「さらば」

「よし。これで終わりだな」
 もの一つない夕暮れのワンルームで僕は背伸びをした。引っ越し作業を行なっていたのだ。今日,僕はこの家を去る。二年契約で新しいところに行こうと考えたのだ。

 数日前までもので溢れていた部屋がやけに寂しくなったのを見て、初めて物件を見にきた時の事を思い出した。窓から指す暖かな陽射し。汚れひとつない美しいフローリング。この後も何軒か回る予定だったが直感が僕を突き動かした。

 ここにはたくさんの思い出がある。腹が引きちぎれそうなくらい笑ったこと,希死念慮に駆られる程悲しんだ事。心の抑揚がなく無感情で過ごした事。

 そんな日々は終わるのだ。不意に悲しみが込み上げてきた。

「じゃあな」
 僕は別れを告げて、家から去った。

 数年後、仕事の用事で昔住んでいたアパートの近くに来た。アパートは取り壊されて駐車場へと姿を変えていた。少し寂しさを感じたが目を閉じれば思い出が脳裏に甦ってくる。

「おーい いくぞ」

「あっ! はい!」
 上司の言葉で現実に引き戻されて、僕はかつて世話になった場所を後にした。


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