「やりたい」から目を背けて「やらなきゃ」で仕事を選んだ男の悲惨な末路【実体験】
やりたくもない仕事を選んでしまった僕
「俺、立派な看護師になる!」
僕は大学を卒業後、興味もやる気も全く無いのに看護師になりました。
その理由は、
男の看護師がいたら格好良さそうだったから
あまり勉強しなくてもなれそうだったから
専門学校卒でもなれる
大学だとしても他の学部と比較して偏差値は低め
国家試験の合格率は毎年90%程度
需要が無くなることはなく、景気に左右されにくいから
給料が高いと聞いていたから
実際には生涯年収はサラリーマンと大して変わらない
立派な職業に就けば親や周囲が喜ぶと思ったから
です。
周囲が喜ぶ=自分の生きる意味=義務
僕は頭も悪く勉強も大嫌いですが、それでも人並み以上には勉強が出来ていました。
点数を取るための方法に気付くのが早かったからだと思います。
ですので、高校卒業後は県内で一番偏差値の高い国公立大学の看護学部に行きました。
周囲からは褒められましたし、そんな自分が誇らしかったです。
周囲の期待に応えることが気持ち良く、それが生きる意味にすらなってしまっていました。
次第に自分の本当の気持ちからは目を背けて「俺、立派な看護師になる!」と自分を偽るようになり、
看護師に「ならなければいけない」という義務を自分に課していました。
もう引き返せない
しかしいざ大学2年生で看護学の勉強が始まると、驚くほど医学や看護学に興味を持てませんでした。
テストは常に合格ギリギリの点数でしたし、病棟実習も可能な限り休んでました。
患者さん、指導者さん、先生、学校、学費を払ってくれた親に本当に申し訳ないと思いながらも、頑張ろうと思うことは出来ませんでした。
思えば自分は現場でキビキビ動くようなタイプではありませんし、他人を思いやる気持ちにも乏しいですし、コミュニケーション能力も低いです。
自分は本当に看護師向きではないなと感じながらも、「俺、立派な看護師になる!」を今更止めることはできませんでした。
就職→やはり早期退職
そうして大学を卒業し、遂に看護師になりました。
結果はわずか3か月で退職。
明確な理由があったわけではないのですが、とにかく何もかもが嫌でした。
看護服が似合っている自分の姿
自分より一生懸命な同期
年下の先輩
初対面で偉そうな医者
笑顔で接してくれる患者さん
初めて聞くカタカナ
病棟のにおい
時代遅れな手書きカルテ
自分のと大して変わらない上司の給料
みんな嫌で仕方がなかったです。
僕がすぐに仕事を辞めたことで、親や周囲はいたく嘆いたと思います。
言葉にはされませんでしたが、本当は「何やってるんだよ」「情けない」「いいから働けよ」と思っていただろうと思います。
そう予想するだけで、当時僕の自己肯定感は地に落ちたものです。
性懲りもなく転職活動
もう働きたくないとは思っていましたが、それでは生活が立ち行かなくなる上に周囲の目も痛かったため、すぐに転職活動を開始しました。
この時点で看護師以外の一般就職をすれば良かったのですが、資格がもったいない、別の病院で看護師をしてみないと本当に自分が看護師に向いていないのかどうか分からないという理由から、もう一度看護師を目指して転職活動をしました。
しかし就職に困らないと言われていた看護師でさえ、次の転職には苦労しました。
実務経験なし、基本的なスキルなし、3ヶ月で消える人間に社会が温かいはずもありません。
「何でたった3ヶ月で辞めたの?」
分からないけど、なんか無理でした
「またすぐ辞めるんじゃないの?」
分からないけど、辞めないと思います
「どうして看護師になったの?」
分からないけど、しゃかいこうけんしたいからです
もちろんこんな受け答えはしませんでしたが、心の中ではこう思っていました。
どの面接でも同じことを聞かれうんざりしていましたが、悪いのは全て自分です。
面接を重ねるほどに本当に自分は看護師をすべきなのか?と疑問が強くなっていきましたが、それでも愚かなことに、自分は総合的に考えて看護師になるべきなのだろうと思っていたので、見て見ぬふりを続けました。
転職→またもや早期退職
アルバイトで収入を繋ぎ留めながら半年かけて30社くらい面接を受けた末、年末に差し掛かった頃にようやく内定を頂くことができました。
その結果、結局1か月で辞めました。
理由は1社目と同様ですが、自分より体の大きな患者さんを移乗した際、人生初の腰痛を発症してしまったことも理由の一つでした。
性格や能力面だけでなく、身体的にも看護師に向いていないんだと悲しくなりました。
ちなみに数年経った今でもこの腰痛には悩まされています。
それはさておき、こうして僕の社会人1年目はひたすらに履歴書を汚すだけで終わりました。
これなら1年間就職浪人をしていた方がマシだった、自分は何をしてもダメだ、本物の社会不適合者だ、人生終わった、親に申し訳ない。
それまでの僕の人生で、これ以上の挫折はありませんでした。
人生の転機
しかしある日、逆にこれ以上失うものは無いということに気付きました。
もう周りの目やこれまでの自分の積み上げてきたもの、将来性なんかは気にせず、今自分が「やりたい」もの、或いは既に「できる」ものの中から仕事を選べばいいじゃないかと、考えは変わっていきました。
そうして選んだのは「学習塾の教室長」でした。
高校生の頃から小中学生に勉強を教えるアルバイトをしていて、大学時代には個人事業としての家庭教師をしていた僕にとって、教育系の仕事は既に「できる」ものでしたし、いつも結果を出すために夢中になれて、ある種楽しく取り組んでいた、まさに「やりたい」と思えるものでした。
結果は大成功でした。
配属された教室の在籍生徒数や第1志望合格率を、1年目にして歴代で1番高くすることができました。
結果が出るので楽しかったですし、
楽しいのでより結果を出すために毎日試行錯誤しました。
「やらなきゃ」に囚われて看護師をしていた頃からは考えられないほど、僕は一生懸命でした。
「やりたい」で仕事を選ぶことは悪ではない
既に「できる」ものから仕事を選ぶと、それ以上新しいスキルを身につけて成長することは難しいかもしれません。
ですが何もかもを「できる」はずはありませんので、思っている以上に学べることは沢山あります。
選んだ業界の未来が暗いように見えるかもしれません。
ですがいざその業界に入ってみると、まだまだ伸びる余地を見つけられるかもしれません。
何なら自分が業界を変えるくらいの気概でいればいいんです。
既に「できる」ではなく、総合的に見て「やるべき」ことの中から仕事を選ぶことがベストだとは今でも思いますが、誰しもそれに耐えられるほど強いわけではないと思いますし、何より人には向き不向きがあります。
やりたい仕事はあるけど、
将来性に不安がある
周囲が反対する
今まで積み上げてきたものが無駄になる
なんて思って自分を偽っている方へ。
「やりたい」で仕事を選ぶことは決して悪ではありません。
一度しかない人生、皆さんが後悔のない選択をできることを祈っております。
あとがき
その後僕は学習塾の教室長を3年続けたのち、現在のフリーランス作曲家になりました。
詳細は割愛させていただきますが、塾が嫌で辞めたというわけでは全くなく、塾への熱を超えるくらいフリーランス作曲家になりたいと思ったため、この道を選びました。
むしろ塾への未練がないと言えば嘘になるくらい塾は楽しい場所でしたし、こんな僕を採用してくれた会社には感謝してもしきれません。
なかなかご時世的に厳しいとは思っていますが、いつか塾を開きたいと企んでいます。
また、この記事では僕が看護師になったことは失敗だったという書き方をしていますが、これは看護師という職業を否定しているわけではなく、単に僕が看護師に向いていなかっただけという意味ですので、誤解しないでいただけますと幸いです。
看護師は本当に素晴らしい職業であり、従事している方へは計り知れないほどの敬意を抱いています。
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