謎と推理を楽しむ プリズム 貫井徳郎
過去、noteに考察を含む感想を書いたことがあるのだが、貫井徳郎さんのデビュー30周年と実業之日本社創業125周年の記念企画として、過去の貫井作品が連続刊行されるとのことで、再読した。
読書中と読了後の楽しさは全く別物
過去に書いた考察を含む感想はこちら
改めて読み返すと、事件の姿が初読とは違って感じられた。
まず、読んでいる最中。
ある程度事件の全貌が分かった上で読むと、そもそもベースとしている仮説に当てはまるか当てはまらないかを照合しながら読み進めることになる。まるで自分が刑事になって、事件の前後は何をしていましたか?被害者とはどのような関係でしたか?と質問をしているような気持ちになる。
読みながら仮説を作るのではなく、もう作られた仮説を確認しながら再構築していく作業に近いかも知れない。
一度読んだことがあるはずなのに、仮説はどんどん膨らみ、壊され、付け加えられて削ぎ落とされていく。
自分の中で「ここはこうつながるのではないか」と目星をつけていたはずなのだが、もしかしたら違う可能性も高いのではないか、と考えが揺らぐ。
その揺らぎが、読了後にじわじわと別な「事件の形」を作り上げていく。
どこかにまだ探りきれていない、はっきりさせられていない、見落としている謎があるのではないか?と、何度もページを行き来する。
読み終わった後の方が、物語の世界の中に没入していた。
この作品は、謎と推理と「本」を楽しむもの。
やっぱり、面白い!
筆者の思惑にまんまと嵌められる
筆者のあとがきまでしっかり読んでこそ、この物語は完結する。
いや、完結はしない、むしろ堂々巡りのようにまた最初から読みたくなってしまう、それこそがこの本の楽しみ方の一つなのかも知れない。
あとがきを読み、自分が「ああ、筆者の思惑にどハマりしていた」と気付いてもなお楽しい、嵌められてこそ楽しい。
ミステリーはあまり読まないからこそなのかも知れないが、「本」の楽しさとは本当に様々なのだと改めて感じた。
プリズムのように一つの物事を様々な視点から描かれた物語は色々あるが、最近読んで面白かったのはこの作品。
当事者にしか分からない真実を、周りは勝手に「自分に都合の良い」「自分が正義側の」物語にしてしまうことがあり、その物語が当事者を救う可能性は低いのだと感じた。
プリズムも真綿の檻も、是非梅雨のお供に。
励みになります。