こんなに辛いことはない

人間関係にはどんなステージにも大まかにいじめる側といじめられる側が存在する。
私はずっと、どちらかといえばいじめられる側だ。

小学校・中学校・高校・大学でも常に居心地が悪く、上履きを隠されたり悪口を言われたり馬鹿にされたり仲間外れにされたり。

だけど不登校になったことはない。

どちらかといえばいじめられる側。
そう認識したのは大人になってからで、当時の認識はこうだった。
『性格が悪い自分が悪い。こんな私と仲良くしてくれる人がいればなんてありがたいんだ。その子に感謝しなければ。』

私は家庭内でいじめといえる扱いを受け育った。

母はいじめっ子の思考で憂さ晴らしのため私の心身を搾取し続けた。
父は不安定な自尊心を満たすため言葉や暴力で私の自我を叩き続けた。
長兄は自分を聖人君子然とするため私を酷い人間だと位置付け攻撃し続けた。

学校生活は一日数時間だけど、家庭は24時間365日。

家での扱いが基準の私は学校でされていることがいじめであると認識できなかった。

だから不登校になる理由もなかった。

家族からのいじめに耐え生き延びたのにその甲斐も無く。

「そんなつもりはなかった。」
そんな加害者にとって便利な言葉に終始し、肝心な『どんなつもりだった』のかは説明されないまま。

家庭内のいじめという事実は私の被害妄想だと一蹴され。

挙句、まるで私が酷い仕打ちをしているような気配を匂わせる。

こんなに辛いことはない。

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