舟木力英

美術史、音楽、文学、その他さまざまな分野に関心がある。

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  • 中村彝研究ノート

    中村彝研究を手短かに紹介します。従来における自他の研究および各種資料の追加・訂正などもあります。彝研究のための新たな視点を探究します。引用に当たってはコメント欄から事前にご連絡を。

  • 呟きとメモ

  • 美術史ノート

    美術史関連記事。主に19世紀フランス美術と日本の洋画、あるいはその関連について。

最近の記事

中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

 中村彝の親友・中原悌二郎は、大正3年の春、突如喀血に倒れ、故郷の北海道・旭川に帰った。匠秀夫氏によると、この静養中、彼は旭川第7師団でロシア語教官をしていた米川正夫を知り、ドストエフスキーの小説を耽読したという。旭川では米川を中心にした文学青年の間でガリ版刷りの文芸同人誌『呼吸』が発刊されていたらしい。  しかし、悌二郎の文学好きはその時に始まったわけではなく、明治40年の彼の日記にも見られるように、国内外の多くの文学者の名前が記されている。ロシア文学ではこの頃トルストイの

    • メモと呟き 2024-2-15まで

      村上明子さん「ブレーキがないとアクセルは踏めない。AIを推進だけで考えるのは危険だ。」24-2-9の読売記事より ** 飛行機誤進入、管制官とのやり取り シアトルの管制官「16C手前で待機せよ」 16Rに着陸した機長と副機長側「16L手前で待機」と復唱。 管制官、復唱の誤り指摘なし。 結果、16Cの滑走路を横断して16L手前で待機。 ・相手の言っている言葉の取り違え、結構ある!16Rに着陸したから、次は16Lと脳が勝手に取り違え? ** 今日の読売記事2024-2

      • 中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

        中村彝の未刊行の葉書(多湖宛、大正10年8月2日着)に『ルカ福音書』の一節に関連した箇所があることが分かった。 もともと聖書の一節に関連した言葉かと察せられたが、はっきりとは分からなかった。それは彼の葉書のこんな文脈の中に書かれていた。 「僕ハ大によくない。去年の暮から臥たきりだ。…それでもどうにか生きてだけハ居る。たゞ生きてるといふだけだ。昔日の元気ハ全くない。毎日眠いばかりで睡(ネム)ってばかり居る。時々喀血もする。この喀血もこの頃ハ平気なもんだ。熱も出る。熱も慣れっこ

        • 美術品の真贋

           「美術品の真贋こぼれ話」という演題ですが、実は、公立の美術館では誰も喜んで真贋について判断したくないようであります。  なんとなれば、やはり責任と金銭にかかわる問題があるからです。もし真贋の判断を間違った場合、その責任は学芸員個人の責任にとどまらず、もっと上の方まで、公立なら学芸課長とか、美術館長とかまで行ってしまう恐れもあるでしょう。  公立だからタダで鑑定して、それで間違ったら、責任を取らされる、それでは堪ったもんではありません。  しかし、鑑定に持ち込んできた人も、

        中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

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        記事

          呟きとメモ 2023-12-24まで

          中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)|舟木力英 #note 中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)|舟木力英 note.com/riki_72/n/n68b… #note 中村彝の肖像画論|舟木力英 note.com/riki_72/n/n560… #note ** 霧島、朝乃山、物言いがついたが、行司軍配通り。行司、眼がいいな。これがプロだな。 * 大相撲解説にこんなのがあった。 アナ「2杯連敗気になりますね」 解説者「気になると言わ

          呟きとメモ 2023-12-24まで

          シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

          この世の中を実際に動かしている人間はいったいどのような種類の人間なのだろう。 こうした疑問が沸き起こってきた時期があった。そのころ読んだのが、ガルブレイスの『権力の解剖』やシュテファン・ツヴァイクのこの特異な伝記本である。 しかし、この本の苦い味わいが解るようになるには、しばらく後に再読する必要があった。 「優れた人物、純粋な観念の持ち主が決定的な役割を演ずることはまれであって、はるかに価値は劣るが、さばくことが巧みな人間、すなわち黒幕の人物が決定権を握っている」というい

          シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

          呟きとメモ 2023-10-30まで

          #末永敏事 1887-1945 という医師が、戦時下の茨城県神栖に勤務していたことを知った。朝日新聞2023-10-3、#中村尚徳 氏の記事より。 ** 消しゴムマジックとかベストテイクとか、AI導入の写真に関する記事を読んだ。 朝日新聞2023-10-5 こういうことが簡単にできるようになると、例えば、写真の証拠能力もますます薄められるようになるな。多分、もとの写真に戻すこともできるのだろうが… ** マネの二つの作品と中村彝の「婦人像」(メナード美術館蔵) →go

          呟きとメモ 2023-10-30まで

          呟きとメモ 2023-9-1まで

          ・ルポライターの安田峰俊氏による習近平の素顔という朝日新聞記事2023-6-10に、福建省長時代の習氏は2001年に友好提携を結ぶ長崎県を訪問し、原爆資料館を見学していると書いてあった。他にも習氏にあった日本人が紹介されていた。 *** ・姜尚中「あなたが今悩むのは、何事につけて満たされない空虚なものの影に包まれているからではないでしょうか。むなしさは私たちの心のなかに巣くう最大の難物です。それが心を占拠すると…」2023-8-26の朝日新聞より *** ・上杉謙信

          呟きとメモ 2023-9-1まで

          小津の「東京物語」

          「東京物語」における斎藤高順(たかのぶ)の音楽に注目した吉田純子さんの朝日新聞記事を読んだ。(吉田さんはいつも音楽や音楽家方面に明るく、それに関連した記事を書いているようである。)  この小津の代表的作品は、機会あるたびに何度か見て感銘を新たにしているが、音楽については、それほど注目していなかった。ただ、時代を感じさせる、のんびりとした平和な音楽がいつも流れていて、これも実に悪くないなという程度が私の認識だった。  この記事を読み、今度見る機会があったら、もっと音楽にも耳を澄

          小津の「東京物語」

          中村彝の肖像画論

           中村彝は、「エロシェンコ氏の肖像」や「田中館博士の肖像」、さらに彼が愛した新宿・中村屋の娘、相馬俊子をモデルにして幾つか描いた作品(この場合、肖像画と狭く限定するよりも広く人物画と呼んだ方がよい作品もある)などがあり、近代日本洋画史の中で最も優れた肖像画を残した画家の一人と言えるだろう。  だが、その中村彝の肖像画の中には、生きたモデルを前にして描いた作品と、あまり本意ではなかったが、写真を基にして描いた作品がある。  実際、彼は病のこともあって、写真から肖像画を描いたり、

          中村彝の肖像画論

          中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)

          日立の川尻から出したこの絵葉書は、ある種のユーモアを交えた男女の盆踊りに始まる。 一見、他愛もない盆踊りの男女3人を描いた絵葉書に見えるが、本文を読んでみると、賑やかな盆踊りに対比される彝の若くて繊細な、そして寂しい内面も強く感じさせる内容となっているのが分かる。    *** 【盆踊りの絵の囲み内にある文字部分】 「盆踊り」 「石の地蔵様頭が円い 烏とまればなげ島田」 ※石の云々は、全国に様々ある「ノーエ節」の一節。「投(なげ)島田」とは、遊女に多い結髪法らしい。して

          中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)

          中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

          2003年茨城県近代美術館と愛知県美術館で開催された「中村彝の全貌」展に出品された彝の絵葉書を読んでみよう。 図録番号1と2にカラーで、文字もはっきり見えるように掲載されているが、彝の文字はやや癖があって、やや読み取りにくいが、読んでみよう。 なお、カタカナ表記や旧漢字は、読みやすいようにひらがな表記に改めた。 まず、明治40年7月20日の絵葉書から。 なお、葉書宛名面は以下のとおり。 東京牛込区若松町二百十一番地戸川様方 野田半三様 茨城県多賀郡豊浦町川尻 本叶屋 中村

          中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

          中村彝と白河の伊藤隆三郎(抱月庵)

           白河の伊藤隆三郎は、中村彝より2歳若いが、その生没年は、意外に知られていないようだ。ネットを検索しても、生没年までは辿り着けなかった。  一方、伊藤抱月庵は、実は隆三郎と同一人物なのだが、そのことも、2023年10月現在、まだネット上では、確認できないだろう。  さらに厄介なことに、伊藤抱月庵を幾つかの大きな茶道辞典などで検索してみると、生没年の生年が大きく誤っており、白河の伊藤隆三郎と抱月庵とは別人物の兄弟親戚なのかと、思わず疑ってしまうほどだ。  すなわち、私は図書館の

          中村彝と白河の伊藤隆三郎(抱月庵)

          日々の呟き2023-7-9

          「忘れられない母の言葉があります。…不合格だった時のことです。母はこう言いました。『神様が"行くな"って言ってくれたんや』」 #望月雅友 さんの言葉、2023-7-9朝日新聞記事より ** #上野達弘 委員「AI生成物に既存の著作物との類似性や依拠性が認められる場合は、現行法でも著作権法侵害が成立する。」2023-7-9朝日新聞記事より これは、依拠性が明確に証明できなくとも、「類似性」だけで、著作権法違反になるということか? だが、類似しているか、いないかは、どう判

          日々の呟き2023-7-9

          市川沙央『ハンチバック』

          市川沙央 さんのTwitterを見たら、マネ がアスパラガスを描いた作品が使われていた。 ** 「博物館や図書館や、保存された歴史的建造物が、私は嫌いだ。…壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いなのだ。」 市川沙央『ハンチバック』より ** 「死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。」市川沙央『ハンチバック』より ** 市川沙央『ハンチバック』にエゼキエル書38-39章からの抜粋がある。この部分と最終部分は何だ

          市川沙央『ハンチバック』

          辞典にも年譜にも間違いはある

           本を読んだり、自分でも文章を書いたりするのが好きな皆さん、今まで何々辞典(事典)などで、間違った記述を発見したことがありますか。  私の見つけた例は、こういうのがあります。  それはある人物の生没年に関してです。しかも、それはある「大辞典」一冊のみならず、他の出版社の「大事典」でも同じ人物の項目の生没年が間違っていたのです。いや、3冊目の「大辞典」、4冊目の「物故者事典」でも同じように間違っていました。  4冊もの本に同じ生没年が書かれていたのですから、それは間違っている

          辞典にも年譜にも間違いはある