舟木力英

美術史、音楽、文学、その他さまざまな分野に関心がある。

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  • 中村彝研究ノート

    中村彝研究を手短かに紹介します。従来における自他の研究および各種資料の追加・訂正などもあります。彝研究のための新たな視点を探っています。引用に当たってはコメント欄から事前にご連絡を。

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  • 美術史ノート

    美術史関連記事。主に19世紀フランス美術と日本の洋画、あるいはその関連について。

記事一覧

中村彝とルノワールの女性裸体画「泉」をめぐる誤解と混乱

 2003年に茨城県近代美術館で開催された『中村彝の全貌』という展覧会図録の「年譜」にこんな記述がある。  「大正9年8月19日、(中村彝は)今村繁三邸においてルノワー…

舟木力英
1日前
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中村彝が読んだドストエフスキー『虐げられし人々』の一場面 

 この稿は、「中村彝と中原悌二郎の読書メモ」の(2)として書いている。前回は悌二郎とトルストイのある断章と、悌二郎が言及したドストエフスキーの「空想的にまで進ん…

舟木力英
8日前

中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

 中村彝の親友・中原悌二郎は、大正3年の春、突如喀血に倒れ、故郷の北海道・旭川に帰った。匠秀夫氏によると、この静養中、彼は旭川第7師団でロシア語教官をしていた米川…

舟木力英
2週間前
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メモと呟き 2024-2-15まで

村上明子さん「ブレーキがないとアクセルは踏めない。AIを推進だけで考えるのは危険だ。」24-2-9の読売記事より ** 飛行機誤進入、管制官とのやり取り シアトルの管制官…

舟木力英
1か月前

中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

中村彝の未刊行の葉書(多湖宛、大正10年8月2日着)に『ルカ福音書』の一節に関連した箇所があることが分かった。 もともと聖書の一節に関連した言葉かと察せられたが、は…

舟木力英
2か月前
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美術品の真贋

 「美術品の真贋こぼれ話」という演題ですが、実は、公立の美術館では誰も喜んで真贋について判断したくないようであります。  なんとなれば、やはり責任と金銭にかかわ…

舟木力英
3か月前
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呟きとメモ 2023-12-24まで

中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)|舟木力英 #note 中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)|舟木力英 note.com/riki_72/n/n68b… #note 中村彝の肖…

舟木力英
3か月前

シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

この世の中を実際に動かしている人間はいったいどのような種類の人間なのだろう。 こうした疑問が沸き起こってきた時期があった。そのころ読んだのが、ガルブレイスの『権…

舟木力英
3か月前
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呟きとメモ 2023-10-30まで

#末永敏事 1887-1945 という医師が、戦時下の茨城県神栖に勤務していたことを知った。朝日新聞2023-10-3、#中村尚徳 氏の記事より。 ** 消しゴムマジックとかベストテイ…

舟木力英
3か月前
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呟きとメモ 2023-9-1まで

・ルポライターの安田峰俊氏による習近平の素顔という朝日新聞記事2023-6-10に、福建省長時代の習氏は2001年に友好提携を結ぶ長崎県を訪問し、原爆資料館を見学していると…

舟木力英
4か月前
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小津の「東京物語」

「東京物語」における斎藤高順(たかのぶ)の音楽に注目した吉田純子さんの朝日新聞記事を読んだ。(吉田さんはいつも音楽や音楽家方面に明るく、それに関連した記事を書い…

舟木力英
4か月前
2

中村彝の肖像画論

 中村彝は、「エロシェンコ氏の肖像」や「田中館博士の肖像」、さらに彼が愛した新宿・中村屋の娘、相馬俊子をモデルにして幾つか描いた作品(この場合、肖像画と狭く限定…

舟木力英
5か月前
3

中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)

日立の川尻から出したこの絵葉書は、ある種のユーモアを交えた男女の盆踊りに始まる。 一見、他愛もない盆踊りの男女3人を描いた絵葉書に見えるが、本文を読んでみると、賑…

舟木力英
6か月前
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中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

2003年茨城県近代美術館と愛知県美術館で開催された「中村彝の全貌」展に出品された彝の絵葉書を読んでみよう。 図録番号1と2にカラーで、文字もはっきり見えるように掲載…

舟木力英
6か月前
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中村彝と白河の伊藤隆三郎(抱月庵)

 白河の伊藤隆三郎は、中村彝より2歳若いが、その生没年は、意外に知られていないようだ。ネットを検索しても、生没年までは辿り着けなかった。  一方、伊藤抱月庵は、実…

舟木力英
6か月前

日々の呟き2023-7-9

「忘れられない母の言葉があります。…不合格だった時のことです。母はこう言いました。『神様が"行くな"って言ってくれたんや』」 #望月雅友 さんの言葉、2023-7-9朝日新…

舟木力英
6か月前
中村彝とルノワールの女性裸体画「泉」をめぐる誤解と混乱

中村彝とルノワールの女性裸体画「泉」をめぐる誤解と混乱

 2003年に茨城県近代美術館で開催された『中村彝の全貌』という展覧会図録の「年譜」にこんな記述がある。

 「大正9年8月19日、(中村彝は)今村繁三邸においてルノワールの『泉』『庭園(風景)』を見て、深い感銘を受け、画室に帰ってから記憶により模写する。」

 そして、ほかの美術館の解説などでも、このような記述が繰り返されていることがある。

 しかし、私は既に『研究紀要』(第4号、茨城県近代美

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中村彝が読んだドストエフスキー『虐げられし人々』の一場面 

中村彝が読んだドストエフスキー『虐げられし人々』の一場面 

 この稿は、「中村彝と中原悌二郎の読書メモ」の(2)として書いている。前回は悌二郎とトルストイのある断章と、悌二郎が言及したドストエフスキーの「空想的にまで進んだ写実主義」に触れた。
 今回は、彝がその書簡で述べているドストエフスキーの『虐げられし人々』について書いてみよう。
 彝のこの本への言及は、彼の手紙の中に出てくる。すなわち大正5年1月31日、ほぼ同年齢の彝の支援者であり、芸術愛好家でもあ

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中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

 中村彝の親友・中原悌二郎は、大正3年の春、突如喀血に倒れ、故郷の北海道・旭川に帰った。匠秀夫氏によると、この静養中、彼は旭川第7師団でロシア語教官をしていた米川正夫を知り、ドストエフスキーの小説を耽読したという。旭川では米川を中心にした文学青年の間でガリ版刷りの文芸同人誌『呼吸』が発刊されていたらしい。
 しかし、悌二郎の文学好きはその時に始まったわけではなく、明治40年の彼の日記にも見られるよ

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メモと呟き 2024-2-15まで

メモと呟き 2024-2-15まで

村上明子さん「ブレーキがないとアクセルは踏めない。AIを推進だけで考えるのは危険だ。」24-2-9の読売記事より

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飛行機誤進入、管制官とのやり取り

シアトルの管制官「16C手前で待機せよ」
16Rに着陸した機長と副機長側「16L手前で待機」と復唱。
管制官、復唱の誤り指摘なし。
結果、16Cの滑走路を横断して16L手前で待機。

・相手の言っている言葉の取り違え、結構ある!16Rに着陸

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中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

中村彝の未刊行の葉書(多湖宛、大正10年8月2日着)に『ルカ福音書』の一節に関連した箇所があることが分かった。
もともと聖書の一節に関連した言葉かと察せられたが、はっきりとは分からなかった。それは彼の葉書のこんな文脈の中に書かれていた。

「僕ハ大によくない。去年の暮から臥たきりだ。…それでもどうにか生きてだけハ居る。たゞ生きてるといふだけだ。昔日の元気ハ全くない。毎日眠いばかりで睡(ネム)ってば

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美術品の真贋

美術品の真贋

 「美術品の真贋こぼれ話」という演題ですが、実は、公立の美術館では誰も喜んで真贋について判断したくないようであります。
 なんとなれば、やはり責任と金銭にかかわる問題があるからです。もし真贋の判断を間違った場合、その責任は学芸員個人の責任にとどまらず、もっと上の方まで、公立なら学芸課長とか、美術館長とかまで行ってしまう恐れもあるでしょう。

 公立だからタダで鑑定して、それで間違ったら、責任を取ら

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呟きとメモ 2023-12-24まで

呟きとメモ 2023-12-24まで

中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)|舟木力英 #note

中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)|舟木力英 note.com/riki_72/n/n68b… #note

中村彝の肖像画論|舟木力英 note.com/riki_72/n/n560… #note

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霧島、朝乃山、物言いがついたが、行司軍配通り。行司、眼がいいな。これがプロだな。

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大相撲解説

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シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

この世の中を実際に動かしている人間はいったいどのような種類の人間なのだろう。
こうした疑問が沸き起こってきた時期があった。そのころ読んだのが、ガルブレイスの『権力の解剖』やシュテファン・ツヴァイクのこの特異な伝記本である。

しかし、この本の苦い味わいが解るようになるには、しばらく後に再読する必要があった。

「優れた人物、純粋な観念の持ち主が決定的な役割を演ずることはまれであって、はるかに価値は

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呟きとメモ 2023-10-30まで

呟きとメモ 2023-10-30まで

#末永敏事 1887-1945 という医師が、戦時下の茨城県神栖に勤務していたことを知った。朝日新聞2023-10-3、#中村尚徳 氏の記事より。

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消しゴムマジックとかベストテイクとか、AI導入の写真に関する記事を読んだ。
朝日新聞2023-10-5
こういうことが簡単にできるようになると、例えば、写真の証拠能力もますます薄められるようになるな。多分、もとの写真に戻すこともできるのだろう

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呟きとメモ 2023-9-1まで

呟きとメモ 2023-9-1まで

・ルポライターの安田峰俊氏による習近平の素顔という朝日新聞記事2023-6-10に、福建省長時代の習氏は2001年に友好提携を結ぶ長崎県を訪問し、原爆資料館を見学していると書いてあった。他にも習氏にあった日本人が紹介されていた。

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・姜尚中「あなたが今悩むのは、何事につけて満たされない空虚なものの影に包まれているからではないでしょうか。むなしさは私たちの心のなかに巣くう最大の難物です。そ

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小津の「東京物語」

小津の「東京物語」

「東京物語」における斎藤高順(たかのぶ)の音楽に注目した吉田純子さんの朝日新聞記事を読んだ。(吉田さんはいつも音楽や音楽家方面に明るく、それに関連した記事を書いているようである。)
 この小津の代表的作品は、機会あるたびに何度か見て感銘を新たにしているが、音楽については、それほど注目していなかった。ただ、時代を感じさせる、のんびりとした平和な音楽がいつも流れていて、これも実に悪くないなという程度が

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中村彝の肖像画論

中村彝の肖像画論

 中村彝は、「エロシェンコ氏の肖像」や「田中館博士の肖像」、さらに彼が愛した新宿・中村屋の娘、相馬俊子をモデルにして幾つか描いた作品(この場合、肖像画と狭く限定するよりも広く人物画と呼んだ方がよい作品もある)などがあり、近代日本洋画史の中で最も優れた肖像画を残した画家の一人と言えるだろう。
 だが、その中村彝の肖像画の中には、生きたモデルを前にして描いた作品と、あまり本意ではなかったが、写真を基に

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中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)

中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)

日立の川尻から出したこの絵葉書は、ある種のユーモアを交えた男女の盆踊りに始まる。
一見、他愛もない盆踊りの男女3人を描いた絵葉書に見えるが、本文を読んでみると、賑やかな盆踊りに対比される彝の若くて繊細な、そして寂しい内面も強く感じさせる内容となっているのが分かる。
   ***
【盆踊りの絵の囲み内にある文字部分】

「盆踊り」

「石の地蔵様頭が円い 烏とまればなげ島田」

※石の云々は、全国に

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中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

2003年茨城県近代美術館と愛知県美術館で開催された「中村彝の全貌」展に出品された彝の絵葉書を読んでみよう。
図録番号1と2にカラーで、文字もはっきり見えるように掲載されているが、彝の文字はやや癖があって、やや読み取りにくいが、読んでみよう。
なお、カタカナ表記や旧漢字は、読みやすいようにひらがな表記に改めた。
まず、明治40年7月20日の絵葉書から。

なお、葉書宛名面は以下のとおり。

東京牛

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中村彝と白河の伊藤隆三郎(抱月庵)

中村彝と白河の伊藤隆三郎(抱月庵)

 白河の伊藤隆三郎は、中村彝より2歳若いが、その生没年は、意外に知られていないようだ。ネットを検索しても、生没年までは辿り着けなかった。
 一方、伊藤抱月庵は、実は隆三郎と同一人物なのだが、そのことも、2023年10月現在、まだネット上では、確認できないだろう。
 さらに厄介なことに、伊藤抱月庵を幾つかの大きな茶道辞典などで検索してみると、生没年の生年が大きく誤っており、白河の伊藤隆三郎と抱月庵と

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日々の呟き2023-7-9

日々の呟き2023-7-9

「忘れられない母の言葉があります。…不合格だった時のことです。母はこう言いました。『神様が"行くな"って言ってくれたんや』」 #望月雅友 さんの言葉、2023-7-9朝日新聞記事より

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#上野達弘 委員「AI生成物に既存の著作物との類似性や依拠性が認められる場合は、現行法でも著作権法侵害が成立する。」2023-7-9朝日新聞記事より

これは、依拠性が明確に証明できなくとも、「類似性」だけ

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