母の旅行 2度目
2度目の旅行は箱根だった。
母はお友達と東海か北陸かその辺りで半日ほど合流し、そのままお友達とは別のホテルに一人で泊まり、翌日母に合わせ箱根へ向かう私達と合流した。
なぜお友達と全行程を一緒にしないのか。
なぜ宿泊してまで合流しにいくのに自分だけ別のホテルに泊まるのか。
母は人格的に問題がある。
だから。
半日くらいが本人にとっても相手にとっても無難に過ごせるぎりぎりの時間なのだ。
母は私に会いに来ているのではなく、私を利用し友達付き合いを風を成立させているだけ。
お金は全部出すから。という歪んだ掌握術を以て。
母からの電話はストレスだった。
全て丸投げなのに気に入らなければそれを言わずにはおれない。
どうして欲しいか、何がしたいか、どこに行きたいか。
何を聞いても分からない、全て任せる、としか言わないのに。
私は母の心を察し満たして然るべき存在。
そして母は、受け身の大事にされて然るべき永遠の娘。
珍しく母の機嫌が損なわれず旅行を終えた。
私の家に1泊し、翌日九州へ帰る予定の母。
翌朝新幹線に乗せるため一緒に家を出た。
外に出ると向かいの家のおじさんが植木の手入れをしている。
挨拶をする私。
会釈するおじさん。
母は・・・
一瞥もくれず露骨に無視をして通り過ぎた。
咄嗟におじさんを見るとびっくりした顔で母を見ている。
恥ずかしさと申し訳なさで私は再度会釈し通り過ぎた。
母には見えていなかったのだろうか。
それとも相手が母に向かって声を掛けなかったから自分から挨拶するものかと張り合ったのだろうか。
会釈だけしたそのおじさんは聾啞者だった。
母が何を思ってそのような行動に出たのかは分からない。
だけど娘が挨拶している相手を無視するという行動は、普通の母親はしない。
その当時私達が住んでいたのは連棟といっていわゆる長屋だった。
結婚後、家を見に来た両親は「うへぇ、こげんか所に・・・」と蔑んだ。
父の方位学の強制により住むエリアを15度の範囲に指定され、猫も飼えて、夫も仕事に通える場所。
そんな条件を満たすようやく見つけた家だったのだけれど、両親はこんなみすぼらしいところにと引いていた。
実際はリノベ物件で中は綺麗な状態だ。
家の中を見て両親は驚き手のひらを返した。
しかし周りの家は昔ながらの長屋そのもので、母にとっては関わりたくないイメージだったのだろう。
私の暮らす社会は母にとって知った事ではない。
どんなときも、母は自分の社会しか頭にない。
娘の損にならないように。
そんな感覚は、母には1ミリも無い。
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