ソラガナイ

傍目に恵まれた、其の実、機能不全の家庭で育ち生きづらさに呑まれました。 書くことで頭が…

ソラガナイ

傍目に恵まれた、其の実、機能不全の家庭で育ち生きづらさに呑まれました。 書くことで頭が整理されるかとnoteやっています。 とても個人的な殴り書き。

記事一覧

多くの人の努力は未来に繋がるものなのに
私の努力は家族に負わされた傷を癒やすためだけのものだった

その努力は未来には繋がらない

孤独や不安や惨めな経験からも逃げず
努力をしてきたのだけれど

結局なにもない

未来に繋がる努力が出来る側にいたかった

ソラガナイ
2か月前

私が好きで負った傷じゃないのに
どうして乗り越えるのは私の役目なのだろう

傷を負わせた当人は過ぎたことだと許容されたがるのに
どうして傷ついた相手の目の前の現実を許容しようとしないのだろう

自分の土俵でしか話そうとしないその姿勢は
とても卑怯だ

ソラガナイ
3か月前

どうして。

誰かを踏台にし続けたことを顧みないような人間が、まるでギリギリ苦労して生きてるような顔をするのか。

とうして相応の罰が下らないのか。

因果応報はないのか。

人生は間違いなく不公平で理不尽で、搾取される側には延々と苦痛にしかない。

ソラガナイ
6か月前
1

万引きは犯罪です

高校生の頃、私は万引きで捕まった。 ショッピングセンターで洋服を手当たり次第カバンに詰めパンパンになっていた私はあっさりGメンに捕まった。 捕まったのはその時が…

五体不満足

「何不自由なく育ててやったのに!」 もう何十回と両親から言われた言葉。 物質的にはそうかもしれない。 それでも私は不自由しか感じることが出来ないまま育った。 母…

こんなに辛いことはない

人間関係にはどんなステージにも大まかにいじめる側といじめられる側が存在する。 私はずっと、どちらかといえばいじめられる側だ。 小学校・中学校・高校・大学でも常に…

5

無責任にも程がある

身から出た錆を拭わず 自分以外の誰かに負わせることに抵抗が無い 自分だけ 自分だけ 大事なのは自分だけ 従業員の進言も役所の指導もどこ吹く風 画面の向こうの見知…

大丸別荘

全国ネットでこの名前を耳にするとは思わなかった。 福岡ではとても格式の高い場所。 ここは長兄が結婚する時に両家の顔合わせで利用した場所。 「俺は親の決めたレール…

3

コルサコフ症候群

17日にあった横浜の78歳が起こした当て逃げ。 本人に追突の認識は無くその後何事もなかったように散髪に行き帰宅していたと連日取り上げられている。 コルサコフ症候群。…

隣の芝生は青い

「あんたなんてたいしたことないわよ!」 「あんたなんかより啓輔の方がもっと可哀そうなんだから!」 「隣の芝生は青いのよ!自分が一番可哀そうだと思うものなのよ!」 …

繊細ヤクザ

長兄は子供の頃から要領が良く、長男教の我が家で横柄な態度を常態化させていた。 当然本人に自覚は無い。 世間的に長子は我慢を強いられ末っ子は要領よく我儘だという認…

1

母の旅行 3度目

3度目の旅行は実現しなかった。 1度目は会いに来ると言う母を素直に受け入れた。 2度目は記憶に新しい幼稚な母を躊躇しながらも受け入れた。 3度目はもう、受け入れること…

1

母の旅行 2度目

2度目の旅行は箱根だった。 母はお友達と東海か北陸かその辺りで半日ほど合流し、そのままお友達とは別のホテルに一人で泊まり、翌日母に合わせ箱根へ向かう私達と合流し…

母の旅行 1度目

私が一人暮らしの間、母が様子を見に来るようなことはなかった。 実際、母が私のところに来るようになったのは私が結婚してから。 「一緒に旅行に行かない?娘さんが関西…

1

料理の話 2

母は私になにも教えてくれなかった。 人付き合い、マナー、社会性、常識、感情のコントロール、そして料理。 私が結婚すると、母はそれまで一切しなかった言動を始めた。 …

料理の話

毎年お正月にはおせちを作っている。 不本意ではあるけれど、私の味覚は馴れ親しんだ実家のおせちの味を欲してしまう。 結婚を機に自分で作ることにした。 初めてのお正…

多くの人の努力は未来に繋がるものなのに
私の努力は家族に負わされた傷を癒やすためだけのものだった

その努力は未来には繋がらない

孤独や不安や惨めな経験からも逃げず
努力をしてきたのだけれど

結局なにもない

未来に繋がる努力が出来る側にいたかった

私が好きで負った傷じゃないのに
どうして乗り越えるのは私の役目なのだろう

傷を負わせた当人は過ぎたことだと許容されたがるのに
どうして傷ついた相手の目の前の現実を許容しようとしないのだろう

自分の土俵でしか話そうとしないその姿勢は
とても卑怯だ

どうして。

誰かを踏台にし続けたことを顧みないような人間が、まるでギリギリ苦労して生きてるような顔をするのか。

とうして相応の罰が下らないのか。

因果応報はないのか。

人生は間違いなく不公平で理不尽で、搾取される側には延々と苦痛にしかない。

万引きは犯罪です

高校生の頃、私は万引きで捕まった。

ショッピングセンターで洋服を手当たり次第カバンに詰めパンパンになっていた私はあっさりGメンに捕まった。

捕まったのはその時が初めてだったけれど万引きはその時が初めてではなく、アクセサリーや雑貨など他のお店でもやっていた。

買うお金がなかったわけではない。
どれもこれも、欲しかったわけではない。

盗ったものはそのまま、部屋の片隅に袋に押し込んだまま。

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五体不満足

「何不自由なく育ててやったのに!」

もう何十回と両親から言われた言葉。

物質的にはそうかもしれない。

それでも私は不自由しか感じることが出来ないまま育った。

母の立派な手料理は子供向けではなく、完食を強いられ私は吐いてしまう事があった。

母が買い与えるお洋服は余所行きのフランス人形の様なものばかりで、日常に着る服はあまり持っていなかった。

私の子供部屋は母の物置部屋の片隅で、ずっと2畳

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こんなに辛いことはない

人間関係にはどんなステージにも大まかにいじめる側といじめられる側が存在する。
私はずっと、どちらかといえばいじめられる側だ。

小学校・中学校・高校・大学でも常に居心地が悪く、上履きを隠されたり悪口を言われたり馬鹿にされたり仲間外れにされたり。

だけど不登校になったことはない。

どちらかといえばいじめられる側。
そう認識したのは大人になってからで、当時の認識はこうだった。
『性格が悪い自分が悪

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無責任にも程がある

身から出た錆を拭わず

自分以外の誰かに負わせることに抵抗が無い

自分だけ

自分だけ

大事なのは自分だけ

従業員の進言も役所の指導もどこ吹く風

画面の向こうの見知らぬ人の非難もどこ吹く風

吹きつけたのは

手のひらを返す同じ土俵の人

周りにお膳立てされていなければ

自分の足で立つことも出来ない

立てているような錯覚が解けた時

取る行動が本性

自分さえ良ければ周りはどうでもいい

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大丸別荘

全国ネットでこの名前を耳にするとは思わなかった。

福岡ではとても格式の高い場所。

ここは長兄が結婚する時に両家の顔合わせで利用した場所。

「俺は親の決めたレールの上しか歩かれんっちゃん!」
「俺はどうせ好きな女とも結婚できん運命とやん!」
「俺の人生くそくらえ!お前に俺の気持ちが解るか!」

長兄の不幸オーラに辟易したのかどうかは分からないけれど、そんなに嫌ならお見合いを断れと父が言った矢先

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コルサコフ症候群

17日にあった横浜の78歳が起こした当て逃げ。

本人に追突の認識は無くその後何事もなかったように散髪に行き帰宅していたと連日取り上げられている。

コルサコフ症候群。

傍目には社会生活における支障は少なく自己認識も乏しい。
本能的なものか自己防衛なのか、作話し事実を歪める傾向があると言われている。

このおじいさんは自分に都合の悪い現実を作話し書き換え、事故を『なかったこと』とした。

現実逃

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隣の芝生は青い

「あんたなんてたいしたことないわよ!」
「あんたなんかより啓輔の方がもっと可哀そうなんだから!」
「隣の芝生は青いのよ!自分が一番可哀そうだと思うものなのよ!」

私は母や家族に甘えたことが無い。
正しくは、甘えさせてもらえる位置にいなかった。

だから幼少期の本能的不安、思春期の多感な悩み、社会不安。
全て自分で抱え込むしかなかった。

私が小学生で塾に通っていた頃。
やはりそこでもうまくいかず

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繊細ヤクザ

長兄は子供の頃から要領が良く、長男教の我が家で横柄な態度を常態化させていた。
当然本人に自覚は無い。

世間的に長子は我慢を強いられ末っ子は要領よく我儘だという認識が多い。

私は兄二人の末っ子長女で家が裕福だったこともあり、物心ついた頃から嫌になるほど周りから言われてきた。

お兄ちゃんに可愛がられてるでしょ。
親に甘やかされてるでしょ。

家の中の現実と家の外の想像。

私を混乱させ続ける温度

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母の旅行 3度目

3度目の旅行は実現しなかった。

1度目は会いに来ると言う母を素直に受け入れた。
2度目は記憶に新しい幼稚な母を躊躇しながらも受け入れた。
3度目はもう、受け入れることができなかった。

同じように母から電話が掛かってくる。
「またお友達に誘われたんだけどー」

母の要求に躊躇し答えに窮する私。

「・・・え?駄目?」
「あんた達が駄目って言うなら断るしかないけど・・・・」
「ね?無理?いやーん。

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母の旅行 2度目

2度目の旅行は箱根だった。

母はお友達と東海か北陸かその辺りで半日ほど合流し、そのままお友達とは別のホテルに一人で泊まり、翌日母に合わせ箱根へ向かう私達と合流した。

なぜお友達と全行程を一緒にしないのか。
なぜ宿泊してまで合流しにいくのに自分だけ別のホテルに泊まるのか。

母は人格的に問題がある。
だから。
半日くらいが本人にとっても相手にとっても無難に過ごせるぎりぎりの時間なのだ。

母は私

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母の旅行 1度目

私が一人暮らしの間、母が様子を見に来るようなことはなかった。

実際、母が私のところに来るようになったのは私が結婚してから。

「一緒に旅行に行かない?娘さんが関西にいるのなら娘さんのところに行くついでにちょっと合流しましょうよ。」

お友達にそう言われたと電話が掛かってきた。

話を聞くと、お友達とは半日程合流するだけ。
後はこちらで2泊程のスケジュールを決めてくれと言う内容。
日程は母のお友達

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料理の話 2

母は私になにも教えてくれなかった。
人付き合い、マナー、社会性、常識、感情のコントロール、そして料理。

私が結婚すると、母はそれまで一切しなかった言動を始めた。

いろいろな物を詰め込んだ段ボールが届くようになった。
私のところに遊びに来ると言うようになった。

実家を出てから結婚するまで、母から私に何かが届くことは無かった。
当時仕事も忙しく痩せた私に米一つ届いたことは無かった。

周りの子の

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料理の話

毎年お正月にはおせちを作っている。

不本意ではあるけれど、私の味覚は馴れ親しんだ実家のおせちの味を欲してしまう。

結婚を機に自分で作ることにした。

初めてのお正月を前に作り方を教わるため母に電話をした。

教えてとお願いする私に母が言う。

「えー。私、全部適当だしよくわかんない。」

・・・そうだ。
母は私ができないことを馬鹿にしても、だからといって教えてくれることはない。
私への見下しと

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