には、私学からサッカー推薦入学の通知が届いているのを皆が知っている。因みに、県選抜はU17なので、17歳以下の2年生が主力となる。

県の選抜メンバーはサッカー名門校の生徒が9割を占め、火垂の学校からは兄弟のみ選ばれた。
火垂と弟達は同じ大学に入って、今の高校のように名門校を脅かすチームにしようと画策していた。OBや上級生が幅を利かせる体育会系のし絡みに捕らわれない大学のサッカー部で、入学早々から自分達が主導権を握って、好きなようにプレイする発想だ。有力なツールであるAIも手に入り、プランを強固に支えてくれるだろう。

「真のコーチ」は今のサッカー部が使っている、弟達が構築中のAIに任せようと考えていた。
全体練習のメニューから、ポジション毎の練習と個々人の分析まで担い、サッカー名門大学のプライドを打ち砕くチーム作りをする野心を抱いていた。実際、酒井未来が言うように志望校の国立大は強豪では無い。しかし強豪校に仕立てるのだ、来年からは・・そんな企みを抱くのも 「カエルの子」だからなのかもしれない。それだけ、AIが杜兄弟に与えたインパクトは大きかった。

クラブチームの下部組織が優れており、大学サッカー部はその下に位置する、といったカテゴリー的なものを打破するツールになるかもしれないとも火垂は期待していたし、弟たちはAIの成長度合いを見て「下剋上が出来る」と、兄のプランを信じるようになった。
火垂の1学年下の弟の歩は、昨年兄と共に神奈川県選抜メンバーU17に選ばれた。弟の海斗が入学してきたが、2020年はコロナで新人戦も練習試合も開催されず、選抜選手の選考も行われるのか分からない。その為、部員の覇気も上がらない練習の日々が続いていた。
歩と海斗は家に帰るとプロチームの無観客試合の映像を選んでAIに取り込み、「AIが、もしチームαのコーチだと仮定して、次の対戦相手と どのようなフォーメーションで如何なる戦術で戦うか?」と今度の週末の試合のシュミレーションさせて、実際のゲームを共に鑑賞しながら評価しあっていた。僅か数試合でAIが試合の評論家のようになった。また暫くすると、本物の監督の采配を褒めたり、批判をしたりするようになる。AIの習熟度の速さに驚かされる毎日だった。歩と海斗を驚かす、コアな発言が飛び出すのも最近では頻繁で、高給取りの監督に成り代わってAIが采配を取った方が良いと確信していた。

「火垂くん!」
上履きから履き替えて、昇降口から出ようとした時だった。振り返ると、同じクラスで前の席の酒井未来だ。最近、妙に近づいてくる・・

「模試の学内トップおめでとう。凄いね、模試でも負けるとは思わなかったよ」

「え?トップって・・あぁそうか、掲示板を見てなかったよ・・。教えてくれてどうもありがとう。じゃ、お先に失礼」
何事も無かったかのように火垂は酒井未来から去ってゆく。声を掛けた酒井にとって、2重のショックとなる。私立理系コースだった火垂が、秋から国立理系に志望を変えて学年トップに躍り出た。その上、学内の順位には何の関心も示していないのだから。
万年平均点だったサッカー小僧に一体何があったのか、泥を塗られた格好になった酒井未来は「負けるもんか」と雪辱を誓い、それでもやはり悔しくて下唇を噛んでいた。

杜 火垂にすれば、志望校でA判定が出た事でまずは満足したので、模試の学内順位は どうでも良かった。全国の高校3年生と浪人生が火垂が競う相手であり、5教科総合で217位だった火垂の順位では、まだまだ上には上が居るのだと自身に鞭打っていた。


高校3年のクラス担任教師の会議では、それなりの数がある学校推薦の候補者の選定を行っていた。3−B担任教師は他のクラス担任から責められて少々頭の痛い状況になっていた。杜 火垂を個人指名する大学が増えているのだ。
夏まで同校の教諭だった父親が、政治に転じてからの破竹の勢いに、子女を取り込んで政治的に近づこうとしているように見える。

都内の有名私大に通っている養女姉妹の大学2校と国立を除く東京6大学の7校に加えて、サッカー推薦を出してきた3校が名乗り出ている。
その状況に火垂本人は国立大に志望を変えてしまった。
学校としては、幾つかの国大でAO入試の受験枠があるのでそれを杜 火垂に適用するとなると、枠を当てにしていた生徒には、AO入試を諦めてもらうしかない。
火垂の担任は「どうするのだ?」と教師たちから詰め寄られていた。火垂が国大へ進学するとなれば、推薦を出してきた私大にも、断わりの連絡を早々にしなければならない。

「都内の有名私大全員集合の様相ですね。本当に勿体ない話ですよね。他の生徒に割振り出来たなら良かったのでしょうが・・」 

教頭の発言に3年生の担任教師たちは苦笑いするしかなかった。

ーーーー

駅まで至る道を音楽を聴きながら歩いていると 携帯が振動する。富山の祖母だった。
「もしもーし。どした、なんかあったの?」

「いま会話できる?」

「うん・・学校から駅に向かってる最中なんだ」

「あのね、シドニー大学で友人が勤務してるんだけど、あなたが留学に興味はないか、聞いてくれないかって言って来たの。ちなみにシドニー大は、私と玲ちゃんの母校よりも国際ランクは上よ。私は悪い話じゃないと思うんだ。
日本人だから面接時に英会話力が問われるけど、火垂のTOEICの点数なら問題ないって友人も言ってる。それとね、元日本代表が一時所属した地元のクラブチームの下部組織の入団テストも受けてみないかって言ってるの」

「シドニーシティFCかな?」

「ごめん、私にはクラブチームは分からない。
取り敢えず一回ネットで会話してみない?オーストラリアだからさ、時差があっても無いようなものだし」 

「話すのは構わないんだけどさ、欧米の大学って9月入学でしょ?今、10月だよ?」

「オーストラリアの大学って3年間なのよ。
高校の卒業資格が必要だから、コロナ次第だけど春になったらあっちに行って、カレッジに語学留学とクラブチームに練習生として参加して、夏になったら面接試験を受けて秋に入学するの。
卒業したら英国の大学院に進学して、同時にプレミアリーグ入りなんてさ・・どぉ?カッコイイと思わない?」

「プレミアかぁ・・確かに夢物語だけど、悪くない夢だ・・分かった。話をしてみるよ」

「良かったぁ、それじゃ先方に話ししとくね。で、あなた、彼女の一人や二人出来たの?」

「そういうのは進学してからでしょ?留学となれば尚更慎重に考えないと・・」

「どっちに似たんだか・・」

「父さんみたいに甲斐性のある男になるように頑張るよ、じゃあね母さん、連絡ありがとう」

「えっ?・・かっ、母さん・・」

「ごめん、五箇山のおじさんからそんな話は聞いてた。
あゆみが最近、挙動不審な時があってね、アイツを問いただして聞いちゃったんだ。
・・なんとなくそうなんだろうって小さい頃から思ってた。海斗と合わせて、凄え可愛がって貰ってたからね。
まぁ安心してよ、まだ海斗には伝えていない。あいつは女子達に夢中な、世間知らず野郎だから知らせるのはまだ早い。兄弟で知ってるのは、あゆみだけだよ。
母さんには本当に感謝してるんだ、この留学話もきっとそうなんだろうってね・・じゃあね」
電話の向こうで祖母が涙ぐんでるのが分かって、火垂は慌てて切った。

確かに、知事室で金森鮎は滂沱していた。

(つづく)


富山湾

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