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たとえ自分一人だけが報われなくても
体調不良でも誰も休めとは言わない
これまで頑張ってきても当たり前だと言われる。
どうして周りにいる人達ばかり幸せなのか
愛されて守られて助けてもらえるのか
とてもじゃないけど耐えられないこともある。
心や身体を酷使して、1人で乗り越えてくると心の限界がわからなくなる。それは正常なことというか、そうでもしなければ前には進めない。
でも大方、その限界を迎える前に愛され守られ結果が出てるため人は踏みとどまれる。
しかし、そうはいかない人もいる。
何か限界なんだ。ということを薄々気がついていても、進まなければならないし支えもないから頑張り続けてしまう。そして、ほんの少しの悪口や無視などでダムは決壊することになる。
今、ようやく我慢の限度、自分の心の天井が見えた。ボクもちゃんと生きていたんだ。ちゃんと心と身体のバランスを取っていたんだ。
だから両方にダメージが加われば、もうダメになるんだ。
その瀬戸際に立って思う。
大概の人は、努力もあるだろうが、努力だけではない部分が大きく割合を占める。まるで、とてもとても大変なことを乗り越えてきているように振る舞うかもしれないが、それは少し違う。
友達がいて、理解者がいて、支えられて、正当に評価されている努力には、本当の努力の要素はバニラエッセンスぐらいの意味でしかない。
要するに、少量の行動で、かなりの成果を得ることができて、全ての素材(結果)を自分のものにできてしまうからである。
本当に闘い、努力し、立ち上がる人には「守ってくれる人も支えてくれる人」も存在しない。それどころか自分の頑張りという全ての行動は「無意味な烙印」を押されて怠惰な人に落とされてしまう。
なによりも結果が伴わないものは、全て何もしてないということ同列になってしまう。
支えられるとか愛されるというのも、利益のあることが根底にある考え方になる。だから、容姿を努力しても、頑張り続けても、利益になるレベルではないなら見られることもない。
努力をしていれば、できることをしていれば、叶うはずだ。1人なんかにならない。助けてもらえるはずだと信じていたが嘘だった。
自分のやってきたことは、あらゆる面において無意味であること知った。
たくさんのことを諦めてきた。それも自分の選択ミスではなくて、周囲の人や環境のせいだったり理不尽なもので。
それでも諦めないように努力しようとして、せめてみんなと同じぐらいの幸せを手に入れ良いと思った。
でも一つ一つ消えていく。
あの努力も、あのお金も、あの時間も、あの日々も、あの涙も消えていく。
全て無意味だという言葉のなかに。
評価や結果がなければ人は生きられない。
否定しても否定しても付きまとってきてしまう。
自分1人だけが報われない。
その絶望は、あの時よりも苦しいかもしれない。
自分のできる声はあげたはずだ。
できることも諦めずにやっている。
それでも報われこともない。
守ってもらえることもない。
じゃあ僕は何を学んだ。
もしも僕の命が未来に続いたら
ちゃんと人を褒めて助けて守っていこうと
報われないのなら手を差し伸べてあげられるようになろうと思う。
多分、そんな未来はくることはない。
僕は死を選ぶだろう。
だけど死ぬときぐらい笑って死にたい。
そして、好きな人と食事をして、好きな人にちゃんと自分という存在がいて、友達がいて笑っていた
頑張ってきたんだ。もう1人じゃないんだと。
そうやって死にたいけど、実際は野垂れ死ぬ。
僕はなんのための生きてきたのだろう。
1度ぐらい幸せになりたかった。
まだ、あと何をしたらいいの?
あとどれくらい頑張れば助けて貰えるかな。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。