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自分の感受性くらい自分で守れ

茨木のり子の詩は、読んでしばらくした後で、じんわりと心に響いてくる。
それは数分後かもしれないし、何十年も経ってからかもしれない。
年を経て何かを経験した時に、「ああ、これが茨木のりこの詩に描かれていた意味なのだな」とハッとすることがある。そんな熟成した、けれど新鮮な香りを人生に与えてくれる。

わたしが好きな茨木のり子の詩はいくつもあるが、中でも次の詩。
『おんなのことば』の冒頭で、心にズンとくるくらい好きな詩だ。


時に夜があまりに暗く、照らす光がなくても

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい自分で守れ

ばかものよ

----茨木のり子「自分の感受性くらい」

茨木のり子

茨木のり子の詩より抜粋

”子供たちには ありったけの物語を話してきかせよう やがでどんな運命でも ドッジボールのように受けとめられるように”

彼女の意思の強さが表れている。「ドッジボールのように」鋭い重量感のある言葉。


”なぜ国歌など ものものしくうたう必要がありましょう おおかたは侵略の血でよごれ 腹黒の過去を隠しもちながら 口を拭って起立して 直立不動でうたわなければならないか 聞かなければならないか 私は立たない 坐っています”

与謝野晶子に通じる精神。ストレートで力に溢れている。この時代にこんなことが言える勇気。素晴らしい。


”おばあちゃまは怒る 梅干ばあちゃま 魚をきれいに食べない子は追い出されます お嫁に行っても三日ともたず返されます 頭と尻尾だけ残し あとはきれいに食べなさい お嫁になんか行かないから 魚の骸骨みたくない”

同じくこの時代に「お嫁になんか行かないから」と言ってしまえる潔さと強さ。それは彼女の表情にも表れている。

他と一線を画し、自分の思いを込めた作品を次々と発表していった茨木のり子。

空襲の恐怖や空腹の苦痛しかなかった戦争中に、いちばん華やかであるはずの年頃の娘だった。「わたしが一番綺麗だったとき」はそんな戦時中の思いを、茨木がずっと後になって綴ったものだ。


わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね

茨木のり子は年頃の娘時代を戦争の中で過ごした。
戦争に勝つためには身も心も捧げなければならない。そんな空気に国中が染まっていた。そんな時代と自分の姿を、30代になってから詠った詩だ。

茨木のり子の「母の家」も美しい作品。


晩年の詩

晩年の詩にはまるーい作品が増える。

この詩「笑う能力」もそんな作品。

気取らない日常的な視線と、心地よいユーモア、爽やかな言葉のリズムが調和している。

おかしいから「笑う」じゃなくて、笑う能力があるから「笑える」。


笑う能力

茨木のり子『倚りかからず』より

「先生 お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」

他家の姉が色づいたとて知ったことか

手紙を受けとった教授は
柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか

「次の会にはぜひお越し下さい
枯木も山の賑わいですから」

おっとっと それは老人の謙遜語で
若者が年上のひとを誘う言葉ではない

着飾った夫人たちの集うレストランの一角
ウエーターがうやうやしくデザートの説明
「洋梨のババロワでございます」

「なに 洋梨のババア?」

若い娘がだるそうに喋っていた
あたしねぇ ポエムをひとつ作って
彼に贈ったの 虫っていう題
「あたし 蚤かダニになりたいの
そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」

はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは
言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま

いとをかしくて
深夜 ひとり声たてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりともするのだが そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている
乏しい能力のひとつとして
いまわのきわまで保つように」
はィ 出来ますれば

山笑う
という日本語もいい

春の微笑を通りすぎ
山よ 新線どよもして
大いに笑え!

気がつけば いつのまにか
我が膝までが笑うようになっていた

気がつけば、いつのまにか
我が膝までが笑うようになっていた、という一文に茨木の詩人としての才能が光っている。

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