長兄は子供の頃から要領が良く、長男教の我が家で横柄な態度を常態化させていた。 当然本人にその自覚は無い。 世間的に長子は我慢を強いられ末っ子は要領よく我儘だという認識が多い。 私は兄二人の末っ子長女で家が裕福だったこともあり、物心ついた頃から嫌になるほど周りから言われてきた。 お兄ちゃんに可愛がられてるでしょ。 親に甘やかされてるでしょ。 家の中の現実と家の外の想像。 私を混乱させ続けた温度差。 周りのその空気は家族を麻痺させる。 両親と長兄は私が我儘だからとい
3度目の旅行は実現しなかった。 1度目は会いに来ると言う母を素直に受け入れた。 2度目は記憶に新しい幼稚な母を躊躇しながらも受け入れた。 3度目はもう、受け入れることができなかった。 同じように母から電話が掛かってくる。 「またお友達に誘われたんだけどー」 母の要求に躊躇し答えに窮する私。 「・・・え?駄目?」 「あんた達が駄目って言うなら断るしかないけど・・・・」 「ね?無理?いやーん。いいでしょぉ?」 ねだるような言葉を継ぐ母。 意味が分からない。 お友達に会
2度目の旅行は箱根だった。 母はお友達と東海か北陸かその辺りで半日ほど合流し、そのままお友達とは別のホテルに一人で泊まり、翌日母に合わせ箱根へ向かう私達と合流した。 なぜお友達と全行程を一緒にしないのか。 なぜ宿泊してまで合流しにいくのに自分だけ別のホテルに泊まるのか。 母は人格的に問題がある。 だから。 半日くらいが本人にとっても相手にとっても無難に過ごせるぎりぎりの時間なのだ。 母は私に会いに来ているのではなく、私を利用し友達付き合いを風を成立させているだけ。 お
私が一人暮らしの間、母が様子を見に来るようなことはなかった。 実際、母が私のところに来るようになったのは私が結婚してから。 「一緒に旅行に行かない?娘さんが関西にいるのなら娘さんのところに行くついでにちょっと合流しましょうよ。」 お友達にそう言われたと電話が掛かってきた。 話を聞くと、お友達とは半日程合流するだけ。 後はこちらで2泊程のスケジュールを決めてくれと言う内容。 日程は母のお友達に合わせた指定。 温泉に行きたい。観光がしたい。美味しいものが食べたい。 お金は
母は私になにも教えてくれなかった。 人付き合い、マナー、社会性、常識、感情のコントロール、そして料理。 私が結婚すると、母はそれまで一切しなかった言動を始めた。 いろいろな物を詰め込んだ段ボールが届くようになった。 私のところに遊びに来ると言うようになった。 実家を出てから結婚するまで、母から私に何かが届くことは無かった。 当時仕事も忙しく痩せた私に米一つ届いたことは無かった。 周りの子の実家から届く荷物の片鱗を目に、耳にする度複雑な気持ちになった。 正確には一度だ
毎年お正月にはおせちを作っている。 不本意ではあるけれど、私の味覚は馴れ親しんだ実家のおせちの味を欲してしまう。 結婚を機に自分で作ることにした。 初めてのお正月を前に作り方を教わるため母に電話をした。 教えてとお願いする私に母が言う。 「えー。私、全部適当だしよくわかんない。」 ・・・そうだ。 母は私ができないことを馬鹿にしても、だからといって教えてくれることはない。 私への見下しとセットになるのは自分がいかにすごいかという誇示。 この瞬間に母の性格を思い出し
今日はクリスマスイブだからシュークリームを買った。 曜日個数限定でいつも売り切れてしまうシュークリーム。 早めに行って買ってきた。 私は美味しいと思った物を身近な人に食べさせたくなる癖がある。 随分前に両親がこちらへ来た時(関係改善に前向きになろうとしていた時)、ここのシュークリームを食べさせたくてお店に寄った。 母と二人で入店し、両親と私達夫婦と次兄のぶん、全部で5つ購入した。 ショーケースにはシュークリームがあと3つ。 注文を終え、会計を終え、商品の箱詰めを待っ
助けて。 数えきれないほど頭の中に響いてきた言葉。 誰にでもある。 自分だけではないと解ってはいる。 罵られている時。 拳を、食器を、振り上げられた時。 泣きながら包丁を手にした時。 人と接する時。 感情が混乱してしまう時。 壁にぶつかり途方に暮れる時。 食べても食べても痩せてしまう時。 依存に追い詰められた時。 ずっと眠れない時。 悪夢しか見ない毎日。 明け方に無意識に湧いてくる。 「神様助けて」 直後に思う。 神様とかいないから。 いや、いたとして。 どうして
私は家族からたくさんの言葉を与えられた。 父は言った。 「物事は客観的に見ろ!お前の感情なんかどうだっていいんだよ!お前の言う事は全てヘボ理屈だ!誰が悪いんだ!誰が正しいのか言え!」 父の言う客観的とは自尊心を守るための狭窄的主観だ。 私は父を100%肯定しなければ何時間でも罵られた。 言葉を選ばず罵られ、それでも傷付くことは許されなかった。 精神的に疲弊する私を見て父は言った。 「なんか?傷付いたような顔して!俺へのあてつけのつもりか!」 「お前みたいな奴は誰から
子供の頃からとりわけ猫が好きだった。 私が猫好きだというのは田舎ということもあり近所も含め周りは知っていた。 近所の子は猫がいると私を呼びに来てくれた。 近所の大人は住み着いた野良猫を連れても行っていいよと言ってくれた。 お手伝いさんは土間で野良猫を可愛がる私と一緒に可愛いねと言って見ていてくれた。 祖母はお誕生日やクリスマスに私が猫が好きだからと猫のアイテムを贈り物として選んでくれた。 母は瞳に宝石が入ったプラチナで出来た猫のネックレスを買い、それを身に着け言っ
夫の母は私の実家に季節の挨拶をしてくれている。 実家からも我が家と義母の家に、家業に伴う品が機械的に送られている。 結婚後ほどないお盆の帰省の時だっただろうか。 帰ったばかりの私に母が不穏な気配で話しかけてきた。 「ちょっと、『夫』君のお母さんから御中元が届いたんだけど・・・。」 嫌な予感がした。 「それが、〇〇だったのよ。」 〇〇・・・母が好まない物。 気付かないふりをし「そうなんだ。」とだけ答える。 少しの沈黙。後、母が嫌悪感も露わに口を開く。 「家では
思い出せる限り母は私を否定しかしなかった。 嫌な子、可愛くない、私に似てない、嫌い、、、そんなことばかり。 いい子。可愛い。大事。大好き。 そんなに特別な言葉だと思わないけれど、私は掛けてもらったことがない。 子供が可愛くてほっぺにちゅっちゅする親は普通にいるけれど、 私は父のほっぺにちゅーしなさいと母から強いられていた。 ぎゅっとしてもらえる子供は普通にいるけれど、 私は父にぎゅっと甘えて機嫌を取るよう母から強いられていた。 母が一番大事なのは父の機嫌を損ねない、
自分が自分ではないような、子供の頃からずっと、今でも感じる。 アイデンティティが確立されないとそうなるらしい。 自分という存在が確立されない。 自分の居場所が無い。 どうして私はそうなのか考える。 行き着くのは確立を阻害した背景。 私には社会性が乏しい。 一時的には発揮出来るけれど維持するにはかなり心身を削らなければならず、結果を実らせることはとても難かしい。 どうしてなのだろう。 小学生の頃、よく遊ぶ仲の良いお友達がいた。 彼女の家は姉弟が多く、家に遊びに行くと当
小学生の頃、夏休みに一つ下の従妹が実家に泊まりに来た。 父の弟の娘で、夏休みの間一人で東京から九州に来て泊まるちょっとした冒険だった。 祖母は普段離れて暮らす孫を可愛がっていた。 従妹もまた、祖母を大好き会いたいとよく言った。 毎年夏休みの思い出は母の実家への帰省だけ。 子供の為になにか、そんな夏休みとは無縁だった。 だから私にとって従妹が泊まりに来る夏休みは格別に楽しみだった。 田舎の環境で虫捕りをしたり川遊びをしたり。 父も母も普段には無い接待ぶりでどこそこへと連
晩年、祖母はうつ病を患っていた。 誰かに聞いた話、祖母は若い頃は臥せってばかりだったそうで、もしかするとずっと精神的に問題を抱えていたのかもしれない。 生まれた時から既に存在した祖母に対して私は違和感を感じることも無く。 病んでいたのかいなかったのか、私には分からない。 亡くなる数年前から祖母は精神科に通院していた。 うつ病であること、通院していること、全て母の口から知ることとなった。 ある時母が私に言った。 「ねぇ聞いてよ!おばあちゃま、ちょっとボケてきてるみたい
母と祖母は嫁姑の関係だ。 よくある話で仲が良いとは言えなかった。 私が知っているのは高校生までで、ざっくりと、子供の目線でしか知らないということになる。 小さな頃から祖母の悪口を聞かされ続けてきた。 正確には祖母と父の悪口。 それがあまりにも辛辣なので、そんなに嫌なのになぜ結婚したのかと訊ねたことがある。 母の答えは明確だった。 「おじいちゃまが娘一人くらいはちゃんとした家に嫁いで欲しいって言うから。親孝行のため仕方なく。」 因果応報とはこういうことを指すのか、自分