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軸という線引き

最近何度かこの話を人としている
その度に自分はできているのかなと思い返しては
いつの間にか眠っている毎日ですが笑笑

昨夜ダッシュで帰宅し
敬愛する中野裕弓さん
『問題解決の方法』という
ディスカッションクラスに参加したら
そこでまたしてもこの線引き的な話が出た。


境界線とか
線引きとか
言うには言うんだけど
これまた個人的な意見ですが
この『線引き』を意識する時って
他者がどうとか状況がどうとか
そう言うことではなくて
結局自分はどうなの??って事だと思うんです。


嫌な事があってもうあの人とは関わらない!
すごく素敵な人だけど仕事するにはちょっと...


そう言う思いって
自分の中から発動している事であって
相手は関係ない
その人はその人なりに生きている。

でも人間さ
何かに頼っていたいよね。
だから思い切って線引きして
境界線を作って関係を整理しようとする。
ものすごいエネルギーを使って。

でもこの線引き
これって
自分の真ん中に線を引くという
行為だと思うんです。

人との関係や出来事を通して
『結局わたしはどうなの??』
『自分自身の矢印はどこを向いているの?』
そういうふうに自己のあり方を
再度定める。
自分という軸をしっかりとさせる。
自分の歩む道にたいして線を引いていく。

そういうことなのではないか?

と思っているのです。
愛する祖父母は本当に毎年毎年
変わりのない営みをしていて
季節季節を楽しみながら日々を生きていた。

反対に私といえば
いろんな情報を得れば得るほど
関わる人がかわれば変わるほど
どんどん変化していく。

楽しいこともあれば苦しいこともあるし
きっと今だってその渦中にいると思う。
そんな時に愛する祖父が言っていた
『どれも良くてどれもいけん(悪い)だけど
 その中にあっ!と思うもんがあーだがん(あるんだよ)』

そして結局は自分次第なんだと。
自分がやりたくてやっていることに対して
誰かに水を刺すような何かを言われたら
本当にやりたいなら反発するだろうし
そんなでもなければ納得するだろうし

そんなチャンスを人との関係が
環境の変化が与えてくれる

その度に
「人との距離や付き合い方」も大切だけど
『自分の軸をどこへ繋げていくのか』
そのための線引きなんだと思う。

THE・自論

『コントロールしようとすー(する)とな
 お前がコントロールされぇけん同調すぅ(する)だが』
畑で作物を愛でているときに
愛する祖母がいっていた
本当だねって歳を重ねるほどに感じる。
相手には相手の
状況には状況の都合があるから。



自分のことすらまだまだ
上手くコントロール出来ないのに
人の事など到底出来ないしするつもりもない。

『人は人』
愛する祖母がよく言っていた言葉を
昨夜ロミ(中野裕弓)さんの声でまた耳に届いた。
私自身がしっかり線引きしよう。
自分という軸に
好きに自由にやってみよう

どんだけ足掻いたって
私という人間であることに変わりはないのだし

あなたが自分自身に
常に愛していると言えているといいな

今日も時間を作って読んでくださって
本当にありがとう。
素敵な夜をお迎えください。



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