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時、を捉える。

春よ来い
早く来い


という歌がありますが
我が愛しのばぁちゃんはこの歌を歌いながら
『そんな早く来られてもこま~わ~~~(困るよ)』
っていう自分軸のコメントを常に差し込むという特技がありました。

それは自分の気分ということではなくて
畑がまだ間に合わないとか
草むしりするのが億劫だ(やりだしたら止まらいないし)とか
そういう理由です。

そして桜が風に乗ってはらはらと落ちていく様子をみると
『こげして季節が移り替わぁだけんなぁ
 桜もえれもんだわぁ』
(こうやって季節が移り替わるのだ、桜も立派に任務をこなしている)
と毎年毎年変わらないことを言う。
もちろん、
新芽が出たら新芽に
実がなれば実に
落ち葉には落ち葉に

それだけじゃなく
『今年の桜をよく覚えておくだよ』っても言ってた。

桜・・・
は毎年同じだけど
そこに咲く花も葉も二度と同じものはない
私たちが一生をかけて過ごす人生を
その花びらは
その葉は
を出して色付れてちるまでのこの一時しか
過ごすことが出来ない。
幹が同じだから、今年もよく咲いたね、と言うけれど
本当に同じ?
そうやって桜の木の下でいつも質問されていた。

どうやって答えていたのかは記憶にないけど
新しい芽を見つけたら
『命が見つかったか!!!偉いね~よく見つけたね~』
実がなっているのを発見すれば
『あや~いいもん見つけたね~そっとしとくだで!』
ってとりあえず褒めてくれたし
鼻たれ同盟の誰かが先に見つけたものを
あとから見つけてばぁちゃんに伝えても
毎回目ん玉が落ちそうなくらい驚いた顔をして
何回も何回もほめてくれた。

同じものに気づいたとしても
お前さんは初めて気づいただけん
早い遅いは関係ないだが


偉かった偉かったよしよし!
ってムツゴロウさんみたいにわしゃわしゃしてくれるけど
最後必ず鼻の穴に指突っ込まれる
未だに
でも笑っちゃうね。


私は自他ともに認める沸点の高さを持つ女ですが
待つことが出来るのは
愛するばぁちゃんのこの姿勢のおかげなのかな。

いや、
うん、
声を大にして言うけど
時と場合は大いに影響しますからね。
あしからず。

桜の時期になると
大きな木の下でばぁちゃんと沢山の命を探したなぁって
毎年思い出す。

ばぁちゃんが肉体を手放してもうすぐ1年。
例によって報連相が曖昧過ぎる鼻たれ同盟親世代の好意により
一周忌法要への参加が怪しい鼻たれ2号から7号。(わし7号)

法要の日ではなくても
ばぁちゃんの位牌に手を合わせに帰ろう。
そんなことを思った春の夜でした。

あなたは今年の桜に
どれほどの命をみつけられましたか?


今夜もお時間を下さって
最後まで読んでいただいて
本当にありがとうございます。

よき、清明をむかえられますように。


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