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そういえば・・・

っていう事があって
忘れないうちにノートに記しておこうと思う。

平日に時間が取れる夜はなるべく参加している
和文化継承家・着物研究家中谷比佐子先生のFBライブ。
座ってゆっくり聞けるときもあれば
パートナーの食事の支度をしながら耳を傾けることもあるこの時間。
先生の声に、先生の経験に
参加されている皆様のコメントに
脳と記憶が刺激されるとても愉快な時間です。

先日もね、
っといっても5月も終わりのころ。
日本全国で皆既月食にわくわくした一日。
私の住まいがある地域では全く月食なんて雲の中でしたが、
その夜のライブで比佐子先生
【月(自然)と人の暮らしの関係】について
話をしてくださっていた。

ふむふむ、と聞いてたんだけど
はたと、思い出した。

我が愛するばぁちゃんは
昔ながらの暦をもとに生活をしていた人だけど
カレンダーに書いてある旧暦だけではなくて
月の暦と言うものを指針にしていた。

私自身も月の暦は個人的に気にしているけど
言うたところで
すっっっっっごい語れるわけではない。
完全自己軸。
でも、この自己軸を補っているのは
間違いなく愛する祖父母の教育も含まれている。

そんな愛するばぁちゃん。
毎日せっせと畑にいく。
毎日草を引っこ抜いては集めたものを燃やして煙を立てる。
(今、燃やしたら苦情来る時代になりましたな とほほ)

草なんて(←なんて!!!!笑)
一気に抜いてしまえばいいのにと思うのですが
そうもいかない。

ばぁちゃんは生えてる草を一気に全部抜かない
今日はこのエリア、
明日はあっちのエリア。
そうやってじりじりエリアを動かしていく。

私の記憶では
『ただ、そういう事実』として残っているはずだった。
でも、
比佐子先生の話を聞いていて思い出した。
私は、ばぁちゃんに聞いたことがある。

なぜ、一気に抜かないのか?
畑に向かうばぁちゃんの背中に向かって投げかけた。
私はざると鎌をもって何か取りに行くために付いていってたと思う。

『そらおめぇ、が向いちょー方向があぁだけんな』

なにか問題でも?てきな感じで答えたばぁちゃん。
その時は何とも思わなかったけど
今になって
はっは~~~~~~~ん
と思う。

そのまま時空を超えてその畑に引き戻され
記憶と会話がよみがえってくる。
『月が見えちょー方向だけ草を抜くだが』

畑の真ん中に立って
月を眺めてある一定の法則に従って草を取る。
月が必要な方向を示してくれるから
それに従って不要なことはせず休む土は休ませて
刺激をしてもいい土には刺激をする
各々に順番がある。
流れがある。

そんなことを言っていた。

そういえば、こんなこともあった。
我が家では、台所の番人は愛しのおズーさん(祖父)。
彼の料理は本当にね、
美味しい。
私の記憶に残る家庭の味は、母の手料理ではなく
おズーの作ったものがほとんど。
もちろん、我が愛しの母の手料理もとっても美味しい。
むしろ、料理は家系なのか
みーーーーーんな上手。
鼻たれ同盟たちも、恐ろしく全員料理が上手い。
私はもっぱら、
食べる専門。

そんな私が小学生のころ
おズーに任命を受けて畑に大根を採りに行った日。
畑で草を燃やしていたばぁちゃんに
どれを採ったらいいのか?と聞いたら
『そげなこと、大根に聞くだわね』
と言われた。
私は大根とにらめっこしてとりあえずまぁ良さそうなのに手をかけた

ら、

『なーーーーんと、おめさんはその大根とらさーだか!』
(まぁ、あなたはその大根を選ぶの?)

叫ばれるわし。
振り返るわし。
眉間にしわ寄るわし。

焚火をするときにいつも使っている鍬に両手をかけて
鬼軍曹みたいに立っているばぁちゃん。
『月の形を考え~だわね、ほんにけっっ』
(ほんに、けっっ っていうのは ほんとにもう!みたいな意味)

まぁ夕餉の時間は迫っているので
鬼軍曹の言葉を片耳で聞いて選んだ大根をそのまま抜いた。
まぁ言われても分からんのですよ。

月の形、
月の示す角度。
暦=旧暦と風の湿度。
全部呪文

でも小学生ながらに考えた。
考えた結果行きついたのは
ばぁちゃんは天才かもしれない!という発見。
美味しく炊かれた大根を食べながら
ばぁちゃんは大根の声も分かるんやね
だからどれを採ればいいか聞かへんくても分かるんやね
って言うたら

『そげなこと分かぁへのわ!
 十分に育っちょうけん、とーだわい
 おいしそうだけん、とーだわい』

と、言われた懐かしい記憶。

でも、時には真面目に、
月と太陽にはリズムがあって、
それは土や風と同じでいろんな影響を及ぼすし、
人間のこころと身体にも影響する。
私たち人間は決して
地球や宇宙の支配者ではない。
リズムを創り出すのは人間ではない。
自然のリズムを借りて私たちは生きているから
そのリズムを自分の中でもしっかり刻んで
次の季節のための今を過ごすんだ。
そういうふうに
切々と話してくれることもあった。

『風を読み 月に問うて陽に照らし
  土に返して花をめでる』

畑に行くと
ばぁちゃんがよく言ってた言葉。
どっかの誰かの言葉かもしれないけど
そうだったら拝借失礼。

それぞれの家庭に、一族に
いろんな習わしがあるとは思いますが、
その中にいると案外と気づかないこともあって

私も
今回比佐子先生のライブに参加しなければ
ばぁちゃんの草取りの法則を思い出すこともなかった。
人の話と言うのは
本当に楽しい。
聞いていると世界が広がる。

外向きにも
内向きにも

誰かと話していて
ふと思い出すことは
きっとあなたの魂があなたに何か
気づいてほしくて
知ってほしくて
あるいは手放してほしくて
送っているサインなのかもしれません。

時には書籍だけでなく
人の声に耳を傾けるのもいいですね。


最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
あなたの貴重な人生の瞬間を費やしていただけたことに
心から感謝します。

月の光が照らす先に
あなたの大切な何かが見つかりますように。

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