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#また乾杯しよう

カオルの錯誤:ショートショート

カオルの錯誤:ショートショート

 彼はいったい何が楽しくて生きているのだろう。照り付ける日差しに背を焼かれながら、来る日も来る日も穴を掘っては埋め、こんな意味のない退屈な仕事に従事して得られる日銭といえば、ようやく空腹を満たしうる程度の賃金だった。
 正確には、それは賃金ではなかった。労役に対する報酬ではない。では何か。言うところのベーシックインカムであるが、ただでは金をあげたくない陰湿な社会が要求した妥協案だった。
 どんなに

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和佳子の乾杯:ショートショート

和佳子の乾杯:ショートショート

こつん、と、乾杯の音が響いて消えた。

はかない瞬間だった。ここに至るまでの苦労をすべて順に記してゆけば、それはオーケストラの奏でる交響曲になるのではないか?

しかし現実に鳴ったのは、なんとも侘しく冷たい音だった。

けれども、何百年と世界中で愛されてきたこの習慣は、生きた化石といって過言ではないだろう。

と、和佳子は、焚火の明かりに一人照らされて、永く続く人の営みに思いを馳せた。そしてくいっ

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カミーユの揺りかご:ショートショート

カミーユの揺りかご:ショートショート

 1997年9月のある日の午前、7歳だった私は訳の分からないまま、内戦の傷跡がいまだ生々しいカンボジアの地へ降り立った。

 隣国タイの首都バンコクを経由しなければならなかったので、成田空港からジャンボジェット機でやってきた私たち家族は、そこで打って変わり、プロペラ式の小型旅客機に乗り換えていた。ちょうど手に持っていたJALのおもちゃ飛行機と、そう変わらないようなこんな飛行機に乗って、墜落してしま

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玲子の三角関係:ショートショート

玲子の三角関係:ショートショート

 セックスレスの原因は上げたらキリがないが、玲子と英紀に限っては、中学生のような誤解を発端に6年つづいていた。お互い31歳のときに籍を入れ、2人とも今年で37歳になる。結婚してすぐにセックスレスに陥ったわけである。
 誤解というのは、なんのことはなくて、お互い求めているはずなのに、対話不足もまた要因なのであろう、ともども相手に拒まれていると勘違いしているのだった。
 しかも誤解に至る道筋というのが

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多美子の逡巡:戯曲(3200字)

多美子の逡巡:戯曲(3200字)

登場人物
多美子 エンジニア(助手)
ローリンゲン教授 インテリ教の最高権威
ノベール 正体不明のインフルエンサー

あらすじ(舞台背景)
 世界を一瞬のうちに破滅させる兵器の開発に、多美子はエンジニアとして携わっていた。なぜこんな仕事に就いているか。それが神の意志に他ならないと考えているからだ。罪悪感に苛まれることはない。この兵器が産声を上げる前から人類は永く、殺し合いに殺し合いを重ねてきた。そ

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杏樹の男の子:ショートショート

杏樹の男の子:ショートショート

10歳の《ぼく》はよく、河川敷で壁当てをして遊んでいた。少し離れたところのグラウンドでは、リトルリーグの少年たちが、声を絶やすことなく練習に励んでいた。

友を叱咤し、激励し、その同じ友から叱咤され、激励され・・・というその輪のなかに《ぼく》は入ることができなかった。
あんまり近いところでは恥ずかしいので、離れていなければならなかった。しかしあんまり遠いと、孤独で寂しかった。

なにが恥ずかしいと

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