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福田恆存を読む

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『福田恆存全集』全八巻(文藝春秋社)を熟読して、私注を記録していきます。
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2023年3月の記事一覧

『素材について』ひたすら素材に忠実たらんとすること

『素材について』ひたすら素材に忠実たらんとすること

 この論文において福田は、文学における素材の価値について問う。

まず一方に、通俗文学というものがある。これらの作品には、素材を寄るべき大樹として利用することで、自らの価値を実際以上に高くみせかけようとするものがある。このような作品に対しては、あえて素材の価値を過小評価する必要もあると福田は述べる。

次に、他方、(こちらがこの論文の中心となるが)純文学というものがある。これらは反対に、素材を軽侮

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『批評の正しき読み方』観念のリズムで観念を鍛えること

『批評の正しき読み方』観念のリズムで観念を鍛えること

 福田はこの論文で、文芸批評とはなにかを問う。「文芸批評と然らざるものとの識別法」を語る。それにしても福田の論は、いつでも導入が難解だ。結論のようだが、抽象度が高く捉えきれないもの言いで始まる。

よく意味がわからないな、と感じていると、次の文が続く。

もちろんです、福田さん。それで理解できる人などいる訳がありません。

このように、福田の文章はつねに読者の心理的論理、心理的必然に沿って進む。沿

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『私小説のために』②新しく美を構想する力

『私小説のために』②新しく美を構想する力

 『私小説のために』の後半部分で福田は話を、西欧の私小説から日本の私小説に転じる。

そして、特殊児童の絵や民芸と、芸術とを区別すべきことを説く。

前回にも書いたが福田にとって、生活とはあくまで生活である。芸術とは、生活のうちにありながらもそれを超えんとする意思である。両者はつながっているが、間には境界線がある。

一般に古代における民衆にとって、芸術とは生活の方法の一つでしかなかった。たとえば

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『私小説のために』①生活のうちにあって埋没しない精神

『私小説のために』①生活のうちにあって埋没しない精神

 すぐれた論はすぐれた問いから生まれる。福田は『理解といふこと』で、理解は本当に美徳か否かを問い、『批評家と作家との乖離について』で、散文とは何かを問うた。では、福田は『私小説のために』でなにを問うか。

つまり、絵画、文学、方法は違えども、自分を描くとは、人間を描くとはいったいどういうことかを福田は問うている。そしてまずある芸術家に我々の注意を促す。

つづけて、福田はゲーテに目を向ける。

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『批評家と作家との乖離について』散文・この不安なるもの

『批評家と作家との乖離について』散文・この不安なるもの

 『批評家と作家との乖離について』(福田恆存全集第一巻収録)は、端的に言えば、福田恆存の作家・批評家としての態度表明として読むことができる。福田は、この論文で、「精神が精神とさしむかひに対決しえぬ現代の文壇的風潮に対して、日ごろいだいてゐる不満」を述べた。

散文というものは切ないものだ。絵画や彫刻に代表される造形美術とは異なる。散文はどうしても、作家の精神と切り離しては存在し得ない。その理由は、

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『理解といふこと』③わからないものに対する態度

『理解といふこと』③わからないものに対する態度

 仮に、『理解といふこと』に副題が付くのなら、「わからないものに対する態度について」とでもなるだろう。

この論文は比較的短いものでありながら、福田恆存という人間の思想の深部を凝縮したような感を与える。だからこそ、最初にこの論文を取り上げて改めてじっくり読んでみた。

文中、福田は漱石について述べる。漱石は「自己の誤解の能力を大切にした」人間であると。誤解の能力とは、ものごとは自分がわかるようにし

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『理解といふこと』②「理解の美徳」を捨て孤独を尊重せよ

『理解といふこと』②「理解の美徳」を捨て孤独を尊重せよ

 「理解の美徳」を称揚している現代人を福田は厳しく批判する。「客観的理解といふ美名」に惑わされ、「人間には生きて識らねばならぬものがある」ことを了解しない人間を批判する。福田によれば、「理解の美徳」に欺かれているからこそ、「無理解や誤解を大目に見のがすといふ寛大さも度胸も現代人にはない」のである。

福田の筆は、他人の理解の話から、自己の理解の話へと移る。

「理解の美徳」に欺かれた必然の結果とし

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『理解といふこと』①現代の途方もない間違い

『理解といふこと』①現代の途方もない間違い

 この論文は、「現代はとはうもないまちがひを犯しつつあるのではないか。」という一文で始まる。そして、「ほんたうに現代人はとはうもないまちがひを犯しつつあるのではないか。」という一文で終わる。氏の問題意識は、切実であるように感じる。理解するということに関して、我々は何か途方もない思い違いをしているのではないか。福田の問いかけが聞こえてくる。

福田は言う。現代から生きがいが失われている原因、それは、

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福田恆存を読む―はじめに―

福田恆存を読む―はじめに―

 これからしばらくの間、『福田恆存全集』(全八巻・文藝春秋社)を熟読していこうと思う。福田恆存さんは私に落ち着いて生きることを教えて下さった人生の師と呼べるような人物である。

私が福田さんを初めて読んだのは、大学の時であった。『保守とは何か』(福田恆存著・浜崎洋介編/文藝春秋社)を手にして読んだのが始まりである。

その中のどの文章も印象深く心に訴えかけてきたのだが、特に『一匹と九十九匹と』や『

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