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主体性が無かった私が、人生を賭けてやりたい事を見つけるまでの話。

今回お話を聞かせて頂いたのは、大手商社にて営業職を14年間続け、その後職業転換を行い、現在は『空間づくり』に挑戦中の野瀬史憲さんです。

そんな『野瀬さんにしか話せない人生の物語』をぜひお楽しみ下さい。
『自分自身の生き方はこのままでいいのか?』と悩んでいる方に寄り添ってくれるお話です。

いつも誰かの『間』にいる自分

野瀬さんは、真面目で勤勉な父親と、フランクで社交的な母親の間に生まれました。
性格は二人のどちらの要素も受け継いでおり、真面目すぎないが、ふざけすぎない、間をとった『あわい性格』だったそうです。

兄弟は3つ上の兄と、3つ下の妹がおり、3兄弟の真ん中で育ちます。
兄と妹が6つ離れている事もあり、小さな頃から『お兄ちゃんと野瀬さん、野瀬さんと妹。』と、野瀬さんが兄弟のハブの役割を担う事が多かったそうです。

そのせいか兄弟に限らず、誰かと誰かの間に入る事が『当たり前』で、それが『自分の役割』と自然と認識して育っていきますが、実は幼少期の頃から一人の時間が好きで、人知れずコツコツと何かに集中して取り組む事が得意だったそう。

ただ、その一人の時間はほぼ無かったのが現実でした。


主体性の無い少年

野瀬さんは、小学校低学年の時に、お兄ちゃんが野球を始めたから、自分も野球を始めます。
そして、お兄ちゃんが野球を辞めると、野瀬さんも辞めます。
自身が入る高校も、最終的にお兄ちゃんが勧めてくれた高校に入学したそうです。

何かを始めるのも、何かを辞めるのも『自分の希望』以外の要因で物事を決めて判断する事が多い少年時代を過ごします。
そんな野瀬さんは、野球を辞めた後は、友達に誘われサッカーを始めます。

突然訪れたフリーキックを蹴るチャンス

野瀬さんは、高校に入ってもサッカーを続けます。
そしてこの高校でのサッカーで一つの転機が訪れます。

野瀬さんは、誰に言われるでも無くフリーキックの練習を中学生の頃から一人でコツコツと続けていました。
中学の時も、高校の時も、フリーキックを蹴る担当でも無いのに、毎日毎日壁に向かって練習を重ねたそうです。
そしてある試合で、フリーキックを蹴るチャンスが野瀬さんに巡って来ます。

蹴る担当でも無かった野瀬さんは、別の担当が蹴るもんだと思っていた所、チームメイトの複数名が『野瀬、蹴ってみろよ!』と野瀬さんの自主練を知ってか知らずか、フリーキックを蹴らせてくれたそうです。
『え?俺でいいの?』と戸惑いを隠せないまま、野瀬さんが蹴ることになったそう。

そして、野瀬さんはボールをセットした瞬間
『あ、これ決まるな。』と確信したそうです。
ボールを蹴った後では無く、ボールを地面に置いた瞬間です。

結果、ボールは野瀬さんが、毎日毎日壁に向かって何百回、何千回と打ってきた通りの軌道を描き、見事ゴールに突き刺さります。
そしてこの『準備したからこそチャンスを掴んだ』という成功体験と、『挑戦して、結果を残した』という経験が、主体性が無かった野瀬さんに良い影響を与える特別な出来事となります。

大学で『距離の文学』に出会う

大学では国際文化学部に進み、その中で比較文化のゼミの研究で『吉行 淳之介』と『樋口 一葉』の研究にのめり込みます。
様々な文豪がいる中で、野瀬さんは特に”吉行 淳之介”に魅了されていきます。

野瀬さん曰く、吉行淳之介という作家は、『距離の文学』と評される作家で、『他人と自分』『世間と自分』『社会と自分』を巧みに描き、『驟雨(しゅうう)』では芥川賞を受賞しています。

吉行淳之介の作品は『砂の上の植物群』『暗室』など、性を媒介として人間を探求した作品で高い評価を受けているそうですが、その中でも野瀬さんは、主人公の幼少期の心を描いた『童謡』がたまらなく好きで、人生を支えてくれた一冊となったそうです。

その背景には

『成長したいし、大人になりたい。』
でも『無くしたくない何か』があり『その何か』が分からない。

『その何か』を無くすと
『自分の大切な何か』を置き去りにして成長してしまうのでは無いか。

と言う漠然な不安を抱えていたそうです。

しかし、吉行淳之介の『童謡』を大学で研究する事でその不安は、自分だけが感じた不安では無く、この不安を美意識として持つ感覚が日本人には昔からあったことに気がつき、子供から大人への成長にとても大切な事なんだと自分なりに解釈出来た事で、漠然とした違和感から救われ、心がスッと軽くなったそうです。

※ポッドキャストにて野瀬さんが影響を受けたもう一人の作家『樋口一葉』についてのお話を、野瀬さんの実際の声で聞く事が出来ます。


進んだ道は大手商社の営業職

そんな、日本文学の研究に没頭した野瀬さんでしたが、以外にも就活では、文学から離れ”他の学生と変わらず”一般企業を中心に就活を始めます。

出版社への就職や、大学院でさらに文学の研究をする事も少し考えたそうですが、”世間的”に見ても社会人経験は必要だと感じ、繊維商社の営業マンとして働き出します。

そして実際に働いてみると仕事に忙殺される日々が続きます。
入社3年目位までは記憶が無い位、目まぐるしく働きました。
仕事に没頭し、時に楽しさを見い出しながらも何とかやってきましたが、入社から14年目の去年、退職を決意します。

退職に至った大きな理由は、このままキャリアを積んでも『自分がなりたいと思える自身の未来像』が描けなくなっていった事が背景にあり、自分のやりたい事で生活が出来るのか自分で試してみたくなったそうです。

改めて『自分のやりたい事』を考えた

実際に退職して、会社の歯車から抜けてみると『他人と自分』『世間と自分』『社会と自分』の距離にずっと違和感を感じていた事に気がつきます。

そして、幼少期に感じていた事と似た感情を抱きます。
それは、『自分の大切な何かを置き去りにして成長してしまったのでは無いか』と言う事です。

では自分は一体何を置き去りにして育ってしまったのか?
野瀬さんが、たどり着いた答えは『空間』でした。

具体的には、『社会と自分』の距離感に息詰まった時にリセット出来る『空間』
それは、商社マンとして仕事に忙殺された時に出会いたかった『空間』とも言えました。

自分自身が出会いたかった『空間』を求めて

この『空間』という答えに辿り着いた野瀬さんは『自分はこれから何をして生きていきたいのか?どういう価値を創造していきたいのか?』が明確になります。

それは日本の伝統文化『銭湯のオーナー』になり自分の理想の『空間』を作る事です。
自ら銭湯のオーナーになる事で、銭湯に来てくれた人達が『他人と自分』『世間と自分』『社会と自分』の適切な距離を見つめ直せる場所を自ら作りたいと強く思ったからです。

ずっと誰かと誰かの間に入る人生だった。
ずっと誰かの何かを叶える人生だった。
だから、
これからの人生は、自分がやりたい事を自分で叶える人生を歩みたい。

そう強く願い、野瀬さんは現在、主体的に新しい挑戦のために動き出しています。

悩む事もあるけど、主体的な人生が楽しい。

正直、サラリーマンとしての安定を捨て、将来が怖くなる事も沢山あるそうですが、それ以上に未来へのワクワクが勝っているそうです。

今は、生活の為にフリーランスで繊維仲介業を営みながらも、理想の銭湯での『空間』づくりの為の準備を進めています。
大工さんと共に、古民家のリノベーションをお手伝いをし、日本の伝統的な建物をどう活かして、今の時代にどうのようにフィットさせるかを手を動かしながら学んでいるそうです。


人生の物語は、今、新たにスタートしたばかり。

現時点では、周りからは理解は得られにくく『銭湯なんて無理だよ』と揶揄されたり、苦労もあるかもしれません。
ですが、持ち前の人間力で、野瀬さんが作りたい『空間』が実現される日今から心待ちにしたいと思います。
そして、実際にプロジェクトが動き出した時は、ぜひ応援させて頂きたいです。

野瀬さんが影響を受けた、もう一人の純文学作家『樋口 一葉』について、ポッドキャストで限定配信しています。
ぜひ野瀬さんの優しい声と共に、どんな話し方をする人なのか?想像を膨らませながら『感情と情報』をセットでお聞きください。
きっとあなたの『人生を豊かにするヒント』が聞けるはずです。

編集後記
あなたは野瀬さんのお話を聞いて、どう思い、何を考えましたか。

『空間』という言葉を辞書で調べると
・何も無くあいている所。
・地上で言う上下・左右・奥行きといった方向に、限りなく広がる世界。
と書いてありました。

また、改訂新版 世界大百科事典には、こんな風に書かれていました。
『空間とは時間とともに,人間が自己および他者について認知し,語ろうとするときに登場する基本概念であって,通常はいっさいの事物の生起する舞台もしくは容器のごとき役割を果たしていると考えられる。』とも書かれていました。

『空間』という言葉は、『空と間』という漢字で構成されています。
野瀬さんがこれから創り上げる『野瀬さんオリジナルの空間』を今から楽しみにしたいと思います。

引用:コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%A9%BA%E9%96%93-54827

コウヤ シンゴ

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