いつでも戻れると思った場所は大抵遠くにいってしまう。

20年近く住んだマンションがなくなっていた。
正確にいえば、近々取り壊しの予定らしく
久々に通ったその場所は巨大な布で覆われていた。

もうだれかの住む場所じゃない。




引っ越し先との距離は電車で一駅程度。
いつでも近くに行けるから
家を後にした当時は感傷に浸ることもなかった。




あれから約10年、
昔の家の近くまで足を運んだのは
結局数えるほどしかなかった。



あの場所で過ごした学生時代。
ピカピカの勉強机の写真。
趣味が増えてモノがいっぱいになった部屋。
こたつで寝て怒られたこと、
ストーブにやかんを乗せるのが好きだった。




お風呂はどんなのだったっけ。



20年も住んだから絶対忘れないと思ったのに、
ぜんぶは覚えていないものなんだな。




会社を辞める最後の日は、大抵
明日から「ここに来ない」という実感がないまま
いつもみたいにエレベーターに乗って、
寄り道もせずに帰宅する。



なぜだか、「また行こうと思えばいつでも行けるし」と思っている。



実際、退職後に「近くまで来たから」と
遊びに行ったこともある。

でもそれが続くのも、せいぜい1年。




今がリアルで当たり前なほど、
「私さえその気になれば」いつでも戻れるという
妙な自信がある。



だからあまり悲しくなかった。




悲しみが薄いまま、10年が過ぎていって



そうしていよいよ本当に
「完全に戻れない」場所になるのだ。



ゆるやかに、少しずつ。





今そばにいる大好きな存在と
いつか離れることになっても
きっとそのときも「またいつでも戻れる」
そう思うのだろう。




悲しむ行為は、ちゃんとしておいたほうがいいこともある。


記憶はずっとそのまま鮮明で、
きっと50年経っても
私はあの日々に「いつでも戻れる」と
妙な自信を持っている。




「簡単だよ」
「目を閉じただけで」


いつでもタイムマシンに乗れるから。



好きなミュージシャンが話していた、そんなこと。



なーんだ。そうだよね。

私も「そういう意味」だったのかもしれない。



だから、悲しいときは
ちゃんと泣こう。






当たり前を抱きしめていく、
そんな当たり前のお話を
してみたくなった。




#日記 #エッセイ #コラム #文章
#散文 #人生観 #過去 #忘れる
#恋愛 #恋 #幸せ #悲しみ
#劣等感 #内省 #自己肯定感 #ことば #言葉
#考えごと #詩 #ポエム
#心の中 #思考 #日常 #記録 #diary



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?