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なぜ勉強が必要なのか?

こんにちは!AKIです。

なぜ勉強が必要なのか?

子どもの頃のこの疑問に対して、

「今働いている大人たちもみんな学生時代に真面目に勉強していた人達で、みんなそうやって立派な大人になって行くんだよ。だから勉強が必要なんだよ。」

と、学校の先生や周りの大人から似たような回答しか返って来なかった記憶があります・・・。

当時は子供ながらにして、しぶしぶ納得したものでしたが、今、同じ様な回答をされても意味が分かりません。そして何より、そのような回答を勉学に勤しむ子供たちに伝えるべきではありません

今の僕が一言で答えるなら、

「自分と誰かの願いを叶える上で大いに役立つから」です。

学校の先生こそ、この記事をしっかりと読んで、勉強の意味を子供たちに理解してもらう必要があると感じます

では、参ります。

勉強がつまらないと思うのは自然なこと

なぜ勉強が必要なのか。

勉強がつまらない。

そう思うのはごく普通のことです。

大概の子どもは、周りの大人から、その真の答えを聞き出せないまま、小学校に入り、言われたことをこなすことからスタートするからです。いつの間にか勉強をやらされていると感じていたのです。

しかし、”先生に言われたことだけをやる”ことは本来の勉強ではありません。

勉強とは本来好奇心から生まれます。

「これなんだろう?」

「どうして?」

「どうすればできるの?」

「これ不思議だね!」

これらの気持ちが、「もっと知りたい」に変化し、自分で調べるようになります。これが勉強です。

そしてそれらの気持ちが、

「わかった!」

「そうなんだ!」に変化した瞬間、人は勉強の楽しさを覚えるのです。

スマホと糸電話はどちらが効率的か

スマホと糸電話では、どちらが効率的に相手と連絡を取れますか?

もちろん現代ではスマホです。

究極を言えば、この答えこそが、「なぜ勉強が必要なのか?」の答えです。

どう言うことか。

スマホは一度に複数の人と連絡を取ることができますが、糸電話は1対1のみです。さらにスマホは、糸電話のようにピンと糸を張った直線距離に相手を置く必要はなく、途中に障害物があっても、国内でも海外でも連絡が取れます。

スマホ糸電話に比べて、何十倍、何百倍の効率で必要な相手と連絡を取り合うことができます。

だからスマホは、糸電話よりも多くの人々を喜ばせ、それ故にスマホに対してより大きなお金を払ってもいいと人々は思うわけです。

因みに、糸電話の最初の試みは、1664年にイギリスで行われました。

より多くの人々を喜ばせる人は誰か

糸電話よりもスマホに多くのお金を払ってもいいと言うことは、たくさんの人々を喜ばす人の方が見返りが大きくなると言うことです。

例えば、スマホを一日に100個作る人よりも、1日に10000個作る人の方が、より多くの人々を喜ばすことができますよね。

では、どうすればスマホを効率的にたくさん作ることができるのかを一生懸命考えるわけです。

そのためには、素材をどこから仕入れるのか。

どんな機械で作るのか。

どの国や地域で作るのか。

設計はどうやるのか。

そもそも計算はどうやるのか。

そもそも文字はどう読むのか。

そう言った様々な知識についてよく「勉強」した者が、より効率的にたくさんのスマホを生産でき、より多くの人々を喜ばすことができます。

その分見返りも大きくなり、勉強した者の方が裕福になれる可能性が高くなります。

つまり、糸電話を作る人より、スマホを作れる人になりたいと願うのであれば、勉強した方が良いと言うことです。

勉強はお金儲けのためなのか

では、世の中結局お金なのかと言われれば、そうではありません。世の中はお金ではなく、労働が作っています。

僕たちが生きている社会の富は、人々の労働が作っています。すばらしく美味しい食べ物や、便利な道具や乗り物、夢中になれるゲームや音楽、部屋を灯す電気、蛇口から出る水、このnoteのプラットフォームなど、手の届く価格で買うことができるのは、誰かがその商品やサービスを提供するために、労働してくれたからなんです。

誰かの労働のお陰で、人々の生活は便利で豊かになっています。そして誰かが労働を続けているからこそ、昨今新しいサービスや商品が生まれているのも事実です。

つまり、便利で幸せにしてくれるサービスや商品の裏には誰かの労働が宿っています。なので、社会における真の富の根源は、お金ではなく労働です。

労働の裏に勉強が宿っている

この人々を幸せにする労働の裏にこそ、そこにこそ「勉強」が宿っています。つまり、勉強が人々の労働の質を高め、その労働が自分の生活を、人々の生活を豊かにしています。

なので、お金が欲しいと言った利己的な考えだったとしても、

あるいは自分以外の誰かの喜びのためだったとしても、

国のため世界のためだったとしても、

どんな人のためであれ、勉強は労働を強化するので、

結果として自分を含め誰かの願いを叶える上で大いに役立つことでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか。

記事を書く中で、この話もっと早く聞きたかった~!って自分で思ってしまいました。

自分の願いを叶えるためなら、大人になった今でも勉強は欠かせません。

最後までお読み頂きありがとうございました。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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