記事一覧
スペースを失うこと、と平和と。
思考が行きついた先。
忘れないように、覚書。
大切な人が死ぬということ。
大好きな人が死ぬということ。
亡くなった人をとても愛していたということ。
亡くなった人を想うと、
とても好きだったと実感すること。
さまざま。
捉え方、考え方としての
肉体の死
物体がなくなるという視点。
存在の死
魂は滅びない、という視点。
どちらがどちらでも、それはよくて。
個人的な状況や思想によって表現方法も自由だ
新スタイル?と言う名の旧式
TOKYO2020オリンピックが閉幕し
パラリンピックが開幕
なんだかあっという間に夏が溶けていくみたいで
せっかく出したのに袖を通していない服が
今年はやけにあるなぁって思いながらキーボードを触っています。
さっきまで大好きな人達に話を聞いてもらいながら
ご意見をいただいたり
一緒に一つの作品を構成していただく時間を過ごしていて
積み上げてきた物事の重みは
そこにどれだけの想いを掛けたかだな…
主語の在りかを変える
最近首が痛い。
『首が痛むのは目上の人を大切にしていないからだよ』
『首はお金が入ってくるときに痛むんだよ』
ってスピ会に熱心な友人が言っていたが
どっちでもいい笑
シンプルに言って頭が重いんやと思う笑
処理能力がないのに詰め込んでるから首で支え切らん。
そんなところだ。
脳が詰まってると
物事がすべて平たんになってしまって
フラットとはちょっと違う
味気ない考えしか出てこない。
大学生のころ
きっかけはいつも瞬間にある
いつだったか
晴れ間に訪れた雨を見ながら
コーシー(コーヒー)を飲んでいた事があった。
「雨はめぐみだわな」
ってぼっそりつぶやいて眺めていたばぁちゃんは
雨がいかに優しいのかを淡々と口にしてた。
「そげやって(そうして)植物に必要なもんを
黙って運ぶだけんな
ここに雨が要るだなぁって
ちゃんと見ちょー(見てる)だけん
草もわしの畑の子やち(野菜や果物たち)も
喜こんじょーわ」