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スケッチ

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仙台でカメラマンを夢見る男性、北多川悠(キタガワユウ)は彼女の江美と二人暮らしをしている。 ある日原因不明の病で北多川は視力を失う。 彼が辿る運命とは。 とある楽曲をベースに紡…
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#ミュージックバー

スケッチ⑮

「ーーそういうわけで、俺は流浪のギタリストになったわけ」
西野は、その一言をもってバンドメンバーに向けた自分史の説明を終えた。
しゃべりすぎて口が乾いたのだろう。
ほとんど語り終えるのと同時に横からぐびぐびと喉を鳴らす音が耳に届く。
会話に隙が生まれ、西野に習うように俺も手元のジンジャーエールに口をつけた。

営業後のVIVA OLAの店内は冷蔵機や空調の駆動音しか聴こえてこない。
老モーターの微

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スケッチ⑩

スケッチ⑩

その日の夜、俺は少し早めにVIVA OLAへ行き、珍しく店内のピアノを使ってシューマンのトロイメライを弾きながら東堂さんの到着を待っていた。
静かな店内からは空調の排気音や、テザがカウンターで作業をする音しか聴こえてこない。無観客ながら自宅とはまた違う環境で演奏するのは新鮮な気分だった。
一般的にピアノは一年に一度、調律すればさして問題ないとされているが、このピアノは半年に一回の頻度でメンテナンス

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スケッチ⑧

スケッチ⑧

神谷の葬式は親と一部の関係者だけの小さな物で済まされた。
家族構成なんてまじまじと聴いた事が無かったが、神谷の父は既に亡くなっており、唯一の肉親は母親だけだった。
他界した父親は都内で有名な食肉関係の会社経営者だったらしい。歌舞伎町の飲食街へ太いパイプがあった神谷の父は、若手事業者と手を組んだり、古くからその地で商いをする小料理屋へと肉を卸したりするなど手広い取引を展開しており、神谷自身もそんな父

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スケッチ⑦

入り口から一番離れたバーカウンターの席に腰をかけ、グラスに注がれたジンジャーエールに口をつける。乾いた喉へ強烈な生姜の香りを纏った波が気泡と共にぶつかってきて俺は思わず瞼を閉じる。パチパチと弾ける泡が鼻先を湿らせた。本当なら美味さ故に込み上げてくる雄叫びをここで一声あげたいものだが、ダムを塞き止める様に俺はその思案を口に抑え込む。ここは美味い時に勢いで雄叫びをあげるような店じゃない。
黙ってグラス

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