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中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)

2003年茨城県近代美術館と愛知県美術館で開催された「中村彝の全貌」展に出品された彝の絵葉書を読んでみよう。
図録番号1と2にカラーで、文字もはっきり見えるように掲載されているが、彝の文字はやや癖があって、やや読み取りにくいが、読んでみよう。
なお、カタカナ表記や旧漢字は、読みやすいようにひらがな表記に改めた。
まず、明治40年7月20日の絵葉書から。

暫く御無沙汰致しました。別に御変りはありませぬか。
当地へ参ったのは去る二十一日でした。表記(?)の所に荷物を置くと「スグ」海岸へ出て見ました。海岸の気色(ママ)は至って平凡で左右に箱庭的の岩が海の中に突出でて寄せては砕ける白い浪頭を見せる計りなのです。
雲はと空を仰いで見たが別に面白い雲も見えませぬ。
実際当地に来て海岸を見舞た時は失望しました。こんな処に一ヶ月余の時日を過す事が果して出来得るだらうかと「気使イ」ました。
この頃左手の岩にある小さい穴を「クグッテ」面白い気色がある事を発見しました。
絵は未だ一枚も出来ませぬ。
「海岸の気色よりも田圃の方に面白いのがある様です」
東京は熱いでショ!!
絵は沢山描けましたか。教会の教友団の人は如何です。何うぞ宜しく。
御体大切に!!

なお、葉書宛名面は以下のとおり。

東京牛込区若松町二百十一番地戸川様方
野田半三様
茨城県多賀郡豊浦町川尻
本叶屋 中村彜

※ここでは、「彜」の文字が使われている。

   ***
この絵葉書を読むと彝は残念ながら日立・川尻の海が「平凡」で気に入らなかったようだ。当初、海を求めてきたが、海より田圃の方に眼が移り、「水車小屋」の画因を見つけて、第一回文展に応募し、落選の憂き目を見た。(作品は今日所在不明。)
彝は、川尻の海や風景を絵葉書のスケッチ以外に残さなかったのだろうか。
ポーラ美術館には「川尻風景」があるが、そのタイトル、制作年や対象のモティーフなどについては、幾つかの仮説が想定される。

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次回は上記の図録番号2の絵葉書(同年の8月26日)内容を紹介しよう。

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