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消滅可能性自治体 2050年の大多喜町へ-後編【2050年の大多喜無敵探検隊】

 車は圏央道の市原鶴舞インターを降りたのち、広域農業区画と里山を交互に過ぎ、やがて峠道の連続ヘアピンカーブが続く羽黒坂にさしかかった。ここを越えたら大多喜町、外房市の大多喜町だ。市原市と大多喜の境目には、今でも本多忠勝と大多喜城が描かれた看板があるが、経年劣化でボロボロだ。まぁ自治体の予算がなくて修繕が後回しになっているんだろう。
車は羽黒坂をおりると、そのまま滑るように国道を流れ、ほどなく横山交差点に差し掛かろうとしていた。
不意に穏やかな女性の声が語りかけてくる。
「マスターの故郷のお近くです。本日はご実家に寄らなくて宜しいのでしょうか。」
静寂なこの車の中で、十分配慮がとどいた語り方だな、関心関心。
そんな彼女曰く、私が以前に大多喜町の実家を訪れたのは13か月前だったということと、そして本日の約束の時間までには、まだまだ余裕があるとのことだった。
でも実家といってもなぁ、もうあそこには私の帰る家はないんだよレディ。とうの昔に更地にしたし、土地はそもそも私の家のものじゃなかったしね。
でも13か月、1年以上も行ってないのか。そう思うと俄然興味がわいてくるから不思議だ。

 あぁそうそう、レディとは、私がAIコンシェルジュに付けた名前だ。
昭和のその昔に「COBRA(コブラ)」という漫画があって、あの頃の私はアレに夢中でね、その作中に登場したコブラの相棒のヒロインがレディというんだ。彼女は超合金のボディを持つ女性型アーマロイドだけど、どうも元々が人間だったという。実は今でも私は、あの漫画をたまに読み返すぐらいコブラが好きなのさ。
そんな私の相棒レディは、常にいくつものウェアラブル端末を通じて、私の面倒を甲斐甲斐しく見てくれる。私が経営するいくつかの小さい会社の管理全般はもちろん、昔から低すぎる私の血圧のことやトイレの回数まで心配して、こと細かくチェックしてくれる上に、今はこの大柄な車のAIと同期し、どこまでも安全に走らせてくれているのだ。レディはさしずめ、仕事ができて運転が上手な‥、コンシェルジュ(執事)というよりも、もう一人の嫁さんといったところじゃないかな。車の運転に関しては彼女の運転があまりにも上手いので、おかげで最近の私は全く運転していない。
でもこれはこれで老いた私には宜しくなく、ますます老化が進んでしまいそうだよ。寿命を決めるといわれるテロメアを伸ばすためにも、豆腐と納豆、地元の行徳海苔と干しそばをもっと食べねばならんかな。
でもなレディ、たまには「から好し」のから揚げも食べたいぞ。

 「OKレディ、その交差点を右だ。君の言う通り、大多喜の町なかを久しぶりに見てみようじゃないか。住所は大多喜町大多喜の2・・」
住所は言いかけてやめた、その番地は既になかったんだ。
あらためてレディに、大多喜駅からグルっと町なかを一周してから、私の実家跡に行くように伝えた。
彼女は「OKマスター」とだけ返すと、車のウィンカーを点滅させ、静かに交差点を右折して県道に入った。
途端に路面の振動が伝わってくる、アスファルトが大分傷んでいるようだ、外房市の財政も決して良くはないんだろうな、でもここは県道だから千葉県の管轄か。しかし道脇の雑草も伸び放題で、ちょっとした林道みたいだよ。まぁこれだから、腹の下が高い四駆じゃないと気楽に来れないんだ。

電柱と電線が今も残る鍛治町から、紺屋町のゆるい坂を抜ける。ここまで空き地が点々とあり、人が住んでいるのかいないのか分からない家がポツポツとある。耕作放棄された農地もいくつか散見された。
大多喜町の中心部は、昭和の終わりに開通したバイパス沿いに移って久しい、特に平成の時代になって、そのバイパス沿いにショッピングモールが出来てから、町内の店舗の移転が加速した。お陰で私が住んでいたこの昔ながらの大多喜の中心街は、今では旧市街と呼ばれて寂れる一方だ。あげくアスファルトも痛んだままに草ぼうぼうで放置されているし、先の通り、空き家や空き地が非常に目立つ。
この旧市街だけを見ていると、大多喜町はまるで文明が崩壊したあとのような雰囲気で、人々に放棄され忘れられた無人の町のようだ。そして徐々に自然に戻っていっている。
レディが運転する車は、この静まり返った旧市街を、さらに息を殺すように静かに通り過ぎた。やがてT字路に差し掛かると、大多喜駅に向かってまた右に曲がった。

 大多喜駅はまだ健在だった。第三セクターのローカル線「いすみ鉄道」は、株主の大多喜町が外房市に合併されたため、鉄道のあり方を含めて維持管理や運営方法も大きく変わり、今では地域の物資輸送までを担うようになって、ずいぶん活躍していると聞く。さらに上総中野駅で接続していた小湊鉄道とも相互に乗り入れるようになったため、房総丘陵を乗り換えなく東西に横断できる鉄道として風光明媚さが受け、首都圏を中心に、ちょっと話題になっていたりする。
そうは言えども、昭和の昔や、名物社長の鳥塚氏がいた2010年前後の盛り上がりに比べたらずいぶんと大人しいものだ。まぁ地域人口が極端に減り、純粋な鉄道利用者自体が少ないので仕方のないことではあるが‥。

 私は駅の前に車を停め、窓をあけて身を乗り出してみた。
うん、大多喜の懐かしいにおいだ。
房総丘陵の植物の香りと湿気が程よく混じった、この独特な甘みある大多喜のにおいは昔と変わらないな。むしろ人が減ったからか、においが前より濃く感じる。
それにしてもここは懐かしい場所だ、昭和の頃は近所の仲間たちと、よく大多喜駅や線路で遊んでたっけ。
大多喜無敵探検隊と名乗って、弟の國男や隣家の足立勇一、広津正武や若菜歯科医院の先生、つまりヤッチャンたちと、よくもまぁ毎日毎日、出鱈目な遊びをしていたもんだ、今なら間違いなく大問題になっていただろうよ。そうだ、従弟の浩二もむりやり引っ張っていったっけ、何でだろうか勇一がやけに浩二のことを気に入っちゃったんだ。
でもまぁ、そんな浩二は交通事故で、弟の國男は大病で、もう三十年以上も前に相次いで死んでしまった。
あれから随分と時が流れたもんだよなぁ‥、
弟の國男に続いて浩二が亡くなって、あのときは私だけがポツンと取り残されたような気分になったもんだよ。

(2050年のいすみ鉄道のイメージです これからも走り続けてくれるといいですよね)

「大多喜駅は、小学生のころのマスターが、色々いたずらをされた思い出の場所でしたね」
おぉレディ、驚きの情報量だな!そういえば随分前に、君にそんな思い出話をしたことがあったっけな。
「人の思い出には興味があります。私には時間の経過は数値情報でしかないのですが、人はもっとハイレベルなものを時の経過から感じ取れるようで憧れます。」
レディ、そりゃ君は歳をとらないからだよ。思い出補正なんか無縁だろうしな。でもある意味、私のようなポンコツおいぼれと違って、君は永遠の命なのさ。私の方が君に憧れるよ。

 レディは車を出すと、一方通行の県道231号へ入った。すぐにヤッチャンの歯医者さんが見えた。この若菜歯科医院も、看板だけは出ているが、バイパス側に引っ越して大分経つな。
そのまま車は、外房市の大多喜支所前を通過。その昔は大多喜町役場と呼ばれていた。相変わらずあのシンボリックな防災無線塔は健在だが、建てられてから既に70年は経つはずだ、倒壊の危険はないのかな?
防災無線塔なんて仰々しいな、私らは皆、この塔をションベンタワーと呼んでいたんだ。
次に車は大多喜小学校の前にさしかかった。大多喜小学校は一時生徒が激減したために廃校がささやかれたが、周辺地域の小学校に比べて、建物が大きく設備も比較的新しいことから、国吉や勝浦の一部から生徒を集めることで今も続いている。遠くの子供たちはスクールバスでここまで通ってくるそうだ。それでも生徒数は200人にも満たない、このままいけば、いずれ廃校になるだろう。

 ここまで、私は車からは下りずに、大多喜町の姿を窓から伺っている。その私に気遣ってか、レディは先ほどからゆっくりと車を流してくれている。後続車両がいないので出来る芸当でもあるけど、つくづくよく出来たコンシェルジュだ。いい婿さんを見つけてやりたいぐらいだよ。
そして車はT字路を左に曲がり、新丁に入った。
どらやきが昔からヤケに旨い御菓子司ふくだやは、工場だけをここに残し、店舗はやはりバイパス沿いに移っている。ご家族が昔からやっているバイパス沿いの蕎麦屋に隣接してお店を出したんだっけ。久しぶりに帰りに寄って、買っていこうかな。
おやおや、夷隅神社の鳥居の隣の大屋旅館は、どうやらまだやっているようだぞ、すごいな!いったい誰が引き継いだんだろう。この旅館は江戸時代から続く老舗の旅館で、建物は国登録有形文化財だ、一時はレトロブームで有名になったんだ。
でも私たちが子供のころは、その古い外観から「お化け旅館」などと罰当たりな呼び方をしてたっけ。
そして今度は土屋のマークンの和菓子のお店、御菓子司 津知家が見えてきた。ここは今でもお店があるけれど、現在はバイパス沿いのショッピングモール「オリブ」にも店舗を構えている。マークン元気かな、今日もあの旨い最中を作っているのだろうか。でもここ十年はまったく会ってないな。
車はそのままスルスルと町内を通り過ぎて、私の家があった権現坂通りの入り口についた。この坂の入り口は狭いので、大きい車だとちょいと入るのにコツがいるが、レディはこの幅2m×長さ5m越えの車を難なく一発でスッと入れたぞ、ちょっとすごい!
でもレディがここまで運転がうまいと、いよいよ私は運転しなくなりそうだよ。

 車は、よくみんなで集まった青龍神社の横を通り過ぎて、私の実家跡地の前で静かに停まった。
レディがドアを開けてくれたので、私は杖をついて降りてみた。

分かってはいたことだが、ここには当時の私たちを思い出させてくれるものは、もう何にもありゃしない。
よく遊んでた勇一もかなり前にここから引っ越して、今は私の家と、勇一の家の二軒分の広い空き地があるだけだ。おまけに雑草だらけだよ。
一旦は市役所が借り受けて駐車場になったが、年々利用者も減り、今では駐車場のアスファルトの隙間から、盛大に雑草が伸びている。どうも、もう使われていないようだ。
精々、さっき通り過ぎた青龍神社が唯一思い出の場所だよ。
その青龍神社も、ずいぶんと草臥れた感じになってたな、なにより神仏は大切にしなきゃいかんよ。
「マスター、ここは13か月前よりずっと悲しい雰囲気になりましたね」
声に振り返ると、そこには黒いタイトスーツのレディが立っていた。実は彼女は、こうしてホログラムで人前に様々な姿で登場することができる。昭和の頃なら幽霊扱いされそうだが、今の時代じゃそんなに珍しい技術ではない。しかし昔のホログラムとは違い、非常にリアルで実体感があるため、突然これをやられると誰でも少々驚くがな。

(様々なウェアラブル端末に侵入し、主をどこまでも献身的にフォローアップする優秀な執事、最新のAIコンシェルジュプログラム「レディ」のホログラム形態)

今回のレディは、長い黒髪の若々しい女性の姿で登場だ。おいおい、うちの娘よりずっと若そうだ、しかも美人さんじゃないか。‥でもなぁ、いつもそんな感じだから、おまえはうちの娘と奥さんにドン引きされるんだ。

 そんな若くてきれいな娘さんと、老いぼれポンコツの私はしばらくの間、仲良く並んでこの更地を眺めていた。

 さてレディ、私の実家の跡はもうお腹いっぱいだよ。でもおかげでよい時間を過ごせた、ありがとう。
そろそろ行こうじゃないか、あの幼なじみの「勇一」のところへ。
アイツは現在ここから引っ越して、外房の海っぺりの町「大原」で、家族と共に暮らしている。私は本日、そんな勇一に会うために房総半島を一気に南下してきたんだ。
実は勇一は、今では私の大切な仕事仲間の一人でもある。今日は久しぶりに直接会って、外房市の地の利を活かした新たなビジネスについて話し合う予定だ。この話は、既に地元の県議会議員や市議会議員、いくつかの地方銀行などとも私の方で調整をしており、外房市の自治体からも支援をいただける手筈が整いつつある。
私も勇一も、齢80を越えて、ようやくまともに故郷に恩返しができそうなんだよ。
しかし、なによりせっかちなヤツのことだ、きっと今ごろは、こっちの都合など一切考えず、まだ来ないのかと文句を言ってることだろう。聞かされるヤツの部下や家族も災難だ。

 レディ、また勇一が十八番の無茶苦茶を言い始めたら、どうか早めに止めてやってくれ。あの思い込みの強さと強情なところは房総のイノシシ並で少々面倒くさい。でもけっして悪い人間じゃなくって、良く言えばどこまでも真っすぐで、年齢を感じさせないパワフルな男だよ。
なんていうのがもっとも適しているのだろう‥、うん、昭和気質のガンコ爺さんってところだな、ヤツは昔からそうなんだ。

そういう性分ってやつは、何十年経とうとも案外変わらないもんなんだよ。
まぁ、お互い様なんだけどな。


消滅可能性自治体 2050年の大多喜町へ-編 


【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。

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消滅可能性自治体 2050年の大多喜町へ-編

【解説】
(※1)AIコンシェルジュとは、今でいうインターネット状の仮想空間を通じ、様々なデバイスを一括制御できる個人用AIホストプログラムサービス。文中の通りに、ホログラムで可視化したリアルな映像を、例えば本物の人間の姿などを空間に転写することも可能、もちろん触れることはできない。
(※2)房総半島南東部の第三セクターいすみ鉄道はこの時代、地域への物資輸送も賄うようになり旅客の減少を補っている。また、いすみ鉄道に限らず、日本中の鉄道路線は、令和6年の頃とは考え方が大きく変わり、安定したインフラとして、そして地域の文化としての鉄路の重要性が見直されてきており、現代のように赤字=即廃止論争は存在しない。
(※3)大多喜町は、バイパス道路沿いに町の中心が徐々に移り、物語の令和32年(2050年)には、私が住んでいた当時の中心街は「旧市街」と呼ばれて閑散としており無居住地域化一直線である。ただし町の新たな中心となっているバイパス側の新市街も人口減少は避けられず、それほど賑わっているような状況ではない。

【2050年の大多喜無敵探検隊 趣旨】
先月、私の故郷、千葉県の大多喜町を含む夷隅郡市が揃いも揃って、2050年には「消滅可能性自治体」になるという分析結果が公開されました。この「2050年の大多喜無敵探検隊」は、いつもの私の昭和の子供の頃の実体験談とは異なり、2050年になった際に、故郷の大多喜町がどう変わっているのか、そして私自身どのように関わっていくべきかを様々な書籍の研究結果を元に書いてみた一種の「考察」と、私の「人生目標」というものです。日本国中、大多喜町のような消滅可能性自治体は、今後ますます増えていくと思われますが、その対策や向き合い方を、一個人としても目をそらさず、考えていきたいと思っています。

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