【書評】『日本教の社会学』を読む。変わらない、変われない、それが日本。
ロッシーです。
『日本教の社会学』(小室直樹、山本七平)を読みました。
日本教とタイトルにありますが、別に宗教的な本ではありません。日本人が信じているもの=「日本教」として、それを分析した本です。
本書を読んだ理由は、落合陽一氏の『忘れる読書』で本書が挙げられていて「面白そう」と思ったからです。
『忘れる読書』自体もおすすめですが、この『日本教の社会学』も面白かったです。
山本七平氏は『空気の研究』で有名ですね。本書でも「空気」と「日本教」の関係について興味深い考察がなされています。
本書の目次は以下のとおりです。
「戦後日本は民主主義国家ではない」
「戦前日本は軍国主義国家ではない」
これを見て、「え?」と思うかもしれませんが、読めば納得。確かにそのとおりだなぁと思ってしまうこと請け合いです。理由が気になった方は、ぜひご一読をおすすめします!
なお、本書で確かにそうだな~と思ったのが以下の箇所です。
>正しい意味では権利というのは主張できるから権利なのであって
この部分は、非常に重要なポイントだと思います。
とかく私達は、「権利を主張する前に義務を果たせ」という言説に囚われがちです。
しかし、権利というものは、義務を果たさないと主張できないとか、そういう付帯条件があっては権利ではないわけです。
権利を持つ人は、どんな状況であろうと、その人がどんな人であろうと、多数派がどんなに反対しようとも、それを主張できるからこそ権利なのであって、「お前は仕事もロクにできないのに、有給休暇という権利を使うとはけしからん!」ということではそもそも権利ではないのです。
とはいいつつも、私達が権利というものに対して有する概念は、そのようにアップデートされているでしょうか?
おそらくそうなっていないと思います。そういう意味では、まだまだ私達日本人のマインドは近代化されておらず、中世の封建制度のままなのかもしれません(笑)。
さて、こういう風に日本社会や日本人を分析した本を読んでいつも思うのは、
「確かにそうだよな~。日本はこういうところが遅れているんだよな。で、どうする?」
というものです。
日本が構造的にこうなってしまっているのであれば、そもそもその構造って変えられるの?と思ってしまい、微妙な無力感に囚われるのです。
だから、こういう本は読んでいて面白いのですが、諸刃の剣とでもいいますか、自分がいかに囚われているのかを現状認識させられ、しかしその現状から出られない状況も認識させられる、というなかなかしんどいものでもあります。
そして、本書のように、外部と比較して自分たちを分析することが大好きなのも、まさに日本人的だと思います。
つまり「日本人はこうなっている」という構造を暴こうとすることを構造的に欲望するのが日本人というものである、という構造があるわけで、それは一種の入れ子構造になっているわけです。
まあ、とにかく私達は、本書で述べられている日本教という構造からいつか抜け出すことができるのでしょうか。変われるのでしょうか。
本書を読むと、それは相当難しいように思います。
変わらないことが強みになる時代であればそれでもいいと思います。しかし、変われないことが弱みになる時代なのであれば、どうなってしまうのか・・・。ましてやVUCAと呼ばれるいまの時代、私達のエートスはこのままでいいのでしょうか?
この状況から抜け出すことが困難だとしても、まずは自分たちがどういう構造に陥っているのかを知らなければ、そこから抜け出すことはできません。
そういう意味でも、本書を読むことには意義があると思います。
※そもそも、そこまで変われないのであれば、無理に変わろうとせず、これが日本なんだ!という開き直りも十分アリなのかもしれません。その代わりに、経済的成功とか成長とか、そういうものはいったんあきらめたほうがよいかもしれませんけど(笑)。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!
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