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生まれ育ったまちの文化をつくる仕事 | 松下文さん

「それでは、今からまちの歴史や特産を勉強しましょう」

そんな先生の一言から始まる授業が、小学校では必ずある。自分たちが暮らすまちの歴史や、地理や産業を学ぶ時間。しかし恥ずかしながら、「地元の特産って何?」と聞かれても、大した答えを返せる自信がない。
香川県には、国産手袋の90%以上を生産するまちがある。香川県東かがわ市。人口30,000人程度の決して大きくないまちで、国産手袋のほとんどを生産している。しかし、知られていない。地元にも浸透しているとは言い切れない。産業や特産品を生かしきれていないまちは、世の中に数多く存在する。

「せっかく産業があるのにもったいない。もっと多くの人に知ってもらうことができないか」

そんな誰もが抱く想いを形にするひとりの女性。東かがわで生まれ育った松下文さんは、伝統的な手袋産業をブランディングし、全国に発信する「tet.(テト)」という会社を運営している。松下さんがtet.を通じて挑戦しているのは、手袋の商品企画や販売だけではない。まちの中心産業である手袋をひとつの入口に、東かがわの「まちの文化をつくる」仕事をしている。「手袋がまちの文化?」大げさに聞こえるかもしれないが、松下さんやtet.のビジョンを紐解くと、決して飛躍などではない。まちの産業とまちの文化を結びつける、新しくクリエイティブな仕事がそこにある。

松下さんのアイデンティティを育んだまち「東かがわ」

松下さんは、東かがわ市で生まれ、高校卒業まで過ごした。高校卒業後は仲の良い姉の勧めで姉と同じ県外の大学に進学し、電機メーカーでの勤務を経て、tet.の立ち上げに参画する形で東かがわにUターンする。

「実家が商売をしていることで、地元の人たちと濃い関わりを持ちながら育ちました。中高生の頃は部活のバスケばかりしていましたね(笑)。大学では、留学が印象に残っています。国ごとのバックボーンの違いに驚き、でもそれを尊重した生活を経験して、幅が広がったと思います。あと、日本のものづくりに興味を持つようになりました。授業やゼミで企業のものづくりの背景やストーリーに興味を持つようになり、留学でも、日本と言えば車や家電等のものづくりの印象が強くて、日本のものづくりに誇らしさのようなものを感じることもありました。電機メーカーに就職したのもその延長線のような話だと思います。就職後は、最初は大阪で家電量販店への製品の営業を担当しました。量販店の方が店頭で自社製品を勧めてくれるかは、もちろん性能もあるんですが、最後は担当者との関係性、 “人”だったりします。そういう泥臭い関係構築が必要な仕事で、配属されたのは同期の女性社員の内2人だけで大変でしたが、やりがいはありました。その後、東京に異動して、マーケティングや商品企画等を担当しました。新しくできた部署だったので、企画をゼロから手探りで立ち上げ、外部のメーカーと協業してイヤホンの商品企画を担当しました」

仕事にやりがいを感じていたと語る松下さんは、不満があって消極的に東かがわに戻ったわけではない。またUターンをかねてから切望したり、周到に計画を練ったりしていたわけでもないと言う。

「東かがわに目が向き始めたのは社会人になって徐々にですね。少なくとも『絶対に東かがわに帰ってくる』という強い意志を持っていたわけではないんです。『いつか帰れたら良いな』と考えている程度でした。
ただ、今振り返って思うと、幼少期の経験は大きかったのかなと思います。地域の方々がお客様でいてくれるからこそ実家の会社が成り立っていて、自分たちが教育を受けられている、という話を両親からよく聞いていました。両親が共働きだったので近所の友達の家で過ごすことも多かったですし、帰省すると『ふみちゃん、おかえり』と笑顔で言ってもらえます。その幼少期から過ごしたまちが、消滅可能性都市に挙げられ、小学校は閉校し、衰退することに寂しさを感じていました。両親から『帰って来い』とは言われませんでしたが、地域が衰退してお客様が減ることのリアリティや、地域全体で様々なものが成り立っているという実感は強く持っていたと思います。地域の魅力が人に伝わり、地域で暮らす人の幸福度が上がることの大切さについて、おぼろげに考えていました。ただ、帰って何ができるのか、具体的なことは分からないまま、社会人生活を送っていました」

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(松下さんが生まれ育った東かがわの風景)

tet.立ち上げのきっかけ

電機メーカーで普通に働いていた松下さんが、tet.を立ち上げることになるのは、縁とタイミングに恵まれたとしか言えないひとつの話が舞い込んだことがきっかけだった。

「漠然といつか東かがわに帰ると考えていたタイミングで、ちょうど姉(当時東京の会社から高松市役所に出向中)から、『香川の手袋をブランド化して全国に売り出す新しいプロジェクトを立ち上げる人がいて、香川で腰を据えて事業に取り組める人を探している』という話があったんです。姉も香川に貢献したいという想いを持っていて、『地元・東かがわの話で興味がある』と。実は私はその時はあまり関心を持ったわけではありませんでした。その方は、今治タオルのブランド化を進められた方で、姉が会いに行く際に誘われ、半分観光気分で付いて行って、プロジェクトの骨子等をいっしょに聞きました。その方も『本当に興味があれば検討いただければ』という姿勢で、個人的には『やりたい』とも『無理』とも思わずフラットに話を聞いて帰りました。その後、姉といろいろと突き詰めて話しましたね。姉は情報サービス業に携わっていることもあり、手袋のブランド化という事業に『可能性は感じるが、あまりイメージが湧かない』という話や、『姉妹2人でやるのはおもしろいが、2人とも大企業を辞めて経験の無い業界に飛び込むのはリスクが大きい』という話をしました。2人が共通で持っていた想いは『東かがわが手袋のまちであるということが知られていなくて悔しい、それをPRするきっかけをつくれるのはすごく良い』というものでしたが、『どうするのが最適なのか分からない』という状態でもありました。決め手になったのは、『もしこのプロジェクトを他の人がやるとどう思うか』という会話だったと思います。東かがわの外の人が地域に入って取り組むとなると仮にうまくいかなかったときに離れてしまうし、でも自分たち以外に地元でやろうという想いを持つ人がいるかも心当たりがありませんでした。この時点で話を聞いた以上、成功しても失敗しても、選択しなかったときに後悔が生まれると思い、『私、やってみようかな』という気持ちが初めて芽生えました。そして、詳しく話を聞く時間をもらいました。当時は手袋に特別な想いがあったわけではないのですが、手袋がずっと東かがわにあるものだということは大きかったですね。東かがわで事業を興すことを考えたときに、代表するものは手袋だと思ったので。2015年の年明けに話をもらって、2月3月で話し合い、4月に会社に退職を伝え、8月に退職して東かがわに戻りました」

リスクは大きかったはずだし、周到に準備を重ねた事業でも無かったが、松下さんは挑戦することに決めた。簡単な決断や行動ではなかったはずだ。個人的に感じる松下さんのすごいところは、流れや縁やセレンディピティに気づくアンテナの感度、そしてそれらを掴むしなやかな行動力だと思う。
確かに、何か新しい事業を立ち上げる人には、圧倒的なビジョンや事業戦略を持つ人が多い。しかし、そういう人しか事業を立ち上げられないかというと決してそうではない。今回の場合で言うと、東かがわの地でビジョンや戦略を明確に定め、周到に事業を企画立案することが唯一の正解ではない。地元のことを想い、関係性を育み、だからこそ情報が入り、自分なりに洞察し、勇気を持って掴みにいくと決める。周到に準備をしていると逆に身動きが取りにくかったり、現れたきっかけを自分に合わないものとして見送ったりしたかもしれない。松下さんが岐路で見せる勇気を持ったしなやかなアクションを見るに、流れや縁やセレンディピティを掴むには、そこに気づく感度と柔軟な行動力が重要な要素であることに気づかされる。地域に課題意識や想いを持つ人が行動を起こすとき、松下さんのアクションには大きなヒントが隠されているように感じる。

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(tet.のロゴマーク)

プロジェクトの頓挫と、徐々に知る手袋産業が抱える根深い課題

新規事業の立ち上げにリスクは付き物ではあるものの、tet.も決して例外ではない。松下さんが参画するタイミングである程度形が見えてきていたプロジェクトの骨子は、実は紆余曲折を経て頓挫し、何と一旦白紙の状態に陥る。参画してわずか2ヶ月のことだった。そこから、松下さんを中心に企画をゼロから練り直すことになる。
そこで松下さんは、改めて手袋工場の方たちの声に耳を傾けることから始めた。手袋産業の現状や未来、具体的に実行できる企画のアイデア、数ヶ月かけて直接話す時間を持った。改めて、本当に東かがわのためになるプロジェクトになっているか、考え直したと言う。
松下さんは東かがわで生まれ育ち、手袋は身近なものだったが、手袋産業に精通していたわけではない。事業として関わり始め、手袋工場のリアルな声を聞くことで初めて、手袋産業が持つ課題を少しずつ理解し、伝統産業が抱える複雑で根深い課題に直面していくことになる。

「いろいろな工場で話を聞き、様々な声を耳にしました。まず、東かがわの手袋産業のひとつの課題は、認知度が低いことでした。OEMでの生産が多く、有名ブランドのおしゃれな手袋や、高機能なスポーツ用の手袋が、実は東かがわでつくられたものなのに、それが表に出ず世間に伝わっていません。そこで、東かがわ市製や国内製の手袋のプレゼンスを高めたいという話を手袋工場の方にし始めたのですが、『難しいのではないか』という声が大半でした。しかし一方で、『ではどうするのか、この産地はどうしていくべきなのか』という問いに対しての答えを、誰も見つけられていない状態のようにも感じました。無いからこそやってみた方が良いという方もいれば、それをリスクだと捉える方もいます。私としては『分からないならやってみるしかない』という気持ちで動き始めました。
手袋産業に携わり始め少しずつ課題を紐解いていくと、複雑な背景が分かってきます。国産の知名度が低いということを深掘りすると、人手不足や人件費削減のために工場を海外に移転し量産の9割近くを海外で賄っていること、それによって国内製品の価値が評価される土壌やマーケットが育っていないこと、人材を育成したくても必ずしも若い人にとって魅力的な職場環境になっておらず採用が難しいこと、一朝一夕では技術継承が難しく職人さんの人数は減少の一途であること……それぞれが絡み合って、正直何から手をつければ良いのか分からない状態でした。本当にいろいろなアプローチが考えられる中で、tet.としてはまず、国産手袋の価値を知ってもらうことから始めようと決めました。技術の高さについて認知度を上げ、職人さんのモチベーションにつなげることをまず大事にしてやっていこうと。そのために、まず東京や海外での評価を高め、その評価が地域に逆輸入される流れを生むことを目指そうと考えました。最初は協力してくれる4社と、それぞれコンセプトを練り、各メーカーの1番得意な技術で、1番良いと思うものをつくりました。私も手袋の知識が乏しく、技術的な難しさを理解できなかったり、筋違いな要望をしてしまったり、ご迷惑をおかけすることも多くありましたが、いろいろな方の助けを借りることで何とか初年度の商品を形にすることができました」

物事にはやり始めてから分かる、やりながら気づくという側面が必ずある。手袋産業のリブランディングについて、松下さんはやればやるほど深く知っていったのではないだろうか。その難しさの前に立ち尽くすのではなく、無数の選択肢がある中でどういうアクションをとるか。手袋産業の未来のために大切にしたいことと、地元の声に寄り添うこと、その高い次元でのバランス。寄り添うだけが正解ではなく、より良い変化のために衝突もあったと言う。我を押し通すだけでなく、要望に応えるだけでもなく、伝統産業だからこその難しい環境の中で折り合い、新しい価値を生み出すアウトプットをつくる、その感度と行動力が松下さんのすごさだ。

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(tet.が製作した手袋)

tet.が手袋を販売するときに大切にしていること

「初めて出展した展示会は商品を形にすることでいっぱいいっぱいでしたが、お客様からはありがたいことに良い評価をいただき、少しずつ取引が始まりました。手袋は、秋冬になって販売が始まると、同時並行で来シーズンの企画をつくり始めます。コンセプトを立てて、メーカーと相談して、春頃にラインナップを揃えて営業して、その商材が秋冬になって販売が始まると、また翌年の企画を立て始めて……と、毎年このサイクルを回して、少しずつ企画と販路を広げています。販売のチャネルは、イベント開催、百貨店等のお店への卸売、ECサイトでの直接販売という大きく3つがありますが、販路を闇雲に拡大すれば良いというわけではありません。何よりブランドの背景やストーリーを丁寧に伝えることを大切にしています。例えば、卸売ではお店に置いた後も継続的にお店と関係構築を図ったり、ブース設営や売場の方への説明に時間をかけたり、ポップアップショップに直接人を手配して店頭に立ってもらったりします。全部が遠隔でできるものでもないのと、メンバーが3人なので、できることにまだまだ限りがありますね。
企画面では、最近では他のメーカーとのコラボ商品をつくることが増えてきました。東かがわは日本で唯一の手袋のまちであり、様々な機能の手袋をつくる唯一のまちです。そこで、様々な機能性にも光を当てて、東かがわの手袋産業全体をより多面的に見せたいという想いを持っています。手袋の枠というか可能性を広げるために、料理道具屋とコラボして耐熱機能を持つ手袋を展開したり、おもしろい商材や技術とコラボした企画を増やしています。各手袋工場さんの特徴や強みの理解も深まってきましたし、県外との関係性も広がりありがたいことに良いご縁をたくさんいただくので、おもしろいと感じた産地間同士で連携して新しい価値を生めればと考えています。手袋の新しい発想の入口としての役割をtet.が持つというか、『手袋の技術を使ってこんなこともできる』というアイデアを生み出したり編集したりする役割をtet.が担っていければと思います。この発想や編集の感覚が、tet.としての肝の部分なのかなと思いますね。発想やアイデアが無くなってしまうとtet.じゃなくなるというか。東かがわの手袋産業が今できること、tet.のラインナップが東かがわの手袋のオールスターのような役割を担えれば、tet.を広げること自体が東かがわの手袋の可能性をより多角的に伝えることにつながると考えています」

そして、企画と販売のサイクルが回り始めたtet.は、立ち上げのきっかけをつくった親会社から独立のタイミングを迎える。独立は創業当初から想定されており、親会社も後押ししてくれた円満な形だった。メンバーも創業時からの3人で変わらず、取引先とも変わらず良い関係が続いている。「資金面やあらゆる部分で言い訳ができなくなったので、より一層気を引き締めて取り組まなければ」と松下さんは言う。

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(tet.の創業時から変わらない3人のメンバー)

これからtet.が目指していくこと

「この先tet.がどうなっていくか、それは東かがわの手袋産業の方といっしょに探していきたいと考えています。そういう事業にしているつもりです。
ひとつはやはり、手袋の職人さんが自分のつくったものに誇りのような感情を持てるようになればと思っています。tet.の取り組みを通じて、自分がつくった手袋がどう売れているかを実感してもらったり、新しい製作や挑戦を意気に感じてもらったり。目に見えない部分ですが、プラスの意識の変化を生むには何が必要か、日々考えています。決して押し付けではなく、結果的にそう思ってもらえたら良いなと思いますね。そして最終的には、東かがわの子どもたちが手袋産業に憧れるようになるのが理想です。『手袋をつくる人のため』という想いは、一代限りではなく次世代や子どもの代にも続いていきます。東かがわの手袋のプレゼンスが高まり、家庭内で『これはお父さんがつくった手袋だよ』という声が生まれたり、地域内や工場内でより一層誇りを持って輝きながら仕事ができるようになれば最高ですね。これはとても時間がかかるものだと思っています。
本当に様々な要素があるので、多角的かつ総合的に様々なことが形にできるtet.になっていけたらと思います。まずは自分たちがしっかり立つことですが、困り事を助けられる力もつけたいです。例えば、職人さんは技術が高くても言語化が苦手な方も多くいます。ただ、今の時代は伝統産業の界隈でも語れる職人さんが増えていて、tet.がそういう言葉にするお手伝いができると良いなと。本当にいろいろと微々たる変化の積み重ねが必要だと思います。
その積み重ねの結果、職人さんから子どもまで、手袋産業にポジティヴな印象が広がれば理想です。自分たちのまちが手袋のまちだと知られること、それこそ香川県出身と言うと『手袋のまちがあるよね』と言ってもらえること。まちの中でも自分たちの産業の良さや誇りを言葉にできること。自分のまちの産業、延いてはまちに誇りを持てれば、県外に出ても帰って来る人は増えると思いますし、地元で働きたいと思える選択肢を生むことにもつながるはずです。
話していて気づきましたが、究極な話、手袋じゃなくても良いのかもしれません。自分にとって大切なのは、次の世代がこのまちに誇りを持ち、まちが続いていくこと。その誇りを生むきっかけとして、地元らしさを最も感じられ、自分が貢献できる領域である、手袋産業のアップデートにまず取り組んでいるのかなと。地元への誇りを育むにはいろいろなきっかけがあると思いますが、東かがわには製薬会社もあれば和三盆もあり、ものづくりのまちとして根づいている何かがあると思いますし、手袋を通じてそのきっかけのひとつを育てている感覚かもしれません。tet.として手袋産業に刺激やエネルギーを生みつつ、売上も人も少しずつ増やしつつ、tet.としてできることが増えていくのが理想ですね。それこそ、東かがわというまちの文化そのものをつくっていくようなこと。そういうことが実現できれば最高です」


「それでは、今からまちの歴史や特産を勉強しましょう」
自分たちが暮らすまちの歴史や、地理や産業を学ぶ時間が必ずある。そう、そうした授業は必ずどこの地域でもあるのだ。自分が暮らす地域や産業の良さを大人が言語化できれば、まちの産業とまちの文化がポジティブに結びつく仕組みが回っていけば……そこに暮らす人たちの誇りにつながり、そのまちが未来に続いていく活力の源になるのではないか。東かがわと手袋産業の関係性、そしてそこに向き合う松下さんやtet.の取り組みは、まちのあり方そのものをポジティブに変えていくひとつの壮大な挑戦の形なのかもしれない。



松下 文さん(tet.ブランドマネージャー) 

1987年 香川県東かがわ市生まれ。
2010年 立命館大学経営学部卒業後、大手家電メーカーに入社。営業や商品企画に携わる。
2015年 地元への恩返しを胸に、㈱エイトワンの新規事業に参画。香川県東かがわ市発の新プロジェクトとして、tet.(テト)をスタート。
2018年 株式会社tet.として、tet.ブランドの運営を継承。 

●tet.:https://te-t.jp/

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