可能なるコモンウェルス〈18〉

 絶対王権国家の下で人民は、絶対的な支配者=主権者である君主に「従属する人間集団=臣民」としてひとまとめにされた。ところで「その国家」において臣民=人民は、実際その数自体としては圧倒的な「多数者」なのだったが、しかし当の人民自身が、自らの有するその「多数性の意味」について、実に長い間まるで気がつきもせず、なおかつ関心を寄せることすらしてこなかったのであった。そんな人々がようやく、自らのその「圧倒的多数性」を省みることとなったのは、まさに「その数において圧倒」して絶対王権の主権者=君主を打ち倒し、人民自身によって主権を行使することで、国家を独占支配するような政治体制となる、民主主義=デモクラシーに向かってその足を踏み出した、まさにそのときのことだったわけである。
 もとより絶対主義王権による支配とは、文字通り王=君主という「最小数=ただ一人の特権者」による、独占的で一方的な支配統治形態であったということは、もはや説明するまでもないことだろう。その絶対君主から人民が、たとえば革命によって権力を奪い取るなどといったことは、たしかに歴史的に見るならば、いかにも目ざましい飛躍であるかのように思える事象である。だが、実際にそこでなされていたのは、かねてより権力者が有していたところの、その「独占的な地位の継承」にすぎなかったのだということもまた、ここまですでに繰り返してきた話である。そして何より、「民主主義=デモクラシー」というものについてもこれはまさしく、そのようにかつてから繰り返されてきた「支配統治形態」の一様態なのだというのは、是非にでも心に留めておかなければならない要点なのである。
 「デモクラシー=民主主義」という、近代において一斉に開花したかのように思われる、「新しい」国家統治の形態。しかしその「新しい主権者」である人民が、自らの手による統治形態として採用したものとは、実は千年余も以前の、とある政治的観念の古層から呼び覚ましてきた「いにしえの夢」だったわけであり、しかもそれはあくまでも「支配(クラシー)の一形態」として、それすらもまさしく「いにしえのもの」なのであった。
 人々は往々にして、このデモクラシーの名において自らの胸中に思う「善き政治・望ましき国家」について、時にその目を輝かせながら語っていることだろう。しかし、その理想・理念にもとづいた体制が世に台頭することによって、それですなわちこの世界から「支配がなくなった」というわけではけっしてなかったのだ。むしろただ単に、支配者およびその支配の形態が入れ替わったのにすぎなかったわけである。
 そんなデモクラシーが、要は「支配の一形態」なのであったというからには、その「支配下」において人間は、何よりもまず「集団であることが要求されている」のだということもやはりここで、その支配形態実態として、しっかりと受け止めておかななければならない事柄なのである。

〈つづく〉

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