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たくらんでいることと、2/4の覚書。

6月に島根県内で作品の展示をします。
たくらんでいることに必要な、空き家に残されたカレンダー。

寒い寒い立春の日、一軒の空き家から14組ものカレンダーをいただきました。



朝、「新聞見たよ」との連絡をもらい、先日の取材が記事になったことを知る。まだ数日先だと思っていたので、不意を打たれて驚く。

9時、担当者さんが地域おこし協力隊の月面談のために家に来てくださり、最近の仕事の話をする。

そして前からの約束通り、空き家に案内してもらう。
「家の中どうなってるか分からないから長靴で」…よく理解せぬまま、とりあえず長靴を履く。

車中でおよその場所を聞いて、以前、隣町の方に小学校時代の恩師の消息を調べて欲しいと頼まれて判明した家(空き家)かもしれないと、ざわっとする。
そんな偶然は苦しすぎると思った。けれど、結局違う家ですこし安心する。

家の前で車を降りて、そこから先は背の高いイネ科の立ち枯れを掻き分けて進むしかなかった。かわいた音と手の感触に、立ち入らない方が良い場所ではないかと思った。

母屋と倉庫2つ、あと水回りが独立した建物という大きな家。
どの扉にも後付けの南京錠がついていて、母屋裏口の南京錠を開けてもらうあいだ、倉庫2階の障子が破れているのを眺めていた。

扉が開いて、担当者さんがまず入り、長靴のまま板間に上がる。
私は小さく「おじゃまします」と言い、倣って長靴を脱ぐことなく。

するとすぐに、「あったよ」の言葉。
3畳ほどの小さな寝室の壁に、縦長のカレンダーと横長のカレンダーが重ねて掛けられていた。

またすぐに、「あった、あった」と、玄関に1枚。

家の中は、少し片付けをしたような痕跡もありつつ、手付かずの場所もあった。
どうしたら良いのか分からず、とりあえず記録だけはしようと写真を撮った(あとから見返すと、かなりピンボケしていた)。
その間にも、担当者さんがどんどんとカレンダーを見つけてくれる。一軒の家にカレンダーありすぎ。笑

母屋で8組のカレンダーをいただき、次は倉庫…の前に外の洗濯機の横に風化したものが2組。
その写真を撮る間に倉庫の鍵を開けてくれて、きのこの生えた階段を上がる。

すると、先に行った担当者さんの、「かびっ、うえっ」の声。
屋根の抜けた押し入れの中のものが黒カビで覆われていた。
屋根がなくなると家は傷むと聞くけれど、こういうことかと知った。そして、におい。

黒カビの押し入れとは対照的に、部屋の中は可愛らしい人形や、チラシで作った蝶々や、お土産物などの装飾品で彩られていた。
そして、天井付近にはたくさんの賞状。ここの家主が「かずゆきさん」ということと、役場で課長をされていたことが分かる。

ほかにも、家族写真や、家の空撮写真など。を眺めるとなしに眺めていたら、「母屋でおじいさんが暮らして、ここでおばあさんが暮らしてたんだね」と担当者さん。
そう。長靴のまま上がるしかなかったこの場所では、おばあさんが、たからものに囲まれて暮らしていた。

そこでは2組のカレンダーをいただき、次は倉庫の1階へ。
床がコンクリートのためか、全体の中で一番傷みが少なく、さらっと2組のカレンダーを見つけて外へ出る。

鍵を閉めて、またイネ科の植物を掻き分けて車の場所へ戻る。
かびのにおいが、口の中に満ちていた。

ここの家の畑だったと言う場所にはビニールハウスの骨組みが一応自立していた。
夏には草で埋もれて見えないかもしれない。

「改修するよりも壊して立てたほうがよいね」と。
でも、家を壊す資金を持ち主や行政が出す可能性は低いだろう。
何しろ、このあたりには同じように改修できないほどの物件がいくらもある。

そのうち、母屋の屋根も落ちはじめ、かびが生えはじめ、すべてが草の中に…なるのだろうか。
かずゆきさんと、奥さんが暮らしていた。笑って、泣いて、怒った、この場所。その記憶。


帰りのカーラジオから、スピッツの「楓」が流れた。
「この曲が流行っていた頃はあの家は人がいたんだね」と担当者さんが言う。

私は後部座席で、床に置いた今日の戦利品、14組のカレンダーの束に目をやった。
カレンダーがめくられなかったと言う点では、時間は止まっているのかもしれなかった。しかし、そんなことはなく、時間は流れていた。

そして、すぐに家に着く。
本当にすぐに。

スマホを見ると、新聞記事を見てくれたひとから連絡がいくつか入っていた。
かずゆきさんの賞状を思い出す。

賞状を貰うことが決まったとき、貰うとき、それを家に持ち帰ったとき、かずゆきさんも「おめでとう」をみんなから言われたことだろう。
それを額縁に入れて、壁にかけるとき、奥さんはうれしかったことだろう。
踏み台を持ってきて、その上でまるい腰を伸ばしながら壁にかける姿を、勝手におもった。

私はすぐに連絡に返信をする気持ちになれず(すみません)、スマホをかばんに戻して、カレンダーの物撮りをすることにした。
母屋のカレンダーは2013年10月が最後で、倉庫2階は2010年6月が最後だった。

その間もかばんの中から、スマホの通知音がしていた。


気持ちが持ってかれていた。
家で昨日までの作業の続きをしても、身が入らないのは明らかだった。

確定申告の仕事を残していて良かったと呟きながら、資料一式を抱えて自分の車に乗り込む。
それでも運転をしながら、ずっと考えてしまう。

へんてこな出逢いかただ。
2013年よりも前に私がここに来ていたら、かずゆきさんと知り合って、「課長をされてたんですね〜」と言ったかもしれない。
そして、お家に遊びに行って、お茶をいただいたかもしれない。
間違っても、長靴で上がり込んだり、寝室の写真を撮ったりはしなかっただろう。

実態のないかずゆきさんに、私は出逢った。

そして、私はこれから。


これから、カレンダーをカッターで切る。ブロックの上で柔らかくして、糸車でヨリをかける。織って布にする。

こころが持ってかれていた。


口のなかのかびを消したくて、喫茶店でコーヒーを頼む。
思った通り、確定申告はこの日の仕事としてぴったりだった。

ご近所の方から電話が入り、「ケーキを焼いたけど、家にいる?」とのこと。
帰宅してから、寄らせていただくことにする。

確定申告のための書類の不足が分かり、途中からミニセミナー用のスライド作りに移行した。
やらなきゃならないことは山のようにあるけれど、すべて、やらなくても良いことかもしれなかった。

かずゆきさんは、もうなにもしていない。


ご近所の方のお家へ行く。
ご主人の読経が聴こえた。

コロナの感染者数の話をして、美味しそうなケーキをいただいて、帰る。

そうだった。玄関の床にカレンダーを広げたままだった。

そこからは、仕事の連絡ですこし忙しかった。
今進めているいくつかのものと、新聞を見てWEBサイトのメールフォームからの新しい仕事の連絡。

夕飯を食べて、ケーキをいただく。
美味しくて、ほっ。

今日載せていただいた新聞記事がネットで読めるか調べる。
会員じゃないと読めないようだったが、写真だけは見られた。フラッシュの違い?で映りの違う2枚が出てきて、おもしろかったので、インスタのストーリーに上げる。

足りなかった確定申告の書類を探して記入して、お風呂に入る。

そこまでだった。


外では風が樹々を揺さぶって、うねり、さけんでいた。
雪が降るらしかった。

お風呂から上がり、2階の窓から身を乗り出して風に吹かれる。
屋根のないお家では風がどんな声を立てるのか。それでも、人形は口角を上げて、並んで座っている。いまも、暗闇で。

当然、身体はすっかり冷えて、布団に入っても寝付けない。
久しぶりに飲んだコーヒーもたぶん効いている。

この制作を完了したら…と目を瞑りながらおもった。

私は変わるだろう。と言うよりも、戻ってこられない場所に迷い込む。
そのとき、自分の変化を自覚するために、いまの自分のことを憶えておこう。また、口のなかにかびをかんじた。

しかし、知っていた。
今日の出来事は、空き家へ行った。カレンダーをいただいた。喫茶店で仕事をした。ケーキを美味しくいただいた。
ということ以外は、何もかも私の妄想でしかなかった。

かずゆきさんと奥さんはかつて生きていて、いまはいない。
私は私の妄想と出逢っただけだ。

しかし、この制作では、私はたぶん、最大限に妄想を膨らませなければならない。
なにかをうったえる。そして、かんじてもらう。そのための制作なのだから。(こういう事を考えている時点で、没入することは無理かもしれない)

くらやみだ。

おもいを
渦のように
のこして、

うっすら、ゆるやかに、睡眠に移行していった。



上は5日に書いたが、文字の型に押し込めるのが早急だったかもしれないと後悔している。
もう少し感情を漂わせて、自然とかたちになるのを待つべきではなかったか。



紙布織 山内 https://shifuori.com/
Instagram  https://www.instagram.com/shifu_ori_yuy
   

島根県石見地方、川本町という人口3500人の小さな町地域おこし協力隊として、染織をしています。協力隊の任期後に作家として独立し、「石見織」を創立するために、日々全力投球。神奈川県横浜市出身。