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また会いたい人をのんびりと思い出す

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記事一覧

私の教え子たち

 「先生が苦手だった」という話を書いたけれど、先生が嫌いだった割に大学4年生には塾講師をやっていた。可愛い私の教え子たち。そんな彼らを思い出す。

 中学から私立に通っていた高校生のA君。きっと地頭はいいのだろうけれど何せ本人のやる気が全く感じられなくて、学校の授業はおろか、塾の時間も宿題も何一つ身が入らない子だった。頑張って欲しい、というとなんだか上から目線の先生っぽいからちょっと違うし、救いた

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体育の先生と動ける文化部の話

 高校2年生の時に新しく就任してきた体育の先生がいた。名前は忘れてしまったけれど、生徒からこっそり「おにぎり」と呼ばれていたのでここでは「おにぎり先生」と表記する。

 私は「先生」全般が苦手だった。小学5年生の時に友達の輪にうまく入れずにクラスで孤立してしまったことがあった。その時の担任の先生が結構贔屓する先生で、お気に入りの児童には優しかったり何かと大目に見たりしていて、苦い経験とその担任の先

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赤の補色は赤

赤の補色は赤

決して叶わない恋だとわかっていたけれど、
必ず叶うと信じて疑わない恋だった。

彼女に出会ったのは、大学入学式の何日か後。中性的な顔立ちと、独特の雰囲気がそうさせていたのか、アーティスト気質のある一匹狼タイプ。

着実に友達としての関係を築いて、大学1年の終わりには美術館に一緒に行ったりした。狸だと思って追いかけた獣が猫だったことに気づいて、一緒に笑ったことも足の長さが違いすぎて同じペースで歩くの

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中村くんと私と演劇のはなし。

「変人」という言葉がぴったりな人だった。そして、「天才」という言葉もぴったりな人だったと思う。

 高校の時に、演劇部を立ち上げた同級生がいた。中村くん。高校2年生の秋口あたりかな、演劇部だったクラスメイトくんが、中村くんのボケが手に負えなくなったようで、偶然下校中だった私に助けを求めてきて認識されてしまった。
 それから、下校中に出会うと必ずと言って良いほど彼に捕まるようになってしまった。ある時

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YutaとCanadaの1ヶ月

 19の時に、1ヶ月カナダに短期留学をした。クラスメイトのほとんどは日本人で、女子大通いの私には共学の女の子がなんかギラギラしてて怖くて、全然クラスメイトと仲良くなれなかった。

 そんな私が教室にずっと通い続けられたのは、同じ大学から来ていた友達と、あっけらかんとした男の子のクラスメイト、特に私を気にかけてくれたYutaの存在が大きかったのだと思う。
Yutaは日本海側出身の東京ボーイで、Nik

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伝えることを恐れない人のはなし

私に面と向かって、「MINAが苦手だ」と言った人間はきっと後にも先にもこの人だけになるのだと思う。

 大学2年生の春休み、タイランドに訪れた。初めての一人旅だったのもあって、「タビイク」という企画を利用した。「タビイク」というのは一人旅がしたいけれど、最初から一人だと不安な人たちが主に利用するもので、一人旅に限らず、海外旅行の際に気を付けることをわきまえたり、現地でのコミュニケーションを恐れない

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近況報告をするだけのともだち

 懐かしい人シリーズがなぜか男性ばかりでなんでだろうと自問自答。同性の友達は「ずっと仲がいい」か「結局疎遠になる」の2通りで、結局疎遠になる子についてはあんまり語ることもないからじゃないかなと考えた。(ずっと仲がいい子は文章にするより前に「好き」を本人に伝える傾向が私にはある)その点、異性の友達は私が女子大に通っていたのもあって不思議な出会いが多かったり、私にとって未知との遭遇的な部分が多かったん

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おおむらくんとカーストの話

 高校一年生の時に同じクラスだったお肌の綺麗な男の子、それがおおむらくん(仮名)だった。彼は花形サッカー部所属で、にこにこした顔が愛らしくみんなからよく名前を呼ばれる存在。いわゆる「イケメン」と呼ばれる顔立ちだった。
 当時の私は高校デビューを夢見るもいまいち垢抜けできず、白紙のノートに絵を描くのが好きな、いわゆる「芋っぽい美術部」だった。
 彼と隣の席になったのは、スクールカーストもとうの昔に固

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